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 自分も昔、ここに拾われてきた。その頃はまだ、黒船とも尊皇攘夷とも無縁の世界だった。

 自分の身寄りは狐狼狸コロリで亡くした。出会った頃の幹斎は自分に言ったのだ。

『左目のその黒子には意味がある。
 頬骨に近い。お主は社会的に強い風当たりを受けるだろう。
 しかし気が強い。お主の根性なら強く生きられる。そんな死んだ目をするでない』

 と。

 言われた通り朱鷺貴は濁りなく気の強い、反省という言葉を捨てたような男に育った。

『狐狼狸の息子』

 と苛めた兄弟子たちを返り討ちにしていまや朱鷺貴はこの寺で3番目くらいには偉い法師となった。

 しかしまぁ、誰のお陰で自由に伸び伸びと素行悪く育ったかと言えば紛れもなくあのクソ和尚だと朱鷺貴は言いたい。やはり、自分は反省の出来ない未熟者だと開き直る。

 少しばかり過去を思い出す。経とはそんな物だと、
そういえばこの男の素性すら知らなかったな。顔でも拝もうかと朱鷺貴が立ち上がった時だった。

「何してはりますぅ?朱鷺貴殿」

 後ろから静かに声が掛かり、はっと、一瞬身の毛がよだつ思いがした。
 出たな幽霊…と振り向けば。

「…そ、壮士兄様っ、」

 壮士が柱に凭れて立っていた。

 明らかにびびっていた朱鷺貴の様子に壮士はふっと鼻で笑い、それから「ふふふ…ははは!」と遠慮なく笑い始めた。

「あんさん、まだ慣れまへんか」

 幽霊。
 とは、兄弟子は言わなかった。

「な、何がだよ。
 何、あんた油売ってんのか、告げ口するぞ」
「おぉ怖っ。
 残念ながらその様な暇はありまへんえ。
 玄関になぁ、なんや得体の知れんわっぱが来よってなぁ、」
「はぁ?」
「なんでも、幹斎和尚に用事だそうな。朱鷺貴殿、昨夜は何がありました?」
「は?え、」

 色街に入り浸っていましたけど。

「薬屋?が来てはりますよ」
「なにそれ」

 確かにそれ用で行きましたけど。

 朱鷺貴はよく、遊郭に出向く。
 しかしこの仏教という仕来たり、勿論、色欲など言語道断。
 朱鷺貴が遊郭に出向くには、理由があった。

 朱鷺貴は色街で、薬を処方しているのだ。
 なんでも幹斎の趣味だそう。無条件な愛、というよりは、初代将軍に近い考えらしい。

 徳の高いジジイは一応、親切心でやっている、ということにしているらしいがそれすらも他の僧侶は知らない。
 朱鷺貴が小遣い稼ぎ、いや、見返りに遊郭で金を使わず遊んでいる、こんな評判で落ち着いている。

 無論、これは陰口だ。
 わりと慣れたことなので特に気にしていない。

 しかしそれが公に僧侶達に知れ渡れば少々、自分としてはバツが悪い。なんせ幹斎の密かな趣味でありそれを伝承する身としては、幹斎の評判の方が心配だ。

 それを知る者はこの、寺で二番目に偉い法師の壮士と、朱鷺貴しかいないのである。

「よろしく頼みましたよ、朱鷺貴殿」

まったく。
汚れ仕事ばかりを押し付けてきやがってあのクソ兄。

 昔からあの兄はそうだ。
 「狐狼狸の息子」から始まり、どうにも見下す気がある。本来ならばそんな野暮用、自分より偉いお前がやるべきだと言ってやりたいが、壮士はなんせ、幹斎の一番弟子だ。汚すわけにはいかない。だから自分に「薬撒き」の仕事が舞い込んだのだ。

 それに不満もない。事実、島原に少し希望が見えた。最期死に行く遊女への施し、確かに自分程度の人間がやるべきだ。

 しかし。
 朱鷺貴はたまに思う。
俺ってそんなに不純かな、と。

 だが、身の上が似たような売り子達に感謝をされるのは悪い気がしない。それでまぁ、いい。
 しかしまさか寺まで来るとは。というか、来れるとは。遊女でないのは確かだが…。

 玄関付近が他の坊主で慌ただしい。あまり悪い雰囲気ではないようで。

「ありゃぁなんだ」
「しかしまぁ色があるなぁ」

 果たして、なんだそれは。

「おい」

 と一人坊主を捕まえて聞いてみる。

「あ、朱鷺貴様…」
「壮士殿に呼ばれたが、どういう…」
「あれは物乞いやろうと」
「はぁ、」
「和尚の薬をくれって、なぁ」

 仲間内ではそういう見解。確かに、なんだそれは。

「ジジイはなんと?」
「ジジイって…。
 話なんて通しとりまへんえ、まだ」

 何はともあれ、見てみないことにはわからんか。

 取り敢えずと、朱鷺貴は玄関に赴いた。
 一人の坊主が側に座り話している。その相手は薬箱を側に置き、玄関に座っていた。

 肩下の髪を後ろに緩く流した、水色で質素ながらも金蝶の刺繍が足元に施された、洒落た着流し。見目儚げで華奢な…なんとなく、男だ。

 売りでもやってるんだろうか、妙な艶がある。

「あ、朱鷺貴さん」

 側にいた坊主が朱鷺貴に気付き声を掛けてくれば、その男も見上げ、「貴方が、朱鷺貴殿ですか」と、無愛想に言う。
 かと思えば薄く微笑んで「御初にお目に掛かります」と言った。声は落ち着いた低音。

「“金清楼きんしょうろう”でお見受けしたのでね。
 煙草屋の翡翠ひすいと申します。ご用があり参りました」

 案外堂々としていた。
 いや、し過ぎている。

 軽装で来ているし煙草屋などと言っているが恐らくは、男娼婦か何かだろうに。

 内容的に朱鷺貴は、側にいた坊主に「おおきに、下がって」と言い、翡翠と名乗った男を見据えた。

 ……覚えがない。
 金清楼、本格的に男娼宿、若衆茶屋のような場所だと聞いた事があるような気がしなくもない。

「…用件は」
「あい、お使いで参りました」
「あんたらに用事なんて」
「…こちらに疫病を治す薬を持つ“幹斎”さん言うお坊様がいらっしゃると聞き及びまして。
 わては煙草屋です。まぁ、そのような用件で参りました」

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