あー疲れた。着替えてリビングのソファに寝転んでしまったのがいけなかった。
昼食を作らなければいけないと頭で理解しているのに、体が完全オフタイムの時間に入ってしまい、諦めモードで袋詰めのお菓子を昼食に充てるという自堕落な生活を送る。
幼馴染みは何時に帰ってくるかも分からず作る相手は居ないので、どうしてもだらけてしまうのだ。体に悪い生活だと分かっていても、疲れた体では成すべき事を行う体力が残っていない。
今日は部活が午前練のみで、午後は予定が無い。午前のみで練習するとなれば効率が物を言うのでフルタイムよりもハードだ。マネージャーもその分速く仕事をこなさないといけない為、貴重な休みである午後も何も成す事は無く時間だけが過ぎてしまう。
とは言ってもただ寝て過ごすだけでは無駄にしてしまう気分だったので、今現在で身の回りで出来る事をしようとスマホでゲームアプリを起動しながら、撮り溜めしていたドラマを流す。
「うーん…」
タイトルだけ見て気になっていたドラマであるが、描いていた想像よりもいささか拙く私にはあまり合いそうも無かった。2話分だけ見てから全ての録画を削除し、現在放送されている番組で比較的面白そうなものを流しながら、スマホゲームに熱中する事にした。
「おい」
「んー?」
「髪切れ」
私の予定なんか聞こうともせず、最初から自分の予定を押しつける気満々でカットバサミをソファの前にあるテーブルに置くこの暴君は花宮真。私の隣に住む幼馴染みだ。
ドラマを流す前から隣の扉の開く音を薄ら捉えていたので、予定が無ければ此方に来ると予想していたが当たっていたようだ。
何かして欲しいと要望を持ってくるとは予想していなかったので、1日寛いで時間を潰す自分の考えは崩れ落ちる。まあ、予定を押しつけるのはお互い様なので今更気にするような事でも無いが。
「用意すんの手伝って」
「ん」
気合いを入れてソファから起き上がり、散髪の準備を始める。
元々面倒臭がりである私が、中学生の頃に前髪如きで美容室に行く時間が面倒だという理由で自ら散髪したのがきっかけであった。調べればある程度やり方とかが出てくるし、少し先を切るだけの前髪であればある程度誤魔化しが付く。
それが案外上手くいき、同じような価値観を持つ幼馴染みに目撃されてから頼まれるようになった。
「今日はどうすんの?坊主?」
「んな訳あるか。前みたいに全体的に短くしろ」
「ういーっす」
彼も彼で器用な為、基本的に前髪位であれば自分でやっているのだが、今回は全体的に短くしろという注文であった。成る程、私に頼る理由が分かった。
確かに後ろの方を自ら切るのは相当な技術が必要であろうし、ヘアアレンジを積極的に出来る女とは違って男であれば失敗すれば誤魔化しが効かない。在学中であれば尚更である。
余談だが、私も幼馴染みに散髪を頼む事があるのでwin-winだ。
ベランダに出て彼を椅子に座らせる。適当な布を首に巻けば簡易的な美容室の完成だ。
「それにしてもだいぶ伸びたねー女の子でもこれ位の子とか居そう」
「あ?」
「小さい頃よくまこちゃん女の子に間違われてたよね」
「ぶっ飛ばすぞ」
複数のヘアクリップを使い、彼の髪を押さえる。女顔負けのサラサラツヤツヤの髪を羨ましがりながら手櫛で梳かし、毛先にハサミを入れる。
最初の方は彼との会話を楽しんでいたが、失敗は出来ないと集中すれば口数が少なくなり、やがて会話は無くなった。人に髪を触られると眠気が襲ってくるタイプなのか、頭がこくりこくり動き始める。まあ彼も学生生活や部活でだいぶ疲れているのだろう。
最近眠りが浅くて疲れが取れにくいと零していたし仕方無い。グラグラ動く彼の髪を切るのは相当な技術を要したが、いつもより時間たっぷり使ってなんとか前髪以外は終わらせた。
「後は前髪だけ…」
彼の前に回って前髪に手を掛け切ろうとした、その時だった。
「あっ…」
や っ て し ま っ た 。
彼の体が一等傾き、手元が狂って思いっきり前髪を切ってしまった。血の気が引いて体が硬直してしまうのも無理は無いだろう、いつもの罵り合いなど比では無い怒りを確実にぶつけられる。彼の叱りは相当怖い。
運良くいつもより少し短い位であれと既に夢の中に飛んでいる下向き加減の彼の前髪を押さえてみるが、どう見たって長さが眉毛より上だ。どうにか誤魔化せないだろうかと試行錯誤するが、思いっきり真横に切ってしまったのでそれも難しい事を悟る。
「…どうしよっかな…」
やってしまったのは仕方無い。レアなものだと開き直って1枚撮影し、彼に気づかれるまで黙秘を貫こうとベランダの掃除に励むのであった。

あークソ眠い。花宮真は眠気でしょぼしょぼする目に目薬を差す。
散髪して貰ってる最中に眠ってしまったようで、変に睡眠を取ってしまった事により妙に怠い体を伸ばして払拭しようと試みるも失敗に終わった。
「まこちゃん疲れてるんでしょ、ちょっと寝たら?」
「こんな時間に寝たら夜眠れねえだろ。それに今日の飯当番は俺だ」
「あー、じゃあ今日は代わりに作ってあげよう」
「お前も疲れてんだろ」
「まこちゃんに比べたら全然だよ」
「バァカ、俺とお前では鍛え方も体力も違え。それに俺が自分自身の限界を把握してねえとでも思ってんのか?」
「まー…今日位甘えなさいって。うん」
妙に歯切れも悪く、目を合わせようとしない幼馴染みに疑問を抱くもソファに押しつけられ、彼女の違和感を追求する間も無く「1時間後に起こせ」と自分でも笑ってしまう程か細い声を出して夢の中に旅立った。

「まこちゃーん、まこちゃん、起きて」
「んー…」
「もうご飯出来ちゃったよ」
「…1時間で起こせつっただろ」
「起こしたらもうちょいって言って寝たよ」
「チッ…」
「どう?少しは熟睡出来た?」
「お陰さんでな」
皮肉たっぷりで返した返事を気にした様子も無い彼女に少し腹立たしさが沸き上がるも、毎晩眠っている時より深く眠れた事に違い無いのは事実であった。お陰で毎日残る気怠さが少し無くなり頭もスッキリしている。
ダイニングテーブルに並ぶ料理は自分の好みのものであった。別に美味いと申告した覚えも無いのだが、それなりに長い付き合いのある間柄であった故に言わずとも気づかれていたのかもしれない。
今日が何か特別な日とかでも無いのに、何故好物がこんだけ並んでいるんだ?
どういう風の吹き回しか知らない、何か意図でもあるのかもしれないしただ労ってくれてるのかもしれない。向き合って座る彼女の表情からは心情が読み取れず、内心舌打ちしながら料理を平らげた。
後片付けも自分がやると言って聞かない幼馴染みに甘え、彼女の部屋に行って窓を跨いだ。下でやけに物音がすると不審に思って顔を覗かせれば、母親が帰ってきていたらしい。こんな時間に帰ってくるなど珍しいものだ、台所に立っている母親に声を掛ければ漸く気づいたらしく、手を止め振り返ってはニコニコ笑顔を浮かべた。
「あら、真。ご飯もう食べた?」
「名前ん家で」
「あらそうなの?それにしても随分可愛らしくなっちゃったわね」
「は?」
「何でも無いわ」
手を止めていた包丁を動かしこれ以上何も言う事は無いと背中で語る母親の言う事が全く理解出来ないまま、自室に戻った。
幼馴染みの優しさに存分甘えさせて貰ってやる事も殆ど無い。今日は早く風呂に入って眠ってしまおう。
「…あ?」
脱衣所に入ってシャツを脱ぎ、散髪して貰ったお陰で妙に視野の広い中、鏡に映る自分を見た。
前髪が無かった。いや、あるにはあるがその長さはギリギリ眉上に被る程度の長さしか存在していなかった。
「あのクソ女…」
当番でも無いのに料理を作ってくれた妙に優しく余所余所しかった幼馴染みや、先程の母親の発言。頭の回転がすこぶる速い彼は、ほんの数秒で不自然の塊だった全ての事柄に合点がいく。
「絶ッ対…絶ッッッ対許さねぇ…!!!」
シャツを脱ぎ上半身裸だという事すら気に留めず、そのまま花宮は自室へと駆け込み隣の家の窓を力のままに開ける。
「おい!!!!このクソ女!!!!」
「あ、やべ…服着ろよ!!!」
「ざけんな!!!んだよこの前髪!!!」
「まじでごめん」
「許すかクソが!!!そこ座りやがれ!!!!」
「待って待ってまじごめんって、ほんと許し、ちょ、ぎゃああああああああああ」
その日、名前の叫びが木霊した。

次の日、道連れにしてやると花宮真に切られ、眉上になった前髪を見た名前の顔を、高尾が見るや爆笑して過呼吸になった。

ぱっつんの真君
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※肌色注意