第四話 気に入らねぇ
第一章 入門編



 穏やかな陽光が降り注ぐ外とは対照的に、一階の昇降口は薄暗く、そして少し肌寒かった。

 学校の廊下と仕切られた横長の空間にはコンクリートが敷き詰められており、長方形の下駄箱郡が等間隔にいくつも設置されている。
 出入り口は四つ。そのいずれもが閉じられているか、もしくは半開きだ。日当たりが悪いのはこのせいだろう。
 さらに昇降口の片側の壁には、メーカーの異なる自販機が数台横並びに設置してある。生徒たちの数少ないオアシスだ。

 鹿賀達彦は、自販機付近に置いてある空き缶用ゴミ箱を苛立ち任せに蹴飛ばした。

「……クソッタレが」

 横たわったゴミ箱からボロボロと溢れ出す大量の空き缶には目もくれず、達彦は小さく毒づいた。

 その眉間には深い深い皺が出来ていた。鋭い目つきがさらに鋭利さを増し、剥き出しのナイフのような殺気を周囲に放っている。

 強い敵愾心と嫌悪感に満ちた表情だった。

 不意に、廊下側の離れた所からこちらを見ている男子生徒の存在に気づく。自分たちと違って詰め襟の制服を第一ボタンまでぴっちりと閉じており、頭髪も真っ黒。見るからに普通そうな男子だ。

 その男子は達彦の足元に散らばった大量の空き缶を見ると、何か言いたそうな顔をしながら非難がましい視線を向けてくる。「何放っといてんだ、お前が散らかしたんだろ。さっさと片付けろよ」そう言いたげに。

 だが、こんな弱そうな相手に「はいわかりました」と素直に従う達彦ではない。おまけに今は機嫌が悪かった。

 達彦はその男子へ目を向けると、その視線で射殺さんばかりに睨みをきかせる。

 それを受けた男子は一瞬ビクッと震えると、達彦から顔を背け、気まずそうな表情でそそくさとその場をあとにした。

「ネズミ野郎」

 そう吐き捨てる。

 そんな達彦を柄の悪い三人の男が不安そうな、怯えるような目で見ていた。
 着崩した制服。毛が伸びて黒の割合が増えたせいで中途半端な染まり方をした頭髪。三人とも同じような特徴を持っていた。

「か、鹿賀さん……今日はいい天気っスね」

 そのうちの一人が取り繕うような口調で言ってきた。天気のことを引き合いに出したのは、他に話題が思いつかなかったからだろう。

 いつもの達彦なら、生返事でもまともな返し方が出来るのだが――

「うっせぇよタコ。オメーはお天気キャスターか」

 虫の居所の悪かった今の達彦はウザったそうにそう返した。話を振ったその男は「ひっ、すんませんっ」と怯えを見せる。

 その反応を見て、あとの二人も余計なことは言うまいとばかりに口をつむぐ。

 達彦は、そんな三人を一瞥した。

 こいつらはダチでもなければ子分でもない。自分が『鹿賀達彦』であると知って以来、金魚の糞みたいに自分の後をついて回っている連中だ。

 自分はこの辺りでは「悪い方で」有名人だ。こいつらはおおかた、虎の威を借りようという腹づもりなのだろう。
  
 だが達彦は、そのことに対して鬱陶しいとは思っても、間違ったことをしているとは思っていなかった。

 むしろこの世の摂理を考えれば、正しいとも言える。

 どれだけ取り繕っても、人間というのは一種の獣に過ぎない。

 獣の世界は弱肉強食。強い者はとことん優遇され、弱い者はとことん冷遇される。

 強い獣は獲物を獲得する能力に長け、簡単に餌にありつける。
 そしてそんな強く、優れた一匹の元へのみ他の獣は集まり、盲従し、その一匹を頂点とした「群れ」と呼ばれるヒエラルキーが形成される。
 メスは優秀な子孫を残すために、強いオスとのみ交尾をする。
 食べ物。群れ。子孫を残す権利。
 力ある者のみが全てを手にする。そんな単純な世界だ。

 そしてこれは、人間社会においても同じである。

 優れた人間は特別。金、モノ、人望、女など、この世の幸福の全てを享受できる。

 だが劣った人間は、優れた人間以上の幸せを味わうことは永遠にない。

 そして、劣った人間が優れた人間の幸福に近づくためには、優れた人間に尻尾を振らなければならない。やたらとでかい会社に宮仕えしたがる就活生がまさにその典型だ。

 そして、この三人のやっていることもそれに当てはまる。

 中学時代に散々暴れ回ったせいか、この辺のチンピラは『鹿賀達彦』の名を耳にした途端、及び腰になるらしい。そんな人物のネームバリューを味方につければ、この辺ででかい顔ができるだろう。

 こいつらは自分につくことで、そんな欲望を叶えているのだ。

 正しい、利口な選択だ。
 
 こいつらには何の取り柄も無い。勉強でも、スポーツでも評価されなかった。

 自分たちのいるこの悪の世界では圧倒的に腕力がものをいう。それすらも弱く、自分には遠く及ばなかった。正真正銘の劣った人間。弱者だ。
 
 この三人は自分の気に障るようなことは言わないし、訊かない。誤って言ってしまったとしても、慌てて取り繕うように言葉を直す。 

 これこそまさに、弱者の取るべき態度の正しい見本だ。

 だが達彦の記憶には、その見本通りにやらない者が一人いた。

 その者のことを思い出すたびに、苛立ちが再発する。

 ――工藤要。

 男のくせに女みたいな顔立ちをしていたのがなんとなく印象的だったため、自己紹介の時から名前は覚えていた。

 男らしくないのは顔だけじゃない。体型も自分よりずっと小柄で細く、筋肉の膨らみが一切見られない。普通の奴でも分かるだろう。コイツはケンカが弱いと。

 それ以外に、取り柄となるものが一つも無いことも認めていた。

 自分にくっついてくる、このコバンザメ三匹と同じ弱者だ。劣った人間だ。

 ――だというのに、あのやたらと強気な態度はなんだ?

 ああいった手合いは大嫌いだ。
 あの威勢は、弱者が張っていいものじゃない。
 強気でいるのも自信を持つのも、優秀な、取り柄や才能のある人間にのみ許された特権のはずだ。
 なのにあのクソガキは何も持たぬ分際でありながら、強者の特権を振りかざしている。
 
 極めつけは、ついさっき教室で吐かれたあの台詞だ。



『取り柄の無い奴が、自信や勇気を持って何が悪い』

 
 
 思い出すたびに、もう一つ何かを蹴っ飛ばしてやりたい衝動に駆られる。 

 くだらねぇ。世の中を舐め腐ってるガキの吐く、便所のクソにも比肩しねぇ戯言だ。雑魚がそんな態度取ったところで、現実では何も得られねぇ。誰も見向きはしねぇ。

 あの小僧はそれをまるで分かっていない。

 能無しな上に無知なバカほど見ていて苛立たしいものはない。

 ――気に入らねぇ。

 奴のあの舐めた態度を、自分にへつらうソレへと是正させてやりたい。
 
「……あ、あのー…………鹿賀さん、ちょっといいっスか……?」

 不意に、三人の男のうち一人がおそるおそる訪ねてきた。さっきとは別の奴だ。

「んだよ」
「え…………いや、その……」

 達彦がぞんざいに返事をすると、その男はビクッとし、尻込みするように言葉を止めた。

「チッ……怒んねーから言ってみろ」
「あ……へい。えっと…………鹿賀さんはさっきのあのチビにムカついてんスよね?」

 男の問いに、達彦は無言でいることで是の意思を示す。

 男が口の両端を吊り上げてその先を続けた。

「――いい機会だからこの際シメちまいません?」








 ◆◆◆◆◆◆








 帰りのホームルームも終わり、自由になった生徒たちは、足音とおしゃべりを鳴らしながら二つの出入り口から外へ次々と出て行く。 

 窓から差し込む夕日。昼間は暖かかったその光も今はその強さを弱め、一年三組の教室に並ぶ机をオレンジ色へ染め上げている。
 
「よし、それじゃ行こうぜ」
 
 岡崎は帰る準備を終えた要と倉田の姿を確認すると、持っている手提げ鞄を肩に担いでそう促す。

 二人は軽く頷き、岡崎の後に続いて教室を出た。

 三人で夕日の差す廊下を歩いている最中、倉田が最初に会話を切り出した。

「なぁなぁ、これから三人でゲーセンでも寄らね?」

 「お、いいね」と岡崎。

「工藤はどうよ? 寄る?」
「いや、俺はいいよ。予定あるし」

 そっか、と残念そうに言う倉田。

 『開拳』の修行はかなり進みつつある。ここらで一気にラストスパートをかけて、早く次の技を教わりたい。

 易宝曰く、『開拳』を確実に打てるようになったら、次は発力の種類とその使い方を学ぶらしい。そしてそれらをある程度体に通した後、様々な実戦技法を学ぶのだという。

 具体的な内容は、やり始めてからのお楽しみとのこと。引っ張る人である。

「それにしても、今朝の工藤すごかったよなぁ。あの鹿賀にあそこまで堂々と意見するなんてよ」

 倉田の賞賛の言葉に、要はばつが悪そうにそっぽを向き、小さく返した。

「べ、別にすごくはないだろ……ただムカついただけだし」
「いや、ムカついたからってはっきり意見できる方がスゲーだろ。だってあの鹿賀達彦だぞ?」
 
 「あの」を強調した岡崎の口ぶりが気になり、要は追求する。

「こないだも聞いたけど、そんなに有名なのか、あいつは?」
「少なくとも、ここ潮騒町じゃ知らない奴はいないと思うぞ。あいつは「血染めの鹿賀」って呼ばれてるヤバい奴で、中二の時点で高校生の集団を一人で倒した事があるらしい。いつも着てる赤いシャツがトレードマークさ。そういや工藤、ここから駅四つの淡水中に通ってたんだっけ? なら知らなくてもおかしくないか」
「……聞くけど岡崎、「血染め」っていうのは、元々白かったTシャツが返り血で赤く染まっていったって話に由来してるワケ?」
「そうだけど。そこは知ってたのか」 

 要は苦笑する。どう聞いても誇張された噂にしか聞こえない。シャツ一枚が真っ赤に染まるってどんな血の量だよ。

「というかお前さ、そんな可愛いツラしてるのに、何でそんなにひねくれた口調なんだ?」

 岡崎が素朴な疑問、といった顔で要に問うてきた。

 …………これは少し、答えづらい質問だ。
 きちんと訳があるのだが、誰かに話したことは一度もない。自分的には少し話しにくいことだからだ。

 さてどう答えようかと考えていると、倉田が「おい」という警戒心に満ちた小声で二人の注意を促した。
 何事かと思い、二人は倉田の視線の先に目を向ける。そこは下に降りる階段だった。もうこんなところまで来てたのか、おしゃべりに夢中だった要は今頃そのことに気がついた。
 
 だが、そんなことは重要ではなかった。

 階段の前に立つ人物を見て、要の表情は緊張を帯びる。岡崎も同様だった。

 噂をすれば影とはよく言ったもの。そこには――鹿賀達彦と、三人の手下がふんぞり返って立っていたのだ。

 なんでこいつら帰ってないんだっ? 警戒心を携え、要はまばたきして再度達彦たちを見据える。

 達彦は静かな威圧感を秘めた無表情。
 三人の手下は企むようないやらしい笑み。そのうちの一人は口をクチャクチャ鳴らしている。ガムでも噛んでいるのだろう。

 そして、そんな計四人の視線は一点に――――要に向けて注がれていた。

 四人はヨタヨタとした変な歩き方でこちらへやってくる。

 近づくたびに徐々に強くなる人工的な甘い香り。要の嫌いな車の芳香剤と同じ類の匂いだ。

 四人は要の前まで来ると、扇状になって取り囲んできた。

 手下三人のうち一人が、噛んでいたガムを「ブッ」と自分の足元へ吐き捨てる。言いようのない不快感を感じた。

「工藤っつったな。テメーちょっとツラ貸せやコラァ」

 ガムを噛んでいた手下が、顔を斜めにしてこちらを覗き込みメンチを切ってくる。

 当然ながら、要は反抗した。

「はぁ? ざけんな、テメーらに貸すツラなんか持ってねーよ。どっか行けウスラバカ」

 それに便乗するように、倉田も口を挟んできた。

「そ、そうだよ! 工藤が何したんだよ? 確かにあんたらにはいろいろ言ったかもしれないけど、それだけだろ? 別に殴られたりしたわけじゃ――」

 言い切る前に、手下の一人が倉田の胸ぐらを掴み上げた。倉田は青い顔をする。

「るせェよチンカスが!! テメェに意見なんざ求めてねぇんだよ!! ナメたこと言ってっとぶっ殺すぞ!!」
「やめろバカ野郎!!」
 
 要は声を振り絞って怒鳴り、倉田に凄む手下を止めた。

「俺に用があるなら、相手にするのは俺だけにしろ。お前らが俺を連れて行きたいなら勝手に連れてけ。その代わり、この二人には手を出すな」
「……工藤」

 手下の腕から解放された倉田が呟く。岡崎も息を呑み、こちらを見守る。

「オラ、ならとっとと来いよチビ」

 手下の一人に、背中を蹴飛ばされて前へ追いやられる。

「いってーな、蹴んじゃねーよ」

 要は背中をさすりながら渋々前へ進む。

 そんな自分を逃がさないためか、達彦軍団が左右二人づつに分かれ、自分を挟みながら歩き出す。

 後ろを軽く振り返る。倉田と岡崎が心配そうにこちらを見ていた。

 そんな二人に後ろ髪を引かれる思いをしながらも、要は四人に連れられていった。




 その道中――達彦は終始無言で、要を親の敵のように睨み続けていた。








 ◆◆◆◆◆◆








 要が連れてこられたのは、校舎裏だった。

 錆だらけでボロボロの焼却炉、その下に広がる乾いた地面からは、ちっぽけな雑草が少数ながらポツポツと顔を出している。

 昼間は日向であるその場所も、今は太陽の位置関係上、影が薄暗く差している。そのため少し肌寒い。企みごとをするにはぴったりの陰気さが、今の校舎裏にはあった。

「…………こんなトコ呼び出して何する気だよ」

 要は平静を装い、四人に、特にリーダー格の達彦にそう尋ねた。

 先程は大口を叩いていたが、実は内心、かなり緊張していた。こういう連中のやり口は知っている。気に入らない奴を人気のない場所に呼び出して大勢でボコボコだ。

 もしそうだったら、蹴っ飛ばしてとっとと逃げよう。足の速さには自信があるし、いざとなったらイチかバチかの『開拳』をぶち込んでみるのもアリだ。

 だが達彦の答えは、想像とは少し違うものだった。

「――お前、俺とタイマン張れ」

 タイマン? 今のご時世で何を言ってる? 冗談かと思い達彦の顔を見たが、本人は本気の表情を浮かべていた。

「なんでそんなことしなきゃなんねーんだよ?」
「ほら、それだ。テメェのその態度が死ぬほど気に入らねえからだ」
「意味分かんねーよ。それとタイマンと、いったいどう理屈が結びつく?」

 要は顔を上げて達彦を睨む。少しだが上を向かなければその顔は見えない。やはりかなりの身長差だ。

「今朝も言っただろ? 俺はテメェみてぇな奴が大嫌いだ。取り柄や才能がなくても人間幸せになれる、そんな戯けた事を本気で信じていそうな奴がな」

 だが、と接続して達彦は続ける。 

「チャンスをやる。俺をぶちのめしてみろ。俺の取り柄は拳(こいつ)だ。拳を取り柄と謳うこの俺を同じ拳で打ちのめして、テメェの有能さを証明して見せろ。そしたらその態度で振舞うこと、認めてやるよ。だがもしそれが出来なかった場合、もう二度と俺の前でナメた態度はとるんじゃねぇぞ。こいつ等と同じように、低い態度で従順になれ」

 まぁ、無理だろうがな。達彦はそう話を切り、手下三人をチロリと一瞥。連中は達彦にへつらうような笑みを向けていた。

「アホくさい。誰がそんなもん呑むかよ」

 要はそう吐き捨て、きびすを返し、立ち去ろうとした。

 だがその瞬間――――背中に強烈な衝撃を感じた。

「かはっ…………!?」

 それを受けて要は一瞬咳き込み、今向いている方向へ勢いよく吹っ飛ばされ、うつ伏せに地面へ叩きつけられた。日陰に長く浸かった地面は冷たく、土の匂いがする。

 後方を振り返ると、達彦が右足を引っ込める動作の途中だった。蹴られたのだ。

 この野郎。要は達彦を睨めつける。 

「ほらどうした? 今お前蹴られたぞ? やり返せよ。そんくらいの度胸もねぇの? ハッ、テメェやっぱ口だけかよ。情けねぇタマ無し野郎が。それでも男かテメェ。それともあれか? ガンジー気取ってんのか? え?」

 達彦は嘲笑い、罵詈雑言を言い募ってきた。
 
 頭が怒りで急激に熱くなってくる。

 明らかな挑発。いつもならムカつきはするものの、なんとかあしらうことは出来るはずなのだが、いきなり蹴られた事実が心の中で油として溜まっていた。
 そこに挑発という火種を放り込めば、あとは燃えるのみである。

 要は勢いよく立ち上がり、持っていた鞄を脇に放り投げた。

「――この野郎っ!」

 眼前の敵を視界の中心に捉え、要は激情に任せて突っ込んで行った。



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