閉ざされた屋敷(1)
「失礼、デイヴィス・クルーウェルと申します。昨日教授に会う約束をしていたのですが、迎えが来なかったもので」

 何も言えず瞬くだけだったヒトハを置いて、クルーウェルはまっさらな雪を踏みしめ男に歩み寄ると、片手を差し出した。
 男は一瞬目を見開き動揺を見せたが、すぐに気を取り直してその手を握り返す。

「……それは大変失礼いたしました。ですが旦那様は数日前から体調を崩して臥せっておられるのです」

 男はこの屋敷で働く執事なのだという。よくよく聞いていれば話し方にも所作にも品があり、それはおそらく間違いではない。
 彼は口調を軟化させながらもどこか警戒するような気配を残したまま、ヒトハとクルーウェルに事情を説明した。
 屋敷の主人は数日前から体調を崩し、誰とも面会ができない状態で、お客様にはお引き取り願っていると。
 到底納得のいかない説明だ。あまりにきっぱりとした物言いの割に、今ひとつ説得力がない。
 クルーウェルは彼の説明を訝しんで食い下がった。

「そのような連絡はありませんでしたが」
「申し訳ございません。急なことで」
「少しだけでも話しをすることはできませんか」
「寝込まれているので難しいかと」

 ヒトハは二人の顔を交互に見ながら黙って話を聞いていた。
 明らかに執事は何かを隠しているのに、それを話そうとしない。そしてクルーウェルはこの不毛なやり取りをするたびに苛立ちを募らせている。

「しかしあなたが執事だと仰るのなら、俺たちがここへ来ることは事前に知らされていたはずでは?」

 苛立ちがピークに達した彼の問いは、ヒトハがずっと抱いていた違和感を的確に突いた。
 執事であるならば、客の訪問を知らないはずがない。なぜならヒトハがこの屋敷に招かれると聞いたのは、もう夏頃のことだったからだ。そんなに早くから決めていながら、どうして今まで知らずにいられたのか。
 しかしこの質問をクルーウェルが最初に持ち出さなかったのは、これがやや乱暴で、不躾な質問だからだ。
 嫌な空気が二人の間に流れ始めたのを察知すると、ヒトハはようやくそこで口を開いた。

「ねぇ先生、私、疲れちゃいました」
「は?」

 コートの袖を引っ張り、甘えるように見上げると困惑した目が見下ろしてくる。
 ヒトハは構わずに「だって」と子供のように口を尖らせた。

「昨日は迎えに来てもらえるって聞いてたから、外で長い時間待ってたんですよ? それなのに結局来てくれなかったから宿を探すのも大変だったし、見つかった部屋も狭かったし。ここに来るのだってバスに乗って何時間もかけて来たじゃないですか! だから私、もう疲れちゃいました。私、今からまた大移動なんてしたくありません! ねぇ執事さん、教授に会えなくてもいいので一泊だけでもさせてもらえないでしょうか?」

 クルーウェルの片腕に縋りながら執事に向かって首を傾げる。呆気に取られた顔を前にしてもなお、ヒトハはとぼけた顔で言った。

「あっ、もしかして、私たちが屋敷に入れない理由でもあるんでしょうか?」




 執事がついに「確認して参ります」と折れて敷地に入って行ったのを見送りながら、ヒトハは摘んでいたコートの袖を離した。

「そんなに疲れていたのか……」
「違います!」

 呆れた顔をするクルーウェルを睨んで、ヒトハは声を荒げた。

「演技です、演技!」
「分かっている。なかなか上手いじゃないか」
「でしょう?」
「ああ、普段からあれくらい甘えられたらもっと可愛げがあるものだが」

 ヒトハは得意にしていた口を曲げて、「一言多いんですよねぇ」と小声で文句を垂れた。普段からあんな甘えたことを言っていたら、どうせすぐに嫌気が差すに決まっている。

「でも先生、私勝手なことしちゃいました。大丈夫でした?」
「構わない。俺もせめて中に入ることができればと思っていた。何が起きているのか気になるからな」

 遠くに見える屋敷を眺めながら、クルーウェルはため息混じりに言った。

「だが、危険がないとも限らない状況だ。お前を連れて行っていいかどうか……」
「先生、置いていかないでください。危ないときは一緒ですからね」

 ヒトハがぎゅうと再びクルーウェルの袖を握ると、彼は意外そうにその手を見下ろした。

「やればできるじゃないか」
「…………はい?」




 屋敷の重い門がゆっくりと開かれる。それは二人がこの極寒の地で待たされてから、十分程度のことだった。

「どうぞお入りください」

 ヒトハとクルーウェルは頭とトランクに積もる雪を払いながら、執事の後ろをついて歩いた。まだ雪がちらほらと舞う程度だったからこの程度で済んだが、吹雪けば魔法薬があっても命はなかっただろう。さすがに冷えてきた体を震わせながら、ヒトハは近付いてきた屋敷から地面へ目を移した。
 目の前を歩く執事一人の足跡を残して真っさらな雪が一面を占めているのは、他に人がいないからなのか、それとも絶えず降る雪に塗りつぶされているからなのか。ただ分かるのは、この屋敷からは人の生活が不思議と感じられないということだ。全て凍りついて時が止まったような、そんな静寂さが屋敷を包み込んでいる。
 二人は雪混じりの風に吹かれながら、両開きの大きな扉を潜り、ついに屋敷の中に足を踏み入れた。屋敷はその外観からは想像がつかないほど明るく、そして想像通りに静かだった。
 魔法道具と思しき燭台の灯りは眩く、赤い絨毯と深い色をした木材の家具は雪の吹き荒ぶ外とは全く切り離されたかのように温かだ。古くから続く名門と呼ばれるだけあって、エントランスの中央に構える両階段には威厳すら感じられた。

「あの、ここって魔力が濃い場所なんでしょうか?」

 階段を上る最中、ヒトハは壁掛けの絵画たちに目をやりながら静かに問い掛けた。屋敷に足を踏み入れてから違和感は強くなるばかりだ。これだけ外と違うのだから、執事はそれを知らないわけがない。
 彼は一瞬足を止めかけたかと思うと、何事もなかったかのように階段を上った。

「私は魔法士ではありませんので、分かりかねます」

 執事は先ほどから変わらない、抑えたような声で言った。感情がいまいち読み取れない話し方は仕事用にも聞こえたし、何かを隠しているようにも聞こえる。
 先導する彼の顔を窺うことはできず、ヒトハとクルーウェルは無言で顔を見合わせた。

「お客様のお部屋はこちらです」

 最終的に案内された部屋はここに来るまでに見かけたものと同様に見事な調度品で揃えられている。二人がけのこぶりなテーブル、ドレッサー、大きな窓、そしてベッド二床。またもや二人一室なのは、納得のいかないところだが。

「――中には暖房の行き届いていない場所や照明を落としている場所もありますので、あまり出歩かれませんよう。古い様式なので、初めてお越しになる方は迷いやすいのです。何かあればこちらのベルでお呼びください」

 執事は一通り説明した後に、そう言い残して退室した。
 厚い木製の扉が閉まると、二人は手にしたトランクを静かに下す。靴音が遠ざかっていくまで隠れるように息を潜めていたが、ついに遠かったと悟るや否やクルーウェルは重くため息を落とした。

「無闇に歩き回るなということか」

 クルーウェルは部屋に置かれていたベルを手に取り目の前にかざす。

「魔法道具だな」
「ランタンもありますね。どれも魔力を使うものばかり……魔法士の方が泊まるための部屋でしょうか?」
「そうだろうな。魔法士ではない者を招くときは違う部屋を用意するのだろう」

 ヒトハはベッドサイドに置かれていたランタンに光を灯した。浴室などは部屋の外にあると聞いているから、夜の移動に使うのだろうか。このランタンは学園の備品とは違ったアンティークな雰囲気のもので、長く使われているようだが、その分とても高価に見える。きっといい品質のものなのだろう。
 ランタンを置いて、ヒトハは部屋を観察してまわった。この部屋は昨日泊まった部屋よりもずっと広く、天井が高い。これといって特に怪しいところもないし、むしろ一度住んでみたいと思うくらいには豪華な部屋だ。
 ヒトハは大きな格子窓から雪の降る様子を眺めながら、思い出したかのように「そうだ」と声を上げた。

「結局誰にもすれ違いませんでしたね」
「そういえばそうだな」
「人の声もしなかったんです。この広さの屋敷をあの執事さん一人で管理してるのも、ちょっとおかしいですよね。一応私たちを招くつもりでいたなら、ホリデー休暇を取っているにしてももう少しいないと変な気が……。それにほら」

 ヒトハは窓枠の隅を覗き込んだ。

「こんな隅っこも綺麗に掃除されてる。ここへ来る間もあまり目立った汚れはありませんでした。元々屋敷中を掃除できるだけの人数がいるってことですよね。それなりの数だと思います」

 ナイトレイブンカレッジはここより何倍も広いが、この屋敷もそれなりの広さを有している。その屋敷をこれだけ清潔に保つには、魔法を使うにしてもそこそこの人数が必要だ。どうしても窓枠の隅や細かな装飾は手作業になってしまうからだ。

「さて、入り込んだはいいが、これはどうしたものか……」

 クルーウェルは腕を組んで唸った。
 相変わらず漂う魔力は濃いままで、それは外にいた時より多少強いかという程度のものだ。原因はここにあるのだろうが、どう探るかの見通しが立っていない。

「この魔力に干渉されてるうちは魔力を辿るのも難しいですし、できることといえば歩き回るくらいしかないですね」

 この困難な状況では魔法士なのに魔法を封じられたようなもので、もはや歩き回って目で確認するしかない。
 しかし客人として入り込んだ手前、堂々と屋敷を歩き回るのはあまりにも非常識だ。叩き出されたとしても文句が言えない。それに執事は出歩くなと暗に釘を刺して行ったのだ。

 ――かといって、それで大人しく部屋で“待て”ができる二人でもなかった。

「夜だな」
「ですね」

 その決断に躊躇いはなく、二人は視線を交わすと、静かに頷き合ったのだった。
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