初対面

昨日、俺の監視役が「明日からは別の者が担当になる」と言ってきた。そのとき俺は読書中で、聞いてるか聞いてないか分からなかったのか、何度も同じ事を言うそいつに少し苛立ちを感じながら「聞いている」と適当に返事すれば、それについては何も言わなくなったのだが、勝手に抜け出すような事はするなとぐちぐち文句を言い出す。嗚呼、雑音のせいで本が集中出来ず、思わず舌打ちが出た。担当が変わろうが別に興味は無い、ただ自分はやりたい事をやるだけの事だ。

「こいつが今日から担当になる」
「初めまして、今日から担当になりました名字名前です。宜しくお願い致します。」
そして本日、新しい担当だという者は、前の担当と共に来た。別に監視役が誰がなろうが大して興味は無いので、本に視線を落としながら名前を把握する。声からして女だろう、前任の男のように高圧的で怒鳴り散らすような奴でなければまあ良いのだが。「くれぐれも迷惑掛けるなよ」とどちらに声を掛けてるのか分からない言葉を吐いて男は出て行った。取り残された女は、玄関の前から動こうとはしなかった。本から視線を逸らし、そいつの姿を視界に入れた時、初めて女の顔を見た。
糸のようにきめ細かい黒髪が朝の太陽を反射してキラキラ輝き、長い睫に縁取られた燃えるような赤い瞳は何の感情も映すことは無い。陶器のように滑らかで白い肌、化粧をしているのか頬は少し色付き、ふっくら桜色をした艶やかな唇は噤んでいる。皺一つ無いピシッと着こなしたスーツから伺い知れるすらりとした長い手足。浮世離れしたような佇まいに、思わず視線を逸らす事が出来なかった。ほう、これは中々上玉ではないか。趣味で集めているドールを見ているかのように、ついまじまじと女を観察してる間も、ただ無表情でその場に立っていただけだった。本当にコレクションのようだ、探せばこの女に似た物を持っているかもしれない、たまには特務課も良い仕事をする。
「何か」
「否、何でも無い。所でそこで突っ立って何をしている。」
「私の仕事は監視なので。」
「…前の担当役はもっと適当に動いてた」
「成程、詳細は教えて頂けませんでしたので、ここで見ているだけなのかと。」
「…」
どうやらあの男は職務怠慢をしているようだ。まあ、なんとなく予想はついていたが。何も言わないと本当に突っ立ったままな気がするので適当に指示を出す事にした。
「おい、コーヒーを淹れろ」

「…なんだこれは」
「何って、コーヒーですが。」
「これは黒い色をしたお湯だ。」
「上手くいったつもりだったのですが…」
「…」
全く動くことのない表情筋からは計り知れないが、雰囲気的に少し落ち込む女に、これは無いと言いたい。見た目はコーヒーの色をしているにも関わらず、本当に味が無いのだ、これはむしろ一種の才能だ。全く、豆を無駄にしてしまった、ここは自分で淹れるしか無い。1つ溜息を零し椅子から立ち上がれば、女は俺の後ろに着いてきた。律儀に俺の監視をしているのだろう、前の男は「お前の命はこちらに主導権がある」と豪語し、家主を差し置いてふんぞり返っていたというのに。いや、主導権の話は全員が全員言っていたな。俺を脅そうともせずにただ監視を遂行しようとするだなんて、律儀な奴だ。コーヒーの器具を扱う俺の手元を身を乗り出してじっと見る女に「火傷する」と声を掛ける。なんだ、これでは俺がこいつのお守をしているようではないか。全く、どちらが監査対象だか示しがつかない。今までの引きが悪かったのか何なのか、俺の監査役というのは初日で異動を申し出るか、もっと上から物を言うような奴が多かったというのに、こいつは今までの奴らに当て嵌まらないようだ。俺が面倒を見ないといけない予感がするが、今回は比較的マシな人間を引き当てたようだ。
「見てて楽しいか」
「はい。こういう物は使った事は無いので」
「使った事が無いのに自信があったと?」
「はい」
「…」
前言撤回、こいつはただ何も考えてない度を越した莫迦だ。
これが名字名前との初対面である。