21-1.欲しいと言えるまで@

 店の前で、リョウの足がわずかに止まった。
 ほんの一瞬の躊躇いだったが、五条はそれを見逃さなかった。リョウはガラス越しに並ぶリングを見て、すぐに視線を逸らしてしまう。

 ——やっぱり。

 ちゃんと見る前に、距離を取る癖が彼女にはある。
 普段の行動を見ていてもそうだ。まるで一番欲しいものは、自分には相応しくないものかのように振る舞う。
 謙虚と言えば聞こえはいいが、自分を低く見積もってないがしろにするような行為は、五条からは見ていてどうにももどかしいものがあった。

 小さく笑いそうになるのを抑えながら、そのまま扉を押す。

「入るよ」

 振り返らずに言えば、少し遅れて足音がついてくる。
 逃げはしないが、一定のライン以上は踏みこんでこない。その中途半端な距離感が、いかにもリョウらしいと五条は思った。

 店内は静かだった。柔らかな照明に照らされたガラスケースの中で、指輪が整然と並んでいる。
 細身で装飾のないもの、表面に細かなカットが入ったもの、つやを抑えた落ち着いた質感のもの——どれも主張は強くないのに、確かな存在感を持って輝きを放っている。

 リョウの視線が値札に触れて、すぐに逸れる。その動きに、五条は確信する。

 ——あ、もう“これでいい”に入ってる。

 案の定、少ししてリョウが指さしたのは、いちばん無難なリングだった。
 細く、なめらかな表面で、余計な装飾のないもの。どんな場面にも溶け込む、いわば“間違いのない”選択だ。

 それ自体が悪いわけではない。そうするのが必要な場面もあるし、その選択が最良な場合もある。なにより、そうしたいのならそれで全く構わない。
 けれど——リョウにとってはそれが一番の選択ではないだろうことは、容易に想像がついた。

「……ねえ」

 すぐ隣で声を落とすと、リョウの肩が小さく揺れた。

「それ、一番欲しいやつじゃないでしょ」

 リョウの視線が、戸惑いに揺れる。
 反論できずに言葉に詰まっているようだった。わかりやすい反応だ。

「……いえ、その……」
「“これでいい”ってやつ、やめなよ」

 最良の選択をしてほしいとは思うが、それはあくまでこちらの希望だ。だから強くは言わず、逃げ道を残した言い方をした。
 だが、あまり柔らかい言い方をしても、リョウのような人間には効果が薄いだろうとも思う。
 だから少しの沈黙のあと、五条は肩をすくめて言った。

「……決めた。今日は、リョウを甘え上手にしよう」

 リョウのぽかんとした顔に、五条は喉の奥で笑う。

「……なんですか、それ」
「そのまんまだけど」

 軽く返して、ガラスの中へ視線を戻す。

「このままだとさ、どうせ遠慮して、無難なの選ぶでしょ」

 リョウは否定しない。できないだけかもしれないが、それで十分だった。

「僕、大抵のことなら叶えられると思うけど?」

 五条はさらりと言ってのける。聞く人間によれば、ある意味刺されそうな台詞ではあるが、彼にとっては単なる事実を言ったにすぎない。

「なのに遠慮されるの、普通に意味わかんないんだけど」

 その言葉に、リョウの指先がわずかに強張る。普段から五条に接していて、よくわかる意味合いを持ってその台詞は彼女に響いた。

「ほら」

 五条はリョウの背中に軽く触れて、さっき一瞬だけ目を留めた方へ、視線を誘導する。
 その先には、少しだけ幅があって、表面に細かなカットが入ったリングがあった。
 光を受けるたびにやわらかく表情を変える品物で、見たとき一瞬彼女の目が見開いて輝いていたのを五条は見逃してはいなかった。

「ほんとはどっちが欲しかった?」

 沈黙が落ちる。口に出すことも恐らく難しいことはわかっている。だけど直面させないことには始まらない。

「……どっちでも」

 リョウが言いかけたところで、

「それ、禁止」

 五条は静かに遮る。

「“どっちでもいい”は甘えてない」

 やわらかく言う。追い詰めるためではなく、選ばせるためだ。リョウの視線が揺れる。ガラスの中のリングを、もう一度見見返した。

 ——ほんとは。

 リョウが最初に目を奪われたのは、こっちだった。綺麗だと思った。欲しいとも思った。ただ、それを口にすることが怖かっただけだ。

「……こっち、がいい、です」

 小さな声だった。でも、確かに自分で選んだ言葉だ。五条は短く頷く。

「うん、それでいい」

 店員を呼ぶ。

「これください」
「え、ちょ……」

 慌てた声が間に入る。

「なに」
「そんな簡単に……」
「簡単じゃないよ」

 軽く言って、それから少しだけ間を置く。

「リョウが選んだんだから」

 その言葉に、リョウの呼吸が止まる。ふ、と五条からはやわらかく吐息が漏れた。
 店員がリングを取り出す。白いトレーの上で、リングがさっきよりもはっきりと光を返す。

「貸して」

 自然にリョウの手を取る。指先で何回かする、と薬指を撫でた。少しだけ五条の温度が移る。
 そのまま、ゆっくりとリングを滑らせた。華奢な関節を通って、ぴたりと収まる。まるで、最初からそこにあったかのように、リョウの指に馴染んでいた。

「……うん」

 目を細めて小さく息を吐く。

「似合う」

 五条はそれだけ言った。リョウは、何も言わずにただ、リングがはめられた指を見ている。
 戸惑いと、少しの覚悟と、それから——隠しきれない喜びを滲ませながら。

 リョウの様子を横目で見て、五条はわずかに口元を緩める。気づかれない程度のそれでも、隠すつもりはなかった。

 ——ああ、これでいい。

 そんなふうに思っていることが、滲むような表情だった。