11.かわいいあのこがおきにいり

昼休みの談話室は、いつもより少し騒がしかった。
開け放した窓から入る風にカーテンが膨らみ、廊下の向こうから誰かの話し声が聞こえてくる。五条はソファに長い脚を投げ出しながら、コンビニで買ってきた菓子パンの袋を開けていた。
向かいでは夏油が本を読み、少し離れたテーブルでは、陽毬が灰原と何か話している。聞くつもりはなかったが、耳に入ってきた言葉に、五条の手が止まった。

「水族館?」

思わず声を出すと、陽毬が振り返った。

「え?」
「今、水族館って言った?」

突然会話に割り込まれて戸惑ったのか、陽毬が目を瞬かせる。

「……はい。駅で広告を見かけて」
「行きてーの?」
「えっと……」

陽毬は手にしていた紙パックのジュースへ視線を落とした。

「ちょっと、行ってみたいなって」

それだけだった。だから五条も、ほとんど何も考えなかった。

「じゃ、俺と行こーぜ」
「……え?」

今度こそ、陽毬の動きが完全に止まった。五条は構わず菓子パンをひと口齧る。

「いつ行く?」
「え、あの……」
「今週は俺、土曜空いてるけど」
「ちょ、ちょっと待ってください」

ようやく陽毬の思考が追いついたらしい。慌てたように両手を上げる。

「なんで五条先輩と行くことになってるんですか?」
「俺が誘ったから」
「そういうことじゃなくて……!」

何がおかしいのかわからず、五条は首を傾げた。陽毬に行きたい場所がある。そして自分は陽毬と出かけたい。だったら、一緒に行けばいい。それだけの話だった。
以前なら、こんなふうには考えなかったかもしれない。陽毬が自分の前で身を固くしていた頃なら、誘ったところで困らせるだけだということくらい、今の五条にはわかる。
けれど、最近は違う。話しかければ普通に返事をする。隣に座っても逃げない。時々笑うし、くだらないことで困った顔もする。昨日なんて、自分から菓子までくれた。だったら。

(もういいだろ)

少しくらい、自分から近づいても。五条はそう思っていた。

「嫌?」

そう尋ねると、陽毬が黙った。五条はその顔を見る。ほんの少し伏せられた目。膝の上で所在なさげに動く指先。以前なら、それだけで怯えているのだと思った。
けれど今は、少し違うことがわかる。逃げたいときの顔ではない。ただ、困っている。それから――たぶん、照れている。その違いがわかるようになったことが、少しだけ嬉しかった。

「嫌ならやめるけど」

そう言って、五条は残っていた菓子パンを口に放り込んだ。無理に答えを迫るつもりはなかった。行きたくないなら、それでいい。ただ、自分は一緒に行きたいと思った。それだけは変わらない。
陽毬はしばらく黙っていた。やがて、おそるおそる顔を上げる。

「……嫌じゃ、ないです」
「じゃ、行こーぜ」
「まだ最後まで言ってません」
「何?」
「……」

陽毬が困ったように眉を下げる。けれど、その口元にはほんの少し笑みが浮かんでいた。

「……行きたいです。私も」

はにかみながら言われたその言葉に、一瞬、五条は何も言えなくなった。思っていたより、真っ直ぐ胸の奥へ入ってきたからだ。自分が誘ったから仕方なく、ではない。陽毬自身が、一緒に行きたいと言った。

「決まりな」

それだけ返して、五条はテーブルの上のジュースへ手を伸ばす。多分、普通にしていたつもりだった。

「悟」

向かいから声がする。見ると、本を読んでいたはずの夏油が、ページの向こうからこちらを見ていた。

「何」
「顔」
「は?」
「すごく嬉しそうだけど」
「うるせぇ」

即座に返す。その横で、灰原が何かを察したように「あっ」と声を上げた。

「それってデートですか?」
「灰原くん!」

陽毬の声が裏返る。談話室の空気が、一瞬だけ止まった。

「……デート?」

陽毬が確認するように、小さく呟く。五条はそんな彼女を見た。耳まで赤くなっている。どうやら今まで、ただ一緒に水族館へ行く話だと思っていたらしい。

(なんだそれ)

妙に可笑しくなって、口元が緩む。

「そーじゃね?」
「えっ」
「俺、お前のこと好きだし」

今度は、本当に誰も喋らなかった。陽毬が目を見開く。灰原も固まっている。夏油だけが、本の向こうでゆっくりと目を細めた。
五条はその沈黙の意味がよくわからないまま、ストローを咥える。

「だったらデートでいいじゃん」

何かおかしいことを言っただろうか。そんな顔をしている五条の前で、陽毬の頬が見る見るうちに赤くなっていった。





約束の10分前。五条は高専の正門脇に立っていた。
休日の校内は静かだった。平日なら聞こえてくる訓練の音もなく、風が木々の葉を揺らす音ばかりがやけに耳につく。
陽毬とは11時にここで落ち合うことになっている。別に、早く来る必要はなかった。寮から正門までなんて大した距離でもないし、多少遅れたところで困ることもない。普段の五条なら、むしろ相手を待たせる側だった。
それなのに今日は、部屋にいても妙に落ち着かなかった。時計を見る。まだ5分しか経っていない。

(遅ぇな)

もちろん、陽毬は遅れていない。わかっていても何となく寮の方へ目をやった、そのときだった。
見慣れた姿が、こちらへ歩いてくる。

「あ」

思わず声が漏れた。陽毬だった。
けれど、いつもと少し違う。制服ではない。それだけなら当たり前なのに、淡い色のワンピースに、華奢なデザインのネックレス。髪も普段より丁寧に整えられている。少し緊張しているのか、歩きながら何度かバッグの持ち手へ触れている。その姿を、五条はしばらく黙って眺めた。

(……かわい)

昨日までだって、可愛いと思っていた。笑った顔も、困った顔も、自分を見る目から怯えが薄れていくたび、知らなかったものを一つずつ見つけているような気がした。
けれど今日は、なんと言うか、いつもより明らかに、可愛い。

「陽毬」

呼ぶと、こちらを見つけた陽毬の表情がふっと緩んだ。その変化だけで、五条の機嫌がまた一つ上がる。

「五条先輩。おはようございます」
「おはよ」
「すみません。待ちました?」
「いや。俺が早かっただけ」

答えながら、近くまで来た陽毬を上から下まで眺める。すると、視線に気づいたのか、陽毬が落ち着かなさそうにスカートの部分へ触れた。

「……なんですか?」
「いや」

もう一度見る。

「今日、可愛くね?」
「……えっ」

ぴたりと陽毬が止まった。

「服。似合ってる」
「あ……ありがとうございます」

みるみる頬が赤くなっていく。その反応が面白くて、五条は少し笑った。

「何照れてんの」
「だって……」

陽毬が視線を逸らす。

「五条先輩が、急にそういうこと言うから……」
「思ったから言っただけだけど」
「……そういうところです」

何が「そういうところ」なのか。五条にはよくわからなかったが、少なくとも嫌がってはいないらしい。なら、まあいい。

「行こーぜ」

そう言って、先に歩き出す。普段なら校舎や訓練場へ向かう道を、今日は二人で正門の外へ出た。少し遅れていた陽毬の足音が、やがて隣へ並ぶ。そのことが、妙に嬉しかった。
駅へ向かう途中も、特別なことを話したわけではない。水族館までどれくらいかかるとか、途中で乗り換えがあるとか、そんな話ばかりだった。それなのに、制服ではない陽毬が隣を歩いているだけで、いつもの道まで違って見える。
昨日、灰原にデートだと言われたとき、五条としては、別に大したことを言ったつもりはなかった。好きな女と二人で出かける。だったらデートだろう。それだけだ。
けれど陽毬は、あれから妙にこちらを意識しているらしい。会話が途切れるたび、少し落ち着かなそうにする。そのくせ、五条が話しかければちゃんと笑う。

(……やっぱ可愛いな)

昨日までと何が違うのか、自分でもよくわからない。ただ今日は、いちいちそう思った。
休日の水族館は、それなりに混んでいた。入口を抜けた途端、外の明るさが遠ざかる。薄暗い館内を青い光が満たし、水槽から反射した揺らめきが壁や床をゆっくりと滑っていた。
陽毬は最初こそ五条の少し後ろを歩いていたものの、最初の大きな水槽を見つけた途端、その足が止まった。

「……すごい」

ガラスの向こうを、大きなエイがゆったりと横切っていく。その下を、色とりどりの魚が泳いでいた。陽毬が水槽へ近づく。

「五条先輩、見てください」
「見てる」
「すごく大きいです」
「そーだな」

返事をしながら、五条は魚ではなく陽毬を見ていた。青い光が横顔を照らしている。目を輝かせて、水槽の中を追いかけている。普段の学校ではあまり見ない顔だった。

「……好きなの? 魚」
「魚というか、水族館が好きなんです。昔、一度だけ連れてきてもらったことがあって」
「へぇ」
「静かだし、ずっと見ていられるので」

なるほど。なんとなく、陽毬らしいと五条は思った。

「あ」

陽毬が声を上げる。

「クラゲもいるみたいです」
「行く?」
「はい」

返事が早い。五条は思わず笑った。

「お前、今日めっちゃ楽しそうじゃん」
「え」

陽毬が振り返る。

「……そうですか?」
「うん」

五条は何でもないことのように答えた。

「連れてきてよかった」

陽毬がまた黙る。

「……私が行きたいって言ったんですけど」
「誘ったの俺じゃん」
「そうですけど……」

その口元が、少しだけ緩む。

「ありがとうございます」
「ん」

そんな会話をしながら歩いていると、前方から団体客が流れてきた。狭い通路が一気に混み合う。陽毬の身体が人波に押され、少し離れた。五条はほとんど反射的に手を伸ばした。

「陽毬」

細い手首を掴む。

「……!」

引き寄せると、陽毬の身体がすぐ近くまで戻ってきた。以前なら、きっと、ここで固まっていただろう。そう思って、五条は一瞬だけ手の力を緩める。けれど陽毬は逃げなかった。驚いたように五条を見上げている。

「……悪い。嫌だった?」

尋ねると、陽毬は自分の手首と五条の手を見比べた。それから、小さく首を横に振る。

「大丈夫です」

たったそれだけだった。けれど五条は、すぐには手を離さなかった。

「じゃ、このままでいい?」
「え?」
「また流されたら面倒じゃん」

完全に口実だった。自分でもわかっている。手首を掴んでいなくたって、陽毬を見失うはずがない。それでも、もう少し触れていたかった。
陽毬は困ったような顔をして、それから小さく頷いた。

「……はい」

胸の奥が、ふっと浮く。

(マジで?)

思ったより簡単に許された。それが嬉しくて、五条は少しだけ口元を緩める。けれど、このまま手首を掴んで歩くのも変な気がした。少し考えてから手を滑らせる。陽毬の指先に、自分の指が触れた。

「……五条先輩?」
「こっちの方が歩きやすくね?」

そう言って、そのまま手を握る。陽毬が完全に固まった。

「…………」
「何」
「……これ」

繋がれた手を見つめている。

「手、繋いでますよね」
「繋いでるな」
「……」
「嫌?」

また聞く。陽毬は何も言わなかった。ただ、耳が赤い。やがて、おそるおそる、握っていた五条の手に細い指がほんの少しだけ返ってきた。

「……っ」

今度は五条が黙る番だった。陽毬は気づいていない。水槽の方を向いたまま、恥ずかしそうに俯いている。けれど確かに、自分から握り返した。

(……なにそれ)

可愛すぎるだろ。頬が緩みそうになるのを堪えながら、五条は繋いだ手に少しだけ力を込めた。

「クラゲ、行くんだろ」
「……はい」
「じゃ、行こ」

歩き出す。今度は陽毬が、少しも遅れず隣を歩いていた。青い光の中を、二人分の影が並んで伸びていく。その間で繋がった手だけが、妙にあたたかかった。
クラゲの水槽へ着く頃には、陽毬も少し慣れたらしい。それでも手は離れない。五条としては、離す理由もなかった。丸い水槽の中を、半透明のクラゲがゆっくりと漂っている。

「綺麗……」

陽毬が呟く。

「ね、五条先輩」

振り返った陽毬と目が合った。近い。青白い光の中で、陽毬が笑っている。怖がっていない。自分と手を繋いだまま、嬉しそうに緩んでいる。

「……何ですか?」

陽毬が首を傾げる。五条はしばらくその顔を見つめていた。それから笑う。

「やっぱ今日、可愛い」
「……!」

陽毬の顔が一気に赤くなる。

「またそれ……!」
「だって可愛いし」
「そういうこと、簡単に言わないでください」
「なんで?」
「なんでって……」

陽毬が言葉に詰まる。その様子を見て、五条はふと思い出した。昼休みに誘ったときのこと。

――俺、お前のこと好きだし。

自分としては、かなりわかりやすく言ったつもりだった。なのに、今の陽毬の反応を見ていると、どうにも妙な気がする。

「……お前さ」
「はい?」
「もしかして」

五条は少し身を屈めた。陽毬の顔を覗き込む。

「俺が適当なこと言ってると思ってる?」
「……え」

その反応で、なんとなくわかった。五条は目を細める。

「好きって言ったやつ」

陽毬の目が泳いだ。

「……あれは」
「うん」
「その……」

やっぱり。五条は思わず眉を寄せた。

「冗談だと思った?」
「冗談というか……」

陽毬がますます困った顔になる。

「五条先輩、あまりにも普通に言うから……どういう意味なのかなって」
「どういう意味って」

そんなもの、一つしかない。そう思ってから、五条は少しだけ黙った。以前の自分なら、ここで「わかるだろ」と言っていた気がする。けれど陽毬にとって、自分の当たり前が当たり前ではないことくらい、もう知っている。
だから今度は、ちゃんと言う。繋いだ手はそのままに。

「俺は陽毬が好き」

陽毬が息を止める。

「後輩だからとか、そーいうんじゃなくて」

水槽の光が、二人の間で静かに揺れている。

「女として好きだから、今日誘った」

今度こそ。誤魔化しようがないくらい、真っ直ぐに。

「だからこれ、ちゃんとデートな」

陽毬の顔が、耳まで真っ赤になった。それを見た瞬間、五条は思った。やっぱり、今日のこいつは、どうしようもなく可愛い。
陽毬はしばらく何も言わなかった。繋いだ手はそのままなのに、顔だけが五条から逃げるように水槽へ向いている。
半透明のクラゲが、青白い光の中をゆっくりと昇っていく。その光が頬に映っても、赤くなった耳までは誤魔化せていなかった。

「……なんか言えよ」

耐えきれなくなって声をかける。陽毬の肩が小さく揺れた。

「すみません……」
「なんで謝んの」
「びっくりして」
「そんなびっくりする?」
「しますよ」

ようやくこちらを向いた陽毬は、ひどく困った顔をしていた。それでも、逃げようとはしない。

「だって、私……五条先輩が、そういう意味で私のこと好きだなんて、全然思ってなかったので」
「言ったじゃん」
「言いましたけど……」
「じゃあ信じろよ」
「無茶言わないでください」

珍しく、少しだけ強い声が返ってきた。五条が目を瞬かせる。陽毬も自分で驚いたらしい。一瞬だけ気まずそうに口を閉ざしたものの、やがて観念したように息を吐いた。

「……五条先輩って、何でも簡単そうに言うじゃないですか」
「そう?」
「そうです」
「好きって言うのも?」

陽毬は黙った。図星らしい。五条は少し考える。別に、簡単な気持ちで言ったつもりはなかった。好きだと気づいたから、好きだと言った、それだけだ。
けれど陽毬には、その間にもっといろいろなものが必要なのだろう。そういう面倒くささを、以前なら理解できなかった。今も完全に理解できているとは思わない。ーーただ。

「じゃあ、何回でも言えば信じる?」
「……え?」
「好きだって」

さらりと言うと、陽毬の頬がまた赤くなった。

「そういうところです……!」
「なんでだよ」
「また簡単に言うから」
「簡単じゃねーけど」

五条は繋いだ手を少し持ち上げた。細い指が自分の指に絡んでいる。

「俺、お前以外の女とこんなことしてねぇし」
「……」
「休みの日に二人で出かけようとも思わねぇし。服見て可愛いとか、笑ってんの見て嬉しいとかも、別に誰にでも思うわけじゃない」

口にしながら、五条は自分でも妙な気分になった。こうして並べてみると、思っていた以上にわかりやすい。
陽毬がいると目で追う。話していれば楽しい。笑っていれば嬉しい。触れても逃げられなければ、それだけで機嫌がよくなる。

「これでも冗談に聞こえる?」

陽毬がゆっくりと首を横に振った。

「……聞こえないです」
「じゃ、よかった」

あっさり返す。そのまま歩き出そうとして――手を引いたところで、陽毬が動かなかった。

「ん?」

振り返る。陽毬は俯いたまま、何かを言おうとしているようだった。

「どうした?」
「……あの」
「うん」

しばらく待つ。急かさなかった。やがて陽毬が、小さな声で言った。

「私も……嬉しいです」
「何が?」
「……だから」

顔を上げた陽毬は、今にも逃げ出したそうなくらい赤くなっていた。それでも、目だけは逸らさなかった。

「五条先輩が、私のこと好きだって言ってくれたの」

一瞬、何も考えられなくなった。

「……それ」

五条は陽毬を見る。

「どういう意味?」

今度は陽毬が目を瞬いた。

「え?」
「俺が聞いてんだけど」
「……」
「陽毬は?」

たぶん、少し意地悪な聞き方だった。嬉しい。それだけでも十分だったはずなのに、一度欲しいと思ってしまえば、その先まで欲しくなる。陽毬の口から聞きたかった。

「俺のこと、どう思ってんの?」

繋いだ手に、無意識に力が入る。陽毬は困ったように眉を下げた。けれど、もう怯えてはいなかった。しばらく黙ったあと、小さく息を吸う。

「……好き、だと思います」
「だと思う?」
「だって、こういうの……よくわからないから」
「ふーん」

五条は目を細めた。なんとも陽毬らしい答えだった。それなのに、どうしようもなく嬉しい。

「でも、五条先輩といるのは、好きです」

陽毬が続ける。その言葉だけは、さっきより少しはっきりしていた。

「一緒にいると……最近は、安心するし」

そこで少しだけ笑う。

「今日も、すごく楽しいです」

その顔を見た瞬間。五条はもう駄目だった。

「……陽毬」
「はい?」
「俺と付き合って」
「……えっ」

また固まった。今日何度目だろう。

「ちょ、ちょっと待ってください」
「なんで」
「今、私、やっと好きって――」
「じゃあいいじゃん」
「よくないです、心の準備が……!」
「何の?」
「だから……!」

五条は吹き出した。さっきまで真っ赤になりながら必死に気持ちを伝えていたくせに、もういつもの調子で言い返してくる。それが嬉しい。こんなふうに自分へ言葉をぶつけてくれることが、今は嬉しくて仕方がない。

「じゃ、待つ」
「……え?」

意外だったのか、陽毬が目を丸くした。五条は繋いだ手を軽く揺らす。

「返事、今日中な」
「短いです!」
「じゃ明日」
「一日しか増えてません!」
「めんどくせーな。いつならいいんだよ」

陽毬がとうとう笑った。声を立てて、ほんの少しだけ。五条もつられて笑う。クラゲの水槽から漏れる淡い光が、二人の足元で揺れていた。
笑いがおさまったあと、陽毬がぽつりと言った。

「たぶん、そんなに待たせないです」
「え」

聞き返すより先に、陽毬が歩き出した。繋いだ手に引かれて、今度は五条が一歩遅れる。

「ほら、五条先輩。次、ペンギン見に行きましょう」
「……お前」
「早く行かないと混みますよ」

振り返った顔は、まだ赤い。けれど、笑っている。五条は数秒それを眺めてから、大股で隣へ追いついた。

「なあ、今のもう一回言って」
「嫌です」
「なんでだよ。俺まだ返事もらってねーんだけど」
「待つって言ったじゃないですか」
「言ったけど。気になるじゃん」
「知りません」
「陽毬ー」
「ペンギン行きますよ」
「ねえって」

二人の笑い声が、辺りに柔らかく響く。繋いだ手は、最後まで離れなかった。