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「坊主は基本的に“来るもの拒まず去るもの追わず”だが、お前らが話している事が俺にはよくわからんのだが!」
「は、」

 男がぽかんとした。
 そしてぎこちなく翡翠を見下ろし「せやから言うてますやん」と兄に返論する。

「あん人、あんたらが思ってるより純粋に世間知らずなんやて!」
「は、」
「待てそれは何故だ翡翠」

 異論を呈したい朱鷺貴だが、翡翠が訴えながら足元から臀部に伸びる男の手に「いややてぇ、に、さま」切れ切れ。

 待て俺はいま何を見せつけられているんだ本気で。

「ははぁん、なるほどこの|鷹《たか》、理解した」
「な、せやから、」
「お前あの男に買われたのか」
「違っ、はぁ!?んなあんさんみたいに煩悩やなぁ、ちょ、ダメやそこ何してるん」
「じゃぁなんだ?」
「あはぁ、そこやないぃ、待て、一回は、離してぇ、」
「何してるのお前ら。宿ならすぐ側にあるんだけど」
「違ぅぅ、坊主、おい坊主ぅ!た、助けて本気で」
「お前凄く良さそうじゃん」
「は、はぁ…!?んな問題ちゃうよ、これ、わて殺されるやつやん!」
「そりゃ殺生だ」
「いや殺さないよ翡翠。俺の腕に戻って来い言う話やで」
「万々歳じゃん」
「ちゃうねんちゃうねんっ、ふ、やめろや変態!ちょ、誰でもいいから助けて」
「つまりじゃなぁ、」

 ここで土佐の男坂本。
 しゃしゃり出て顎に手をやり明らかなるかっこつけ。

「藤宮若さんは俺やその他ヤクザやらと手を組みたい。それには革命が必要じゃき、手練れが欲しい」
「何言ってるか余計わからんけど!」
「坂本、お前、」
「当たり前やんいまの世の中尊攘を潰したかて儲からんきに」
「はぁ!?」

 これは複雑だ。

「ちょっと待って、俺関係ある?」
「多分無い、いや、あるかもしれんなぁ」
「え」
「お寺さんは儲かるきに」
「何、何、ホントにどうしたらいいの」
「意思やな」

 きっぱり坂本は言った。

 意思。

 考えた。
 いま目の前で、いかがわしくも仲の悪い、というか主従関係から「いやっ、」だの言っている自分の従者。

 坂本が言っているのが本当であれば、ある意味|幹斎《かんさい》の「寺なんぞすぐ潰れるわ」これは確かに納得出来た。
だが。

「俺には足洗ったそいつが革命やら金やらに無理矢理荷担させられるのはいまいちわからんが」
「坊主、お前は案外」
「興味ねぇよ別に。だがなんだかもやもやして納得がいかない。んな金目当てでどうしてそいつの腕が欲しいか。
 だって、ただの郭人じゃん」
「なっ、」

 それには翡翠は反論。
 したくとも出来ない。何故なら。

「こいつはヤクザの殺し屋だぞ坊主」

 はっきり兄は言い、「なぁ水鶏」と見つめた。

 それはつまり。

「誰か暗殺でもしたいということか」
「まぁやむなくば。しかしまぁ、それだけでもない」
「せやから嫌やて兄様ぁ!」

 もがくように、胸元をぶっ叩くその翡翠の拳は兄の懐を掴み、耐えるように顔を埋めた。

「わてはもうヤクザはやりたくないんや!」

 しんとした。

 「はぁ、」と力が抜けるように兄が言い、漸く手が離れて翡翠は半歩下がり、懐から小刀を出して抜き、自分の首筋に当てた。

「そんでも戻れ言うなら首などくれてやる!」
「いや待てって翡翠」

 胸糞が悪い。
 咄嗟に朱鷺貴は止めに入ろうと、その翡翠の手を掴んで制した。

「トキさん、」
「わかった。
 去るもの追わないが殺生はいけない、そんなの寺の常識だ翡翠」

 黙って翡翠はそれを聞けば、刀を持つ手をぶら下げるように力なく下ろした。それに朱鷺貴がすかさず刀を取り上げて。

「お宅らの兄弟喧嘩やら繋がりに俺は関係ないし興味もないが、こんな時に止められないようなあんたは胸糞悪い。
 こいつのせいなのか、非協力的だったんか知らんがあの寺だって、燃やす事はないだろ、ヤクザ風情。
 何に執着するが勝手だがこいつは改めて言おうか、俺の従者だ。つまりは俗世なんか捨ててるんだよ、坊っちゃん」

 朱鷺貴が睨み付けて言えば「ふん、」と兄は笑った。そして言い捨てる。

「お前らが信じとるもんなんざ神さんやろ、幸せもんやなお前ら如きが」
「だから旅修行をすんだよ坊主ってのはな」
「そうか、有り難くて眠くなる経文のような口上やな。
 しかし今はそうだな、ウチの刈り鳥は預けよう。時が来たらまた面を貸す」
「そうかい。坊主より暇だなあんた。精々忙しく儲けてろ亡者め」

 ふっと笑い、
兄、藤宮鷹は踵を返した。
 それに坂本は「達者でな勤王党」と、一行にゆったり手を振り鷹の後ろにせっせとついた。

「あ、最後に教えといてやる世間知らず。
ヤクザもんに喧嘩売るんがどういうことか、精々神様にでも教授されな」

 言い捨てて、
自分が来た寺の方へ消えて行った。

「なんじゃ坂本、」

 土佐の衆は土佐の衆で解散するらしい。それぞれ方向違いに二人を残し去り行く。

「うっ、くっ…、」

 翡翠はそこに、声を殺してしゃがみこみ、どうにも、込み上げたものを拭っていた。

「…何に嘆く」
「いや…すまへん」
「すまへんやないわ」

 不機嫌に言いながらも、しゃがみこんで朱鷺貴は翡翠の肩を抱き、顔を覗きこんだ。

「己の境遇か。んな大差ないもんに泣くくらいならなぁ、」

 記憶を過る。
 幼い日の唖然と立ち尽くした自分の前。父と、変わり果てた母の姿が。

「…俗世なんか捨てきれてねぇじゃねぇか、あ?んならヤクザやら男娼やらに身を落として己を殺したことを恥じろアホ」
「違うんですでもわからないんですよ、」
「なら互いに
 修行が足りないんだよ、わかるか」

 諭すように優しく言う朱鷺貴に翡翠は黙る。圧し殺した嗚咽のみが耳につく。

 しばらくそうしていれば奉行人がわたわたとやって来た。確かに騒ぎだった。
 「気分が悪いだけです」と朱鷺貴は奉行人に断り、無理に立たせて「休もう」と告げた。

「辞める辞めないを決めるにはまだ早い」
「トキさんは、」

 いいんですか。こんな…、
 言葉が詰まる。
 恐らくそう、純粋にこの坊主は待っているはずだが。

「わかんねぇよ」

 俺だってわかんねぇよ。

 言葉は互い違いの解釈で「そうですか」と翡翠が〆る。

 互いに悲痛があることだけはわかった。

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