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場の空気が凍結している。
各々が状況を理解していないからに違いないが、何よりどこか、その場は殺気立っていた。
現状として整理をすれば、遠目に見える前方の、寺のあった山が燃えている。
それをどうやら仕出かしたらしい、擦れた、猛禽類のように冷たくもはっきりした目をする藤紋の入った黒い着流しの男。
それと対峙する土佐の、癖っ毛な長身の「橋渡し」を生業にしていると自称していた男と数人の連れ。ここの一行はどうやら土佐の言葉で話す。
土佐の橋渡しは寺を眺めて言った、「西洋の火薬を使ったかねぇ」と。
その両者の間にいる、坊主南條朱鷺貴と連れの小柄な役者顔、藤宮翡翠。
黒い着流しの男と翡翠には認識があるようだ。
殺気はどうもこの両者にあるものらしい。
「ふっ、なんばあんさん。
その坊さんにご用事あったんか」
船渡し、朱鷺貴には“才谷直柔”と名乗った、仲間内からは“坂本”と呼ばれている男は少しの意地悪さが見える顔で睨むようにヤクザに笑った。
「いや、坊さんには興味はありまへん。興味深ければあんさんに爆薬なんて頂きまへんやろ。
ええ商売してはりまんな、坂本さん」
なるほど。
「横流しにしたヤクザはあんただったのか」
確かに。
京界隈では有名なヤクザ一門、藤宮。それの“若様”がこの黒着流しの男らしい。
なるほどこの胡散臭い橋渡し、だから京あたりの琵琶湖なんかで橋渡しをしていたのか。
しかし、優先すべき問題は今はどうやらそこでなく。
「…何用でこのように小洒落て粋な計らいを致しましたか若様」
それは朱鷺貴に聞き覚えある、翡翠の、
そう、自分がいた寺の最高僧の首を刈りに来たときに聴いた、軽いがどこか低い声色だった。
翡翠は一瞬の強張りを解き、ふらっと、薄ら笑いすら浮かべてヤクザ、おそらく若様と言うからには藤宮一門の主であるか、倅であるかの男に向き直る。
「直柔、あん童《わろし》」
「あぁ、そやねぇ」
朱鷺貴の後ろで土佐一行がうち一人、素浪人のような高結いの男が楽しそうに坂本へ言うのを己で翻す。「やるねぇ、あいつ」と。
「以蔵《いぞう》ちゃんでも勝てへんかね」
「どうやろね」
楽しそうにまた会話を始める二人に、「坂本、」と制したのは、高下駄の武士で。
「お前、ヤクザやなんてどげんつもりじゃ」
「あぁ?せやかて武市《たけち》さん、あんさんウチらまだ金ないやろ?大目付《おおめつけ》から命は頂けたのかい?」
「せやかて」
「俺ぁ、武市さんがやっちょること、少々筋違いに思うがよ」
「はぁ?」
「俺と合わないちゅうこっちゃ。いまさら尊攘の先生を消したところで、日本は変われん気がする」
後ろは後ろで揉めているらしいが。
「水鶏、あんさんなんでこんな場所で寺を回っているんや?ましてや薬坊主の首を刈ってこいと言うて消えてしまってはなんや、義弟の身を案じてしかるべきやろ?」
なるほど。
組抜けを咎めに来た、そんなところか。しかし何故場所がわかった。そしてこの互いの言い分はどこか違和感がある。
「そうですね若様。しかし、何分気に掛かる。何故わてが飛び回ることにそのような温情を頂けるか。そのご様子ではあちらさんにもご挨拶に伺ったんやろ?」
こちらもこちらで露骨なる“京弁”。言い回しが利いている。いつもの胡散臭さがない。
なんだこの兄弟。
互いにある意味笑顔だが、やはり界隈か、殺気立っている。
「はぁ、温情とは厚かましいなぁ水鶏。そういった間柄でもないやろ」
「あら失礼。あんさん京者やさかい、意味を汲み取って頂けたかと思いましたが」
「ほう、まどろっこしい京の風習にお前は慣れましたか。ご立派やね、我が弟ながら」
「京の郭界隈がわての生業やったから」
「そうやね。何故いま坊主と懇ろか」
苛立ちが節々に見え隠れしてきた。
さぁこれは最早見守るばかりかと朱鷺貴も、それぞれを詠み解こうとしている。
「はぁ、あんさんに何か関係があるやろか」
「どうにも反抗するなぁ、手の掛かる子や」
「ふっ、」
挑発的に笑い、翡翠は続ける。
「指でも持ってきますか?しかし謂れはないんやけど。あんさんと兄弟やったのって、翡翠はアホやから記憶が曖昧です」
「しかし所詮は藤嶋界隈。そんなん俺としては親戚に預けたつもりやったが」
言いながら翡翠は男の目の前まで来て見上げる。
「わてを引き戻す謂れはそれですか」
両者、見つめ合い、ふいに翡翠が男の首裏へ両腕を回し抱きついた。男は、それに応えるように翡翠の細い腰に手をやる。
朱鷺貴に見せつけるような視線。だが朱鷺貴から見れば、翡翠が右手から出した苦無が男の首を狙うのが気が気ではない。
「翡翠、おい、」
ちらっと振り返るように朱鷺貴を翡翠が眺めた時、兄は「ふっ、はは…!」と笑った。
男は翡翠の右手を、空いていた左手で制するように握る。目に見えて力があり、翡翠は少し苦悶を見せて狙っていた苦無を落とした。
兄は笑ったままにより深く翡翠の腰を抱き寄せ、そのまま流れのように、
強引に翡翠の右足を持ち上げた。生足と、仕込まれた苦無が露になる。
後ろの集からも「あらぁ、」だの「へぇ、」だの「ええ足しとる」と声が立つ。
正直朱鷺貴としては、「俺はこれ、一体何を見せられているの」な心境。
「昔から芸がないなぁ。これでは俺を殺せないよ水鶏」
男は軽やかに言いながら回したその手元で器用に苦無を一本ずつ抜いては足元に捨てる。計5本。それに翡翠は焦りを見せ、小刀か、離れようともがくが、
「言うこと聞けないならそこの坊主も…お寺にお返しするしかないなぁ、水鶏」
耳元に燻る兄の声に、完璧に翡翠の身は硬直した。
「兄様、わては、
あそこへ帰る謂れはありません、」
「何を言ってるかさっぱりわからないんだが」
「か、帰りたくないと申し上げています」
訴える翡翠に容赦をせず、苦無がなくなったその足を撫で回してる兄に、「ホントに嫌なんですけど!」と翡翠は泣きそうになっていた。
「あんなことして、そんなのおかしい。
帰るくらいなら殺してください、あの坊様には関係ない、知らんのや、」
あぁなるほど。
浸透してきて漸く「待て翡翠、」朱鷺貴は声を掛けた。
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