上映会。学校で行われる催しの1つだ。
体育祭や文化祭とは違い一応理解や学びを深める為の勉強として行われているので、ここで催しという言葉を使うのは些か疑問が残るが、一般的な学生からすれば学校以外の場所に行くという事は催しに入るだろう。映画館で映画を見るという内容も内容であるし、後々その映画を見てどう思ったかプリントに感想文を書くという宿題が出るだろうが、そんなの口から出任せに適当に違う言い回しの同じ文章を繰り返して文字数を稼げば大抵問題無い。こういった類いは内申点の観点からすればあまり内容は響かず、提出するか否かの問題であるからだ。本気になって書かない学生が大多数なのも無理は無いだろう。
名前は大変憂鬱な気持ちで家を出た。
通っている帝光中学校は学校から徒歩圏内の場所にあるのだが、今回学校側が指定してきた場所は数駅離れた映画館であるからだ。態々早起きしてお金を支払い恐らく時間帯的に満員電車の中無茶苦茶にされる事を想定して誰が行きたいと思うのであろうか。普通に体育館や視聴覚室を貸し切って1クラスごとに上映会を開けばいいものの。名前は悪態を吐きながら足取り重たく最寄り駅まで歩き、改札を潜る。
嗚呼、唯一褒めれる所は移動時間に本を読む事が出来るという所だろうか。名前は本という類いはそれなりに好きで、図書館で借りたり、帰宅途中の大きな本屋に立ち寄っては裏表紙のあらすじを読んで気になる本をなけなしのお小遣いで購入してみたり。お陰で購入した本は本棚1つを埋め尽くす勢いで色んなジャンルの本が収納されていった。
日中は勉学に励み、放課後は部活で忙しい。合間を縫って本を手に取るのだがどうしても時間というのは有限であり、あまり読み進める事が出来なかったのだ。そういった観点であれば電車通学というのは有り難いものかもしれない。最近購入した小説をスクールバッグの中に手を入れて小説を引きだし、栞を挟んでいた所のページを開く。

そうする事数分の事であった。乗車位置の先頭に立っていた名前は、時間通りに到着した電車の中を見ては思わず口角を引き攣らせた。
電車の窓が曇る程の湿気、ぎゅうぎゅうに押し詰められた人間。想像を遥かに超える電車の惨状に、思わず踵を返しそうになった。しかし時間をずらしたとしてもきっと同じ位の人口密度であろうし、数本見送れば遅刻を免れないだろう。皆勤賞を狙っている受験生としてはたかが満員電車で遅刻をするなど言語道断だ。名前は意を決してその地獄の中に自ら身を投じるのであった。

「うぅ…」
やっと解放された。やっとだ。何だこの惨劇は。グイグイ押してくる自分よりも体格の良い人間が名前の領地を踏みにじる。実際足を踏まれたり扉付近に立っていたせいかアメフト部でも入ったのかと思う位押され押され押しのけられ、ゆっくり出ればいいものの日本人の性格かそれはそれは遠慮無く押されて思わず躓きかけた。それを繰り返して漸く人が減って距離の近い人も減り、少し安息の地となったのだ。満員電車のお陰でセットした髪は乱れ、制服も少し皺が寄り既に精神が疲労困憊だ。手櫛で髪を整えてそれどころでなかった小説を手に取り文字を追う。この数駅分全く読む事はおろか取り出す事さえも出来なかったのだ、その分を巻き返す勢いで速読する。
左側の視界に人が立った。次の駅で降りる為に移動してきたのだろうか、特に興味も持たずに小説を読み続けていると、頭上から声が掛かった。
「あの、よく小説読まれるんですか?」
「え?」
黒いブレザーに臙脂色のネクタイ。頭1つ分高いその男の顔を見上げるように視線を追えば、整った顔立ちに特徴的な麻呂眉が一層際立っていた。
中学バスケットボール部には、キセキの世代と呼ばれる5人の逸材が存在していた。その上の世代である高校にも無冠の五将という世代が違えば彼らが逸材だと呼ばれていたであろう人物が存在していた。
その隠れた逸材の1人、”悪童”という名称で呼ばれている花宮真がそこに居た。
名前は一方的に彼を知っていた。何故なら中学バスケ部のマネージャーを務めているからだ。公式戦でベンチでサポートするのは少なくなかったが、彼の反応からしてマネージャーまでいちいち覚えていないようである。人当たりの良い笑みを浮かべたかと思うと、次には眉を垂らして申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「嗚呼、いきなりすみません。俺の周りに本を読む人が居なくて、つい」
この男が通っている霧崎第一という所は相当頭が良かったのでは無いだろうか?安直であるが頭の回転が速いような学校に通っていて周りに本を読まない人間が居ないというのもいささか疑問が残る。
「結構本は好きですよ」
「本当ですか?あまり語り合える人が居なくて…良ければお話相手になって頂けませんか?」
「構いませんよ」
どういった思考をした人間がラフプレーを引き起こすのか、単純に興味があった。ただの気まぐれに過ぎないが、名前はこの男の嘘に興じてみようと栞を挟んで本を閉じたのだった。