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観自在菩薩かんじざいぼさつ
行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ
照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう
度一切苦厄どいっさいくやく

 ここは京都の、とある寺の広間。

 質素に花が備えられ、僧侶がずらりと並んでいる。和尚わじょう南條なんじょう幹斎かんさいが棺に向かって手を合わせている。

 故人の親族すらいない。
 最近の寺事情はこんなものだ。今回も、どこの誰ともわからん素浪人の葬儀をしている。

舎利子しゃりし
色不異空しきふいくう
空不異色くうふいしき
「ふわぁ〜」

 眠い。

 和尚のすぐ後ろに座る、ボサボサ頭の法師ほうしらしき若者は、あろうことかその場で大口を開け、欠伸をしたのだった。

 まわりの坊主がちらちらとその若者を見る。しかし若者は、胡座をかいて行儀悪く、高い背は眠さのあまり前のめりになる有様。

 昨晩、あろうことかこの若者不良法師は、花街に出入りし一晩を過ごし、絶好調。そして現在夕刻。起きてみたらこの有り様で、絶不調なのである。

 不良法師の名前は南條なんじょう朱鷺貴ときたか。我ながらお経じみた名を頂いたと、不機嫌ながらに思うのだった。

 しかしこの、今葬られている素浪人は昨夜、自分が拾ってきてしまった怪我人であった。故に何かの縁、一応こうして律儀に葬儀に参加しただけまだましであろうと、朱鷺貴は眠気ながらにぼんやりと自分を内心で褒めた。

 それにしても長い長い。俺にはきっと耐えられない。今まで寝ていたが、どうも幹斎和尚の経文は朱鷺貴の睡眠欲へ絶妙直下型らしい。

 流石にこくこくと、木魚の音に合わせるように朱鷺貴が寝始めたあたりで、後ろの坊主が肘でつついて制し窘めたが、あろうことかそれで真横にぶっ倒れてしまった事に「げっ、」「なっ、」と周りの坊主が騒然とし始める。

 場は少しのざわめき、しかし幹斎和尚の咳払いにより取り敢えず朱鷺貴はほっとかれ、まただらだらと経が進んだ。

般若心経はんにゃしんぎょう…」

ちーん、ぽくぽくぽく。

 和尚が手を合わせくるりと体の向きを変え、手をついて礼をする。

 起き上がった瞬間、幹斎は朱鷺貴の頭を思いっきり撞木しゅもくでぶっ叩いた。

「いだっ!」
「こんの阿保弟子ぃぃ!不謹慎な、殺すぞバカたれぇぇ!」
「痛ぇよこんの、ハゲぇぇぇ!」

 起き上がって朱鷺貴、叩かれた頭を擦りながら幹斎を睨み付ける。

…またやってるよこの二人。

 まわりの坊主は見慣れたが、呆れてしまい閉口。あぁこれまだ掛かるよ。さっさと土葬の手順とかやりたいんだけど、ホンマに。

「お前何寝てんだこのバカ者がぁぁ!」
「うるせーな昨日寝てねぇんだよぎゃーぎゃー言うなやハゲじじい」
「あぁそうかこの不良法師がぁ!
羯帝羯帝波羅羯帝ぎゃていぎゃていはらぎゃてい波羅僧羯帝はらそうぎゃてい ぃぃ !」
「不謹慎だわ生臭和尚め!」
「あの、お二人共、お静かになさってください。仏さんをどうにかしましょ」

 勇気ある、先程朱鷺貴を制した坊主が冷静に言い放った。
 朱鷺貴、幹斎、互いに「ふんっ、」「死ね!」と顔を背け腕を組む。

「こらこら朱鷺貴殿。最高僧に向かって、あろうことか死ねなどと、言ってはなりませんえ。ほな、あんさんが拾ってきた仏さん、大事に大事に葬って差し上げましょ。
 幹斎和尚様も、このようなうつ…若いお弟子様にムキになるなど、いけませんよ」
「いまうつけって」
「そうだな壮士そうし。すまないすまない」

 幹斎はそう言ってちらりと棺桶を見、「朱鷺貴、」と呼んだ。

「んぁ?」
「何があったか知りませんがこちらの仏はお前がお連れになったんや。お前は今日、線香番や」
「えっ、嘘ぅ」
「ささ、皆の衆、お騒がせしてしまってすみませんなぁ。あとはこやつに任せ、公務をこなしましょ」
「なっ、」
「ええから早よせぇバカたれが。
 さ、解散解散」

 そう最高僧が言えば早い。
 皆散り散りにひそひそ話をしながら広間を去るのだった。

「うわ最悪…」

 仕方ない。自分も寝てしまった。
 そういえば線香すらこの素浪人にやっていないな。思い立って朱鷺貴はまぁ、何かの縁と、焼香をし改めて自分も経を読むことにした。

 この眠る男は今朝、島原あたりで拾ってきた素浪人だった。
 その時にはすでに傷が深く、よもや助からないかもしれないと思えた。
 しかし、「助けてくれ」と言われてしまっては仕方ない。寺に連れ帰りある程度の手当てを施したのだが。

「ふぅ…」

 正直良い気はしなかった。

 ここ最近、やたらと近辺は物騒だ。『公武合体こうぶがったい』やら『尊皇攘夷そんのうじょうい』を掲げては、平気で人が人を斬って行く。

 大体は無惨に捨てられる遺体。それを葬るのは、確かに自分達の仕事だが。

 あまり朱鷺貴の行いは、寺によく思われなかったようだ。自分は今朝からこの男を看病し、気付いたら側で寝てしまっていた。

 恐らくそれから、この素浪人は放置されてしまいこうなったのだろう。

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