5.なにかが変わった日

洗面所から戻ると、キッチンではもう七海がフライパンを温めていた。
部屋着のまま、いつも通りの動き。
なのに昨日までと、ほんの少しだけ違う気がする。

「何か手伝います」
「では、皿を出してください」

言われた通りに棚を開けて、食器を取り出す。
キッチンは二人で立つと、少しだけ狭い。
それでも七海は特に気にした様子もなく、フライパンに卵を落とす。
私はそのすぐ横で、サラダ用の野菜を洗う。
気づくと、距離が昨日より近い。
肩が、軽く触れる。

「……」
「……」

どちらも、何も言わない。
七海は少しだけ体の位置をずらすけれど、離れるというより、ぶつからない位置に調整しただけという感じだった。
それでも私は無意識に、七海の方へ寄ってしまっているらしい。

「……近いですよ」

前を向いたまま、七海が言う。

「すみません」

そう言いながらも一歩も下がらない私に、七海は一瞬だけ言葉に詰まったようだった。

「……いえ。作業に支障がなければ、問題ありません」

そう言って、何事もなかったように調理を続ける。
でも。
そのまま私の肩に、ほんの少しだけ、七海の腕が触れたままになっている。
離れない。
私もあえて、離れなかった。
フライパンの上で卵が焼ける音と、トースターの小さな音。
その間に私たちは、ほとんど言葉を交わさなかった。
でも不思議と、気まずさはない。

「……コーヒー、淹れます」
「お願いします」

私が後ろを通ろうとすると、七海は自然に少しだけ体を引いてくれる。
その動きがあまりにも当たり前みたいで、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
マグカップを取り出していると、背中にまた七海の気配が近づく。
今度はほんの一瞬だけ、腰のあたりに手が添えられた。
――通るために。

「……失礼」

それだけだった。
それだけなのに、心臓が少しだけうるさい。
朝食が出来上がって、テーブルに並べる。

「いただきます」
「ええ」

向かい合って座りながら、私は思う。
昨日までと、何も変わっていないようで。
でも、キッチンでの距離とすれ違うときの手の位置と、肩が触れたままになっていた時間が。
確かに、少しだけ違っていた。
七海は、相変わらず何も言わない。
私も、何も言わなかった。
食事の途中ふと顔を上げたとき、七海と目が合った。
ほんの一瞬。
すぐに逸らされるかと思ったのに、今朝はなぜか、そのまま視線が外れない。

「……何ですか」
「いえ……」

そう答えながら、私の方が先に目を逸らす。
でも、頬が少しだけ熱い。
七海は何事もなかったようにコーヒーを口に運ぶけれど、カップの向こうから向けられていた視線は、さっきよりもほんの少しだけ、柔らかかった気がした。

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