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 ぼんやりと縁側から外を眺め、ペルリが来航した頃の状勢に思いを馳せる。

 煙管キセルの煙。
 あの日和泉の国で拾った少年の激動と己の風当たりやら経済状況を振り返れば、やはり蜃気楼のよう、ぼんやりとしてしまう。

 結果、立派に隠居し、新しい手練れを手に入れた。そして経済とは浮世離れの筈である坊主と動き始めた。

 この生活はあの童が拾ってきた。そう思えば愉快だった。

 しかしここ数日、ざわついている気がする。
 ある意味隠居など、俗世を捨てたも同然な己には考えもしなかった世だ。

 あの暴君、井伊直弼が殺されるような時世。世知辛いが、愉快な生活へ傾いた。

 まさか本当に、ここへ来て蘭学らんがくが生きようとは、人生はわからぬもの……不穏だ。

 思いを巡らせれば庭先に、見慣れた若者が現れた。
 上等な黒の着流しに日傘。しかしそことなく漏れ出る浮世離れな粗野感を兼ね備えた男。この世界を生きる者の体臭のようなものだ。

 男は傘を閉じ、暖簾を潜らず庭へ真っ直ぐ歩んできた。

「藤嶋さん、暇そうでんなぁ」

 そして京より少し早口な訛りの、
 出会った頃の少年と同じ訛りをしたこの男。

「暇じゃねぇさ、5代目」

 藤宮一門の現若頭、藤宮ふじみやたかが薄ら笑いで隣に掛けた。

「そちらさんこそお暇かい5代目」
「いや、暇やないわ。用なけりゃあんたんとこには来れんよ店主」
「ふうん。何?」

 わかってはいる。
 恐らくはの鷹の義弟、翡翠の事に違いない。

「あんさん、ウチの飼い鶏を知りまへんか」
「さぁ?」
「私の弟の水鶏くいなですよ」
「あぁ、翡翠かい」
「ふん、」

 鷹は皮肉に笑った。

「親父が与えた名は水鶏や」
「俺がやった名は翡翠だ。お前の弟だろ?
 お前ら一門から買い取ったのは俺だ。おかげで良い夢見れたよ5代目」
「そいは光栄でんなぁ。ではその、あんたのええ夢、聞かせてくださいな」
「忘れちまったねぇ。夢は忘れるものだよ。しかしお前も良い夢は見れたんじゃないかい?あれを手立てに和泉守いずみのかみを崩落させ京に来て、お宅らにも銭が舞い込んだだろ」
「あんたも人が悪い」

 ふと鷹は笑みを消し、店主の藤嶋を睨み付けた。

「全部あんたの差し金やないか、忘れてもうたか?年月は人をアホにしますなぁ、薬屋さん」

 なるほど、それを掴んだか。

「今度は忘れぬ夢を見たいねぇ。あんたにも見せてやりたいくらいのな」
「あんさん、水鶏に何させようってんです?」
「はぁ?
 あいつはなんせ、お宅らからも逃げるような狩り鶏だ。もう俺の籠にもいないよ」
「せやから、」
「まぁ出家でもしたのかねぇ、陳腐な、端にあるような寺にでも」

 藤嶋がけっけと笑う。
 鷹は表情崩さず「またか」と呟いた。

「なんでも使いますな、あんさん」
「今回はお宅らが仕掛けたんだろ。ウチの狩り鶏を勝手に使いやがって。
 しかしまぁ、それは互い様か。この件はこれで手打ちとしたいが」
「はぁ、そうですか。
 私があんたに銭でも握らせればええわけですか」
「額によるかな。
 居場所なら恐らくは江戸方面だぞ。
 まだ数日だ。京にいるか、はたまた琵琶湖で狩りでもしてるだろう」
「その物言い、まだ手綱はあるんかいな?」
「さぁね。俺はわりと好きだが、あいつぁ綱を斬るようなガキだからな」
「何を戯言を。なら、己で行くしかありまへんな」
「そんなに好きかい?それ、束縛と言うんだよ、若造」
「好きに言い、」

 漸く鷹は立ち上がり、再び藤嶋を睨んだ。

「手綱がないなら再び捕らえるんも楽やな。感謝しますわ」
「へっへ、」

 さぁ果たしてお前に出来るかな、狩人よ。
 鷹は頭がいいが翡翠ほど小回りが利かぬ鳥。死ねば最後、そう

「あぁそうそう5代目。
 あの紋は百舌鳥だそうだな」

その飄々とした店主の言葉に、

「それ、吹っ掛けてます?店主」

異国の、鉄砲を向けられる。

「怖いねぇ。飛び道具かい」
「ええ、まあ」
「じゃ、それとウチので取引商談といきますか、5代目」
「それ相当なら」
「当たり前でしょう。そこまでナメちゃいないよ、こっちも業界長いんだ」
「わかりました。追って使いを寄越しますさかいに」
「あいよ、どうも」

 世知辛い。
 頭は良いが学がなければ哀れなもんだと、去り行く若者の背中に藤嶋は思う。

 寝首を刈られるは果たしてどちらかなと、心の中で藤嶋は笑う。

 食えぬ男だ藤嶋宮治と鷹の心中は案外穏やかではなかった。
 役人時代、反対勢力を潰すだけある。しかし、結局泣いても笑ってもあんさんも元来は裏根性だなと、どこか藤嶋を嘲笑うのも事実だった。

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