花宮真は好きという感情を知らなかった。そもそも知ろうとも思わなかった。
街中が騒ぎ立てるようなものでは無いが、学校やクラスメイトがざわつく程度には顔が良かった。テレビの画面越しに見るイケメンではなく近場に居るイケメン、そんな感じの立ち位置。猫被りも相まって顔も性格も良い花宮真という上っ面に惚れた名前も顔も知らない先輩や後輩、ちゃんと把握していないクラスメイトにまでよく呼び出されては告白され、毎回部活が忙しいからと建前を使って断る。何故今まで関わった事もない知らない人物が自分の事を好きだと言えるのか逆に関心を持ったものだ。
1つ厄介だったのが、何処から聞きつけたのか分からないが1つ上の糸目で眼鏡を掛けた先輩に毎度からかわれた事であろうか。それもその彼が卒業し、現在高校1年の立場となった花宮はからかってくる相手が居なくなったので精々していた。

花宮にとって恋愛真っ只中の連中は「イイ子ちゃん」に分類されていた。
彼は努力や信頼、信用といった言葉を多用している人間が嫌いで、そういった綺麗な青春している奴らの歪む姿が大好物であった。故にたまたま入っていたバスケットボール部を今でも続け、その頭脳を使って相手を潰す。
恋愛に関しても似たようなものであろう。好意や信頼、信用といった感情を持ち合わせ、相手に好きだの何だの甘い言葉を囁く。それも別の異性にも使っているのを目撃した事だってあったし、花宮の上辺だけの性格を見て勝手に惚れられる事だって1度や2度ではない。浮気や不倫をしては相手の歪む顔を見るのも一興だと思ったが、コート外では暴力沙汰になりにくい部活とは違っていつでも何処でも相手が殴りかかってきやすいものだと理解していた。花宮の周囲はあまり良い人間は近づいて来ない為、女遊びの激しい人間を見て学んだのが8割、話かけられ対応していたら浮気だと勘違いされて面倒事に巻き込まれた2割程。毎回花宮の口八丁で相手の誤解は解いて円満に解決していたが、自分からけしかけて歪む顔を見るのは好きであっても全く関係無いような事で巻き込まれるのは正直御免だ。
恋愛などくだらない。脳の伝達信号が勝手に送り込んだまやかしに過ぎない、だから吊り橋効果といったものが存在しているのだと思っていた。
思っていたのだ。

いつもの時間、いつもの乗車位置。花宮は通勤する為にすし詰めにされている電車に乗り込んでいた。
花宮が通学する時間帯はいつも混み合っている。パーソナルスペースが広い狭いなど言っていられない程に距離を詰められる。それも毎日通っていれば慣れたもので、数駅我慢すれば残り数駅は人が徐々に減っていくと理解していたのでそれまで我慢して耐えた。人がベタベタ触っている吊革を持ちたくない主義でなんとか踏ん張って耐えていれば、花宮を乗せた金属の箱は強く揺れてバランスの崩した周囲が寄りかかってきたり足を踏まれる。思わず舌打ちが零れそうになるがグッと我慢して、花宮はただ早くこの満員電車から解放されたい気持ちでいっぱいであった。
「はぁ…」
漸く解放された。ある程度緩和されたという程度であるが、通路に人が通れる程度には人が降り立ったので良かったと一息吐いた。全く、毎日の事でありながらもよく我慢出来たものだ。学校の最寄り駅までまだ多少の時間がある為、部活用のエナメルバッグから読みかけの小説本を取り出し、視線を左側に配った時であった。
「は…?」
1つ向こう側の扉付近、座席の1番端の前に立つ女に目を奪われた。
手に持っている小説に視線を落としているそこら中に居るであろう特に変哲も無い女だ、その女に対して花宮は知らない感情が芽生えた。心臓が高ぶってじわじわ耳や首が熱くなる、視線は彼女から逸らす事など到底出来なかった。
感情は到底追いつく事は出来なかったが、頭の良い花宮はなんとなく理解した。「俺はこの女に堕ちた」と。
こんな女この時間帯で見た事無い、これが最初で最後のチャンスかもしれない。花宮は意を決して彼女の近くまで移動して観察する。彼女より頭1つ分大きい花宮は、彼女の視界に入るには屈むか彼女が上を見上げない限り顔を見られる事は無い、それを利用して小説を読んでいるフリをして彼女を観察する。
紺色のスカートに白いブレザー。胸元には「帝光」という文字が刺繡されているのを確認して矢張りそうかと合点がいった。遠目から白いブレザーを見てはもしやと見当をつけていたが、予想の範囲内であった事に花宮は少し優越感に浸った。まあ、この一帯の地域ではスーツの人間じゃない限り学生で白ブレザーが制服なのは帝光中学校しか居ないのであるが。
新品とは言い難い使い慣れてある所からして、中学2年か3年であろうか。学年を示す為にライン線が微妙に異なっていたりする学校もあるが、帝光には一貫して同じ見た目のようでそういった分け方は存在しない。外見で年齢を判断する事は出来ないかと次に荷物を足元に置きながら小説のカバーをさりげなく覗き込んだ。
嗚呼、あの小説か。その小説は至ってオーソドックスなもので、好き嫌いもあまり無いだろう初心者には読みやすい代物であった。随分昔に読んだ事があるとあらすじを思い出す。
「あの、よく小説読まれるんですか?」
「はい?」
「嗚呼、いきなりすみません。俺の周りに本を読む人が居なくて、つい」
花宮は人当たりの良い顔を浮かべて、彼女に話しかける事を決意した。内心心臓バクバクで口から出そうな程ド緊張していたが、今までの通り至って普通に話しかけれただろう。
これからどうやってこいつを堕としてやろうか。花宮は頭の中で速やかに計画を立てるのであった。