村社の上司である坂口安吾は喫煙者である。
政府機関には喫煙ルームといった場所が決まったフロアに設けており、仕事が一段落付いた時や空いた時間があればよく彼は喫煙ルームを利用している。喫煙頻度はそこまで高く無いのでヘビースモーカーとまではいかないが、彼にとって嗜好品の1つであろうそれは出先の喫煙所や車の中などで吸っている姿はよく見ている。
そんな彼が、唯一決して吸わない場所がある。
「ぶえっくしょい!」
「何ですかそのくしゃみ」
「さーせん」
「もっと女性らしくしなさい」
「ういっす」
彼の同期である名字名前の周囲や目の前では吸った所を見た事がない。
彼女が居る所であれば、煙草を取り出す素振りも喫煙所に行く事も車で吸う事も無い。何なら、例え煙草を吸い始めた時でも彼女を目視した途端必ず火を消すのだ。非喫煙者には配慮しているのかと思いきやそうでもない、彼女以外の前では非喫煙者であろうと一言断ってから火を付けている所は何度も見ているからだ。
何故彼女の前では吸わないのだろうと村社の心中は疑問で支配されていた。

別日、煙草を吸っている安吾に仕事の案件で話があったらしく、資料を片手に名前が駆け寄ってきた。
安吾の対面、背後を見渡せる位置に居た村社は名前の接近に気づいていた。両手に抱えてる紙の束を見るにきっと上司に用でもあるのだろうと推測を立てた。実際それは当たっていたらしく、「おーい安吾―!」と叫ぶ名前は上司に一直線に走ってくる。安吾自身は背後から近づいて来た彼女の接近に気づく事は無かったので未だ手にあるのは火のついた煙草。安吾は名前の声を認識した途端に火を消そうとするのだが、先に反応したのは名前であった。
「あ、ごめん煙草吸ってた?急いでないから後で善いよ〜」
「すいません、後ほど伺います」
「ほーい」
名前とこちらの距離はだいぶ空いたまま近づいて来る事も無く、そう云って名前は踵を返した。
「先輩、何の用だったんだろ」
「彼女のパターンは大体2つです。報告書の提出か尻ぬぐい。急いでないと云ってましたし恐らく提出の方でしょうが…とにかく、後者でない事を祈ります」
「あー先輩色々トラブルメーカーっスからね」
「同僚として否定してあげたい所ですが、残念ながら出来ませんね。」
云い方を変えれば、それ程安吾は仕事面で頼られてるという事である。ただ安吾も立場上人一倍忙しい身である為、彼女の尻ぬぐいで残業をした日は両手で数えられない程であろうからそろそろ労ってあげて欲しいものだ。
「はぁ…そろそろ行きますか」
吸い殻を灰皿スタンドに入れ、哀愁漂わせながらパタパタとスーツを叩く安吾の背中を村社は追いかけた。
「お待たせしました。で、用件とは?」
「書類の提出でっす。安吾の机に付箋貼って置いといたよ。お願いしまーす」
「はい、承りました」
自分のデスクに座ってる名前に態々用件を聞きに往き、ほっと胸を撫で下ろしながら業務を遂行する安吾に村社はいつも疑問に思っていた事を聞いてみる事にした。
「先輩って、名前先輩の前だと煙草吸わないようにしてますよね」
「そうですね」
「何でっスか?」
ずっと疑問に思っていた問いに答えが出る事に村社は胸が高鳴った。顔色1つ変えないままパソコンに視線を注ぐ彼の横顔をじっと見つめながらワクワクした表情を浮かべて言葉が発されるのを待った。
「彼女、煙草の匂いが苦手なんですよ」
「へ?」
「異能力の副作用と云えば善いんでしょうか。常人より少し鼻が利くのであまりそういったのは得意じゃないらしいんです」
「へー意外」
ずぼらな人だと思っていたが、案外そういった所は敏感なのか。村社は手を抜いてぐでんとしてる名前を見つめていれば、やがて視線に気づいたのか慌てて状態を起こして仕事を取り組んでる風に見せる名前を見て、笑みが零れる。
「それに、必要以上にこちらに来ない彼女がいつも以上に寄って来なくなるんで」
「何か云いました?」
「いえ、何も」
いい加減禁煙でもしましょうかねぇ。そう云う安吾に村社は躰の為に禁煙した方が善いと同意したのであった。