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下総《しもうさ》、深谷《ふかや》宿付近にて。
朱鷺貴と翡翠は農地の多い盆地に来ていた。
流石に季節か少し暑いが、この湿地、少しだけ故郷の京を思い出す、そんな地だった。
「しかし、まぁ…」
どこを見ても畑。街の賑わいも京より遥かに土臭いものだった。
だがしかし宿場町、さらには江戸への街道が混ざり、人々に活気はあるのだが、行き交う人々は皆何処かよそよそしい。
明らかなる余所者の二人が浮くこともなく。
「こうも同じような盆地でも、藩によって違うんだな…」
街の空気はどこか
「まぁ、なんや箒を逆さに立てられた気分ですなぁ」
忙しないのか、愛想がないのか。ある意味京と変わらない気もする。
「あぁそうだねへっくしゅん!あ゛ー」
「うわっ」
「あれ、なんか風邪っぽいかへっくしゅん、な」
「え、なんや、ちょ、なんたらは風邪ひか」
「へっくしゅん!がはっ、」
言われてみて翡翠はまじまじと朱鷺貴の顔を眺める。
暑さのせいと思っていれば、なんだか言われてみれば火照っている気がする。
道端では少し忙しない。
どこか、店の影に朱鷺貴を引っ張っていき「…トキさんちょっと屈んでくださいな」と言う翡翠に朱鷺貴は「ん?」と耳を傾ける。
小柄な翡翠と同じくらいの身長まで朱鷺貴が屈むが、その左肩に置いた手で更にぐっと屈まされる。
「なんだよ」
と言うと急に翡翠は横顔に顔を寄せてきては何やら、動物のように鼻を利かせ、さらに額には体温の低い手があててられた。
「は?」と、しかし横を向いたら口付けしそうな位置。
俺は一体この変態に何をされているのかと朱鷺貴は最早硬直する。
少ししたら手も離され「確かに」と言う従者が奇妙でならなかった。
多分これはもう立って良いよねと立って見下ろせば、翡翠がにやっと笑い嬉しそうに「風邪っぴきの臭いだ!」と言った。
「え、何怖いんへっ、へっ、」
「あーあちらへ向いて汚」
「へっくしゅん!」
悪いかなぁとくしゃみの後に翡翠を見れば珍妙な表情で。
と言うかその薄顔に「最悪だお前」と書いてある気がする。酷いじゃないかその仕打ち。
「…熱ありますしどっか早々に泊まりますか。
ええっとアホ用の風邪には…」
翡翠は薬箱を降ろして引き出しを漁り始める。
確かに普段ならここに踵落としでもしてやりたいが風邪と聞いてしまえばなんだか体が重くなってしまった気がする。
「ないなぁ…」
と翡翠が呟く最中だった。
道中の荷馬車が転倒し、「うわっ!」と辺りが騒ぎになる。運んでいた農民が慌てる中、落ちたら藁を担いで逃げようとする男がいた。
随分と大胆な物取りだ。
「待てこら泥棒!」
落ちて叫んだ農民に、これは大変だと駆け寄ろうとした朱鷺貴よりも一瞬早く、薬箱を置いたまま翡翠は泥棒へ駆けて言った。
「早ぁっ、」
唖然と立ち止まってしまう。
翡翠は泥棒の手を掴み、力任せに後ろへ引いて転倒させた。藁は道端に転げる。
倒れた泥棒は小柄で非弱だった。あっさりと馬乗りになった翡翠に「このっ、」と沸く前に、首まわりにひんやり、何か刃物のような物で捉えられたと泥棒は気付く。
小型の刺又《さすまた》だった。しかも、喉仏辺りに太い針一本。右手で持ち手を持ったその役者顔が近付いてきて言う、
「動いたら死にまっせ」
明らかに余所者だ。そしてどうみても拷問だ。
どこから出したんだその拷問道具は!
と、後れ馳せながら農民の介抱へ向かった朱鷺貴は農民と共に唖然として翡翠を眺めた。
阿修羅のようだね。
ちらっと見上げて気付いた翡翠がいつも通り、「トキさーん、こそ泥捕まえましたえー」と、
泥棒の男を足元に立ち上がり、持ち手を足で踏む異様さに「ああ、はぁ…お疲れ」と、正直閉口しそうだった。
「なんだありゃ…」
と怯えた農民に「ははっ…、」とひきつって笑うしかなくなった。
「あの…、翡翠さーん…」
取り敢えずどこから突っ込んだらいいか、「あ、泥棒並みに足早いねー」なのか「どっから出したのー」なのか「なにそれ…」なのか「拷問じゃん!」なのか。
「怖ぇよ普通に!」
これしか朱鷺貴からは出てこないが翡翠は疑問に首を傾げた。
そっかぁ、お前って、そういうやつだよねぇ…。
「ちっ、」
しかし農民はそそくさと、再び馬に乗って元来た道を戻ってしまった。
「え、ええんか荷物!」
と朱鷺貴が農民の背に言葉を投げるも意味なし。
「あれまぁ」
と気のなく言う翡翠に「お前なぁ、」と言うしかなくなってしまった。
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