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「んなわけでこの“黒船”っちゅーのは、“蒸気船”でな、蒸気を発生させてボイラーっちゅうのを回して、熱で海に浮かせてるわけであり…」

 眠い。
 信州《しんしゅう》の松代《まつしろ》にて。
 翡翠は只今ひょんなことから、塾で熱弁を聞いている。

 猿みたいな見栄えの髭面講師。どうやら有名らしいが、これは正直ハズレだった。

 そもそもは相方の坊主、朱鷺貴ととある寺に訪問したことが原因だ。

 その寺の坊主が持っていた「蘭学儒教」などと書かれた胡散臭い、小姓の手書きだろう書を軽はずみに借り、読んでしまえば「興味を持たれましたか!」と。
 両肩ガッツリ掴まれて「あの先生は素晴らしいのです!ぜひ!」だとか言われてしまった。

 おいちょっと、連れが大変だぞと翡翠が朱鷺貴を見るも、笑いを堪えたにやけ面で、

「行って素行たるもの学んでこいよ」

 と言われてしまい。

「私も今から行く所存です!是非貴方も!」

 と。
 結果なかなか強引に塾まで連れて行かれてしまった翡翠であった。

 開始してしばらくは、自分も齧ったことのある蘭学だったが。
 いつの間にやらアヘン戦争だの、今に至ってはなんたら船だの。

 というか全体的に“さわり”感があり、やはり、胡散臭い、なんなら西洋大好き猿かよ、と印象を抱いた猿講師。

 名は確か、佐久間象山《さくましょうざん》と言った。

「私は以前、黒船に乗ろうとしたが」

 聞いたことある話だなぁ。

「結局今は蟄居し、ここで教えている」

 それには門下生から「なんてことだ幕府め」だの、そんな憤慨が聞き取れる。
 しかもこの男。

「私は前に松代から要請され洋式大砲を江戸で広めようとしたが失敗した。
しかし失敗は成功のもと、まだまだ、この授業は完成しない。
 国の財産である私の元に集まった諸君らは、まだまだ学ぶべきなのだ、君たちは、国の宝となる」

 自意識過剰だ。
 正直失敗話も確かに大切だが、こうも自信満々に自慢話を聞かされ「おー!」と湧く門下生達に対し、翡翠は冷めた心境であった。

 最早これは「佐久間象山西洋かぶれ宗教かよ」と皮肉さえ覚えていた。

 門下生に託すとは、物は言いようだろこの猿と、眠さに不機嫌が増していた。

 理屈の一つ一つが少し理解出来るだけに、尚、この男よくもつまらん話を堂々と出来るなと、
一言で言えば翡翠が嫌いな「学だけある奴」だった。

 これは早々にどうにか立ち去りたいと、自分を連れてきた坊主をちらっと横目で見れば、熱心に書へすらすら字を書いている。

 お前は宗教か。
 いや、そうか宗教かと、仕方なく欠伸を噛み殺し、「坊さますみません」とこっそり声を掛けた。

「悪いが腹が痛いので、先に寺に戻ります」

 そう挨拶して控えめに笑えば「あら、大丈夫です?」と心配そう。

「休みます」

 と告げて塾を後にした。

 したはいいが、暇になった。
 どうしようかと考えて歩いていた矢先、「あらお兄さん」と、女の声が真横から聞こえて。

 見ればなるほど、江戸の丁稚前だろうか、やたらと小綺麗な赤い着物を着た若い女が、なんだかわからないボロい店の前に立ち、裾で口元を隠し妖艶な笑みで翡翠を見つめていた。

 松代は江戸への丁稚奉公が盛んだ。故にこのような女はここへ来て、初めて見た。

 ただ一言、「少し寄っていかない?」と言われてしまえば。

 京から坊主と一緒の生活をしていた鬱憤、と言うか禁じられた欲が沸き起こり(一回だけ兄と発散したが)、

「あらお嬢さん、お綺麗やね」

 なんの店だかわからないが当たり前に着いて行くのが男の性だ。にこりと、こんなときに間違いなく女が落ちる、軽やかな笑みに野獣の目は捨てず、
誘い込まれるままに翡翠は女の家に上がり込んではすぐに抱きしめ首筋を食んでから、するすると欲を交わした。

 久々に女を抱いたためか、なかなか長期に渡った。

 当たり前だが気持ちがよかった。やはり女は柔らかくていいなと。

 終わって謎の母屋から立ち去って寺に向かっても身体が火照り、一気に機嫌よく、なんなら鼻唄、都々逸《どどいつ》を唄って帰る始末。

素行

そんな言葉は最早翡翠から消え去っていた。

 だから寺に戻ってすぐ、朱鷺貴に壮絶な表情で睨まれ、「お前…」と呆れられたのには唖然とした。
 自分に近付き臭いを嗅いでは一言「バカ野郎」と。

「素行はどうしたコラ」
「はい?」
「俺はそーゆーの敏感だぞバカ。
 女臭さを消してからこいやバカ」
「…朱鷺貴さん、込み上げましたか?」
「バカ死ね猿」

 なんたる悪口だか。

「ふん、」

 と再び不機嫌が戻り、同じ部屋だが背を向けてしまった。

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