無邪気と純粋の体温
経粘膜的接触.2 〜ヰタ〜





そろそろ開店の時間でした。
照明を付けて椅子の並びの最終チェックをします。
カウンターもテーブルも隅から隅まで埃が付いていないか、目を皿にします。

「ねぇ、キミって真面目ちゃんなんだねぇ」

飛んできた声に、私は手を休めずに答えました。
「店長が緩いだけですよ、きっと。自分のお店を持ってる主で、私の雇い主なんですから、もっとしゃんとしてください」
「大丈夫だよ。そんなにきっちりおもてなしに気を付けても、お客さんがそれに気付いても、言わないと思うよ? みんな優しいもの」

こんな緩い人が接客調理に経営と一人でお店を回していたとは、とても信じられません。
ほぼ常連客の支えで成り立っていると言えます。最後までいて閉店作業を手伝っていく方や、おつまみを自分で作って居合わせた全員に振る舞う方。
いろいろと融資や根回しをしてくれる方もいました。全員、店長のお客様です。店長の色情と快楽の渦に堕ちたお客様です。

「そんな言い方失礼じゃありませんか。皆さん店長に会いに来てくださってるんですよ?」
「なんで? 私はただお客さんに気持ちよくなって欲しくて、私も楽しいからセックスしてるだけなのに」
「お客様は店長を愛してくださってるのだと思いますけど」
「うん、そうだよ。たっくさん愛してくれてるよ? もちろんボクも愛してる」
きょとんとした顔でそんなことを言いました。



理解出来ていないのです、店長は《少女》だから。
全身の至る所から生えた大きな鳥のような翼をゆっくり手で触りながら、話し始めました。

「ここの翼はね、モトイシさんが好きなんだよ。こーやってまず、風切り羽根から、そして根元に、二の腕に、左の肩から首筋と耳裏まで。そこで三秒くらい、じぃーっと見つめてくれてね? そこからゆっくりキスしてくれるの」
聞いていませんよ。他人との情事を他人に事細かに説明しないでください。
「キスがね、とっても長いんだよ? 動かないとずーっと離してくれないんだから。ボクがモトイシさんの後ろの肋骨あたりを両手で触るのが次に進む合図なんだ。手が左の耳裏からだんだん下がっていって」

「だから聞いてませんってば。早くお店を開けますよ」
「ハヤカワさんとのは?」
「今日ご予約が入っていますから、奥の布団で二人で楽しんでくればいいじゃないですか」
「そうだね、そうだった。キミは記憶力が良いんだぁ、ありがと」
ため息が、暖簾を揺らしました。




四つあるカウンター席は埋まり、テーブル席でカラオケが始まる頃。
明太子を入れた卵焼きを返しながら私は接客をします。
店長はご予約のハヤカワ様と、店の奥にある寝室で情事に耽っています。

「なぁよぉ、お前さんの寝床はないのかい? 別嬪さんなんだから人気がでるだろ」

「何血迷い事を言いますか。私まで仕事しなくなったらこのお店はどうするのでしょうね」
「そりゃあよぉ前に戻るだけじゃあねぇか。どうせこの町で仕事をしてるんだ、お前さんもそのつもりじゃねぇのかい」


そうですね。始めの内はその覚悟でした。
世界屈指の夜の歓楽街として知られる真衣詩町は、商業地である東部でも全員が風俗および性産業でご飯を食べている訳ではないのです。
ただし経営しているお店はほぼ全て、店内のどこかでそういうサービスを提供する用意があります。第一に売り出す物ではなく、あくまでお得意様向けや他の商売人とのお付き合い用の品物。
うちも基本は居酒屋です。店長目当てに来る訪問者や常連客用にそういう寝室があるだけです。

名刺、営業、賄賂、手切れにただの仲良し趣味まで。この町ではそういう便利な扱いをされています。



「私は許可書を取れないんですよ」

「あぁ? なんか持ってんのかぁ?」
「いいえ」

お客様はとても驚いたような顔をしました。
仕事を探しに真衣詩町へ来る女性には、ほぼ当てはまることのない性サービスへの従事禁止の項目。
役所の人にも同じような顔をされたのを覚えています。


「あんた何があってここに来たんだ」

「何でもいいじゃないですか。お待たせしました、明太厚焼きですよ」
力一杯の営業的微笑みを添えて。




カラ カラ カラ
奥の襖が動く音がしました。

「はぁーっ、楽しかったぁ」
「今日も可愛かったよ店長。ちょっと長引いてしまったみたいだから、今日は帰るよ。支払いはいつも通りでね」
「ありがとー。すっごい良かったよハヤカワさん。また逢いに来てね」


寝室から出てきた店長は身体を擦り付けながら、ハヤカワ様は店長の腰に手を回して。

二人の歩く後の床に、少し湿った店長の純白の羽根が散らばっていきました。



「……あれで《少女》だもんなぁ。他の《少女》達とは別物だよなぁ」



そう。


店長は《少女》。

本来はこんな生き物ではない、はず。



欺いているのか、それとも。



二人が暖簾をくぐると、外は雨が降り始めていました。

店長はお店の置き傘を手渡して、外まで見送っていったようです。



「なぁ、あんたは。……あんたは、何だ?」



「死に腐れのただの畜生だと思いますよ」






雨の中、通りに向かっていつまでも手を振っている、その《少女》を横目に流しながら。


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