七海はもう新聞を閉じて、テーブルの上に置いている。
けれど、立ち上がるわけでもなく、ただそこにいた。
私はその肩に軽くもたれたまま、画面を見ているふりをしていた。
「……眠くありませんか」
低い声で問われる。
「今日は、あんまり」
それだけのやり取りで、空気が少しだけ変わるのがわかる。
七海は小さく息を吐いて、こちらを見た。
「……そうですか」
距離は、最初から近かった。
でも今は――意識して、詰められている距離だった。
視線が、合う。
ほんの一瞬、どちらも動かない。
……先に動いたのは、私だった。
ほんの少しだけ、身を寄せる。
七海は、拒まない。
代わりにゆっくりと、こちらに顔を寄せてくる。
唇が、静かに触れる。
短く、軽いキス。
確かめるだけの、挨拶みたいな触れ方。
すぐに離れる……はずだった。
でも――離れなかったのは、私の方だった。
もう一度、軽く。
今度は少しだけ、角度を変えて。
私の方からそっと、唇に触れる。
七海は一瞬目を伏せてから、低く息を吐いた。
「……」
言葉はない。
でも今度は――七海の方から、もう一度。
さっきより、ほんの少しだけ長い。
深くはしない。
ただ、ちゃんと返してきているのがわかる時間。
それなのに、胸の奥が、まだ足りないみたいにざわつく。
私は気づいたら、七海の服の裾を掴んでいた。
……離したくなかった。
そのまま少しだけ、体を寄せる。
七海の胸に、額が軽く触れるくらいの距離。
顔を上げて、そのままもう一度、キスをする。
今度は、私の方からはっきりと。
「……もう一回、いいですか」
自分で言ってから、少しだけ鼓動が早くなる。
七海は私を見下ろして、ほんの一瞬ためらうような顔をした。
それから、低く息を吐く。
「……今日は、随分と……」
言い切らないまま、視線が外れない。
次の瞬間、七海の方からキスが落ちてくる。
さっきよりも、明らかに長い。
深くはしないのに、もう「挨拶」なんて言えないくらい、はっきりしたキスだった。
背中に回された腕に、さっきより少しだけ力がこもる。
引き寄せられて、距離がほとんどなくなる。
私はそのまま、逃げずに応えてしまう。
離れて、また触れて。
短いキスが、いくつも静かに重なる。
今度は、私だけじゃない。
七海の方も、はっきり返してきているのがわかる。
呼吸が、少し近い。
私は調子に乗ったまま、七海の胸元に手を伸ばして、もう一度キスをねだるみたいに顔を寄せた。
「……七海さん……」
声が少しだけ、甘くなっているのが自分でもわかる。
七海は一瞬だけ、動きを止める。
それから――また、キス。
さっきより、ほんの少しだけ強く。
抱き寄せる腕も、はっきりしている。
短いキスが、いくつも重なる。
頭が少しだけ、ぼうっとする。
……このままでもいいんじゃないか、なんて、そんな考えがよぎったそのとき。
「……」
七海は突然、私の額に自分の額を軽く当てて、動きを止めた。
距離は、近いまま。
呼吸も、近いまま。
でも、それ以上来ない。
低く、少し苦しそうな息。
しばらく、言葉が出ないみたいに、沈黙が落ちる。
それから低い声で、噛みしめるように言った。
「……今日は」
視線を逸らさずに。
「……このまま、休みましょう」
その意味を、私はちゃんと理解してしまって、胸の奥がじんわり熱くなる。
それでも、頷く。
「……はい」
七海は立ち上がって、私に手を差し出す。
さっきより少しだけ、強い仕草。
その手を取ると指先に、きゅっと力がこもった。
私たちは、言葉を交わさないまま、寝室へ向かう。
部屋の灯りが、静かに落ちる。
寝室のドアが閉じられた音だけが、あたりに小さく響いた。