自分の中で完結してないだけで読めるっちゃ読める。
ポートマフィアを抜け出してから4年が経過した。最初の2年は太宰と共に地下に潜って経歴を洗い、それ以降はお互い別行動となった。ポートマフィアは結構な高給取りであった為、相当な金額が余っていた。貧民街で暮らしていた名残か、物欲もあまり無く必要最低限のものしか購入しなかった為、ここはパーッと使おうとそのお金で1年程日本各地を飛び回った。
1番私の印象に残っているのは山に囲まれ、遠くの方に海の見える田舎町に家を借りて1ヶ月程住んでいた時だ。織田作さんが見ていた夢を体験してみたく、筆を執ってみたが私には才能が無かったようだ。それからは外出が増えたのだが、借りた家の周囲には民家以外何も無く、ここに住んでる人達は全員車を使って移動をしていた。隣に高齢者の夫婦が住んでる方の車に乗せて貰い、スーパーに行ってある程度買い込みなんとか過ごしていた。乗せて貰った礼として、ご飯のお手伝いや家のお掃除のお手伝いをさせて貰うと、「いつもありがとね」と感謝され、一緒にご飯を食べさせて貰った。
田舎というのは繋がりというのが固いようで、私が越してくると皆がしきりに声を掛けてくれ、気に掛けてくれた。私が居た地域はそれなりに高齢者の方ばかりだったので、若い私の世話をたくさん焼いてくれた。夕飯の残り物だとか何かしら与えてくれ、よく食材やご飯を作る手間も浮いていた。その分を私も返そうと、足腰動かなくて出来ないと嘆いていた事を手伝わせて貰った。人と触れ合うのは尊い事で、誰かの為に何かをすれば喜んで貰え、なんだか良い気分になった。今まで他人を害して生きていたので、心の中がむず痒くなったものだ。会話する度、若い子にはこんな田舎退屈だろうといつも言われていたのだが、むしろゆっくり流れる時間が心を癒やしてくれて自分には合ってるように思えた。
まだあやふやだが、人の為に何かをしたい、というざっくりとしたやりたい事が見つかり、横浜に戻ってきた。この時はまだ住む家を決めておらずホテルを借りていたのだが、そろそろお金も尽きそうだったので、新しい場所で働こうと決意して社員寮がある事務員の求人を見つけ応募したら見事合格した。和服を着こなし威厳がある顔つきをした社長と面接をしたのだが、正直落ちたなと思っていたので夢のようだった。そのままホテルから社員寮に住ませて貰い、今に至る。
出勤初日、自己紹介をする為に皆に集まって貰った中に、まさかの顔見知りが居た。太宰だ。ごく稀に連絡などは取っていたのだが、近状報告などする関係性でも無かったのでお互いどういう生活をしていたなど全く以て知らなかった。互いが豆鉄砲を食らったような顔つきになり周りがざわめきながらもフルネーム程度の自己紹介を終え、解散の流れになった中前職は何をしていたのかと多方面から物凄い勢いで聞かれた。理由を問うと、社員の前職当てというのがあるらしく太宰の経歴が全く分からないから私なら知ってるのではないか、という発想になったらしい。「名前〜言わなくていいよ。それに、誰かに聞いて当てて嬉しいのかい?国木田くぅん」と1番私に迫り寄ってきた国木田という男に茶化すように声を掛ける太宰を見て、次のからかい相手は国木田さんなんだと心の中で合掌した。
この後中也とご対面するつもりだった
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