輝石の国(4)
「すごい所に行ってる気がしますね」
ヒトハはバスの窓から外を眺めながら隣に座るクルーウェルに言った。
駅の近くにあるバス停からフォレストが屋敷を構える街までの乗車時間は一、二時間程度。本来であれば迎えの車で一直線となるところをバスを使って移動するのだから時間がかかるのは当然だ。だが、それにしたって遠い。
バスから見える景色はそれなりに栄えた街を抜け、民家の群れを抜け、畑らしき広大な敷地を抜け、今やぽつぽつと人が住む場所を確認できる程度だ。こうして自然豊かな方面へと向かうバスの乗客は座席の半分にも満たなかった。しかもただでさえ少ないのに次々に乗客が降りていくのだから、今ではもうバスの中は運転手を除いてヒトハとクルーウェルのふたりぼっちである。帰省ラッシュの時期がとうに過ぎているにしても人の少ない地域に向かっているのは明らかだった。
「これだけ雪が多いのに道路は全然雪が積もってないんですね」
ヒトハは窓に額を付けるようにして下を覗き込んだ。道路脇にこんもりと盛られている雪は進むにつれ厚さを増しているが、このバスが走る道路には綺麗さっぱり雪もなければ湿った様子もないのだ。
「魔法でしょうか?」
するとクルーウェルは黙って外に向けていた目をヒトハに移した。
「魔導か何かの技術ではないだろうか。この距離を魔法でどうにかするには労力がかかり過ぎて現実的ではない」
と現実的なことを口にしてヒトハを挟んで再び窓のほうへ目をやる。ヒトハはそれに「ふぅん」と答えた。
「便利なものだな。魔法士の使う魔法がなくとも生活は豊かになる一方だ」
「ですねぇ」
そんな他愛のない話をしながらバスに揺られてもう一時間以上は経っただろうか。クルーウェルのように乗り物に乗っている間に本を読んだりスマホを見るような器用なことはできないし、ヒトハは手持ちぶさたに外を見るか口を動かすことくらいしかやることがない。
「そうだ、気になってたことがあるんですが、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
彼は彼で暇だったのか、すぐに聞き返すと腕を組んで少しだけヒトハのほうに体を向けた。
「昨日フォレスト教授のことを聞いたときに先生が教授のことを『この手の魔法士にしては珍しいほどに優しい』って言ってましたけど、『この手の魔法士』ってどういうことですか?」
「そうか。お前は魔法士の家系ではなかったな」
「ええ。曾祖父が魔法士だったみたいですけど……」
ヒトハの両親は魔法士ではない。だから生まれた子が魔法を使えると知った両親の驚きは相当なものだったという。なんせ親戚も、祖父母も魔法士ではないのだ。
クルーウェルは少しだけ眉を寄せて、言葉に悩んだ。
「それならお前にはあまりピンとこないかもしれないが……」
彼はそう前置きをした上で続けた。
「我が校にも多数在籍しているな。『この手』とは世間で言う“家柄が良い”とか“優れた血統”とかいうやつらのことだ。そういう魔法士は変に性格がひん曲がることが多い」
「ひん……ド直球ですね……」
「全員とは言っていないだろう。しかし血統を重視するような古い家門は顕著だ。生まれた瞬間から競争を強いられるのだから無理もない。優れているのは当たり前、魔法は使えて当たり前、魔法士でないなどもっての外だからな」
ヒトハは頷きながら、いまいち実感が湧かないままでいた。
ごくごく普通の家庭で育ってきたから、血統云々を言われてもテレビドラマか何かの出来事のように感じられるのだ。
けれどひょっとすると、王族だというレオナはその渦中にいる魔法士なのかもしれない――彼もまた、優れていて当たり前と思われながら生きてきたのだろうか。
そこまで考えてやっとそれがとても悲しいことなのだと実感が湧いて、ヒトハはひっそりと眉を顰めた。
クルーウェルはヒトハの考えを読んだように、ゆっくりとした口調で付け加えた。
「そんな過酷な環境で育てば性格は多少なりとも曲がりはする。いかに鼻持ちならん生徒だと思っても、そこは理解してやらなければならない。まぁ、そういう仔犬を躾けるのも俺の仕事なわけだが……」
クルーウェルは眉を寄せて難しい顔をした。学園にいる数々の問題児たちのことを思い浮かべているのかもしれない。
「そして教授は血統を重視するような古くから続く厳格な家門の当主だ。つまり、性格ひん曲がった鼻持ちならん魔法士である要素を充分持ち合わせているということ」
「先生、昔何か嫌なことでもされたんですか?」
さっきからあまりに辛辣な言い様である。ヒトハが呆れたように言うと、彼は肩を竦めて「いや?」ととぼけた。これは明らかに何かあった顔だ。プライドが山のごとく高い彼のことだから、貴族や王族相手でも全く引けを取らない嫌味で対抗して打ち負かしているに違いない。
クルーウェルはとぼけたまま、何事もなかったかのように続けた。
「だから『この手の魔法士にしては珍しいほどに優しい』と表現したというわけだ」
「へぇ。魔法士の世界って結構複雑なんですね。私、全然知りませんでした」
「住む世界が違うのだから仕方のないことだ。そう考えると、多様な生徒が揃う学園で過ごすことはお前にとっていい経験になるかもしれないな」
そしてクルーウェルは少し考え込み、最後にぽつりと零した。
「とはいえ最近は少し考え方が柔軟になってきたところも多いと聞く。技術の進歩で魔法士も魔法士でない者も、さほど生活に差がないからな」
ガタン、と小さな段差を踏んだような揺れが体を揺らす。バスは話している間にも雪の深い場所へ進んでいく。車内は暖房でよく暖められていたが、こうして左右に並び立つ木々も白く染まり、全てが雪で覆われたような場所へやって来ると、暖房ではとても足りないような気がしてくる。
ヒトハは窓の外に目をやって小さく身震いをした。普段見ることのないこの非日常的な景色には、美しさよりも先に恐ろしさを抱いてしまうのだ。
「それにしても、この雪の多さ……フォレストというかスノーマウンテンさんとかのほうが……」
「言うな。教授の前では絶対言うなよ」
クルーウェルが食い気味に言い、ヒトハはそっと口を継ぐんだ。
気が付けば、バスはもう目的地の一停前を通り過ぎていた。
バスから降りようとしたとき、いよいよ空っぽになろうとする車内に取り残された運転手はヒトハを呼び止めた。
「魔法士様に会うのかい?」
地元の人間に話しかけるような気安い問いに一瞬言葉を詰まらせ、ヒトハは「はい」と素直に頷いた。
彼は長距離の運転に疲れた表情を少し和らげると「魔法士様によろしく」と、やはり気安くヒトハに言付ける。彼が言うのは深雪の魔法士のことで間違いないのだろう。どうやらこのあたりではとても友好的で、尊敬されている存在らしい。
ヒトハは彼の言葉に頷いて、先に降りていたクルーウェルの後を追ってバスを降りた。
地面に降り立った瞬間、靴底が雪に埋もれる。クルーウェルお手製の魔法薬を事前に飲んでいなければ、寒さでどうにかなっていただろう。感覚で正確な寒さを捉えることはできないが、吐く息の白さがその険しさを物語っていた。
ヒトハは足元の雪から遠くへ視線を移し、そして驚きの声を上げた。
「わぁ……!」
雪深い地に屋敷を構える――それにふさわしい光景だった。絶えず降り注ぐ雪の中にぽつりと佇む屋敷は遠目から見ても大きく、あのオンボロ寮をゆうに超える。ハーツラビュル寮などの大勢の寮生が生活する建物に近い。そしてそこへたどり着くには身の丈以上ある厳つい鉄製の門をくぐり、長い距離を歩いて行かなければならなかった。屋敷の大きさにも引けを取らないくらい、敷地も広大なのだ。
「立派なお屋敷ですね」
「聞いていた以上だな」
ヒトハの感嘆の声に応えるように、クルーウェルもまた、ため息を吐くように言った。その声を聞きながら、ヒトハは「ん」と首を傾げた。
「先生」
クルーウェルはヒトハに視線を落とし、寒さに険しくしていた目を更に細めた。
「お前も分かるか」
「はい。なんというか……変ですね、ここ」
「そうだな。いかにも怪しい」
クルーウェルも理解できない様子で首を捻る。
二人がバスから降りて感じた違和感。それはこの敷地一帯に漂う“濃すぎる魔力”だった。ナイトレイブンカレッジも特別魔力の濃い場所にあり、それは普段目視できないゴーストが見えるようになるほどだ。しかしそれでも“とても珍しい場所”という程度でここまでではない。
このあたりに漂う魔力の濃さは学園を遥かに超え、ヒトハの胸をざわつかせるほどだった。強い香水が他のものの匂いを掻き消してしまうように、他の魔力を全て上塗りするほどの強く、濃い魔力が漂っているのだ。
「学園のように土地柄というわけでもなさそうですね」
「だろうな。これだけ魔力の濃い地があるなら一度は聞いたことがあるはずだ。それにこれは自然発生している類のものではない」
クルーウェルは何かを探るように顔をあちこちに向けたが、結局はしかめ面のまま「分からんな」と呟いた。
「誰かが魔法を使ったようだが……魔法士がこんなに魔力を垂れ流して無事なものか?」
「教授でしょうか? 凄い魔法士なんですよね?」
「いや、分からん。あまり教授の魔力を覚えていないのもあるが、濃度が高すぎて完全に感覚が馬鹿になっている。これでは発生源を辿るのも難しい」
ヒトハは遠くに見える屋敷に目をやった。
誰かが発生させているものであるならば、それは恐らくあの屋敷にいる。このあたりに他の建物はなく、この一面銀世界の過酷な環境に体を晒し続けて、無事でいられるとは到底思えないからだ。
ヒトハは目を覆って感覚を尖らせた。クルーウェルに倣って魔力の流れを読み取ろうとしたが、流れもなにも均等に塗りつぶされたような状態で何も分からない。これでは探ろうとすればするほど体力を削るだけだ。
「この場所、魔法士はきついでしょうね」
魔法士でなければまだしも、普段から感覚で魔力を捉えられる魔法士にとっては異常な環境だ。四六時中この魔力を感じ続けなければならないし、そうなると自分の魔法のコントロールも難しくなる。
しかしこんな環境になっているということは、間違いなくここで何かが起きているということだ。それも良いことではなく、確実に悪いことになっている。
「これ、どうしましょう?」
「できれば一度教授に会いたいが、しかし――」
ふと、クルーウェルが迷いながら口にした言葉を遮る者があった。
「どちら様でしょうか」
門前で考え込む二人に声を掛けたのは静かなこの地によく響く低い声。どこか咎めるような声は老齢の男性のもので、ヒトハとクルーウェルはその声に振り返った。
男は品の良い黒いコートに身を包み、ずっと外にいたかのように耳と頬の先を赤くしている。整えられた口ひげと後ろに撫でつけるような髪形は雪に溶け込むような灰色だ。
彼は予定していなかったらしい訪問者に、厳しい目を向けていた。