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襖からはまだ、夜から朝の余韻が聞こえてくる。朱鷺貴は果たして坊主根性を貫けたか、生臭坊主めという笑い話すら遠く感じるのに、妙に翡翠の頭の切り換えを鈍らせた。
汚れ仕事はいままでと、
何故変わらないのか、これが性分なんだろうかとふと、胸が痛んだ。藤嶋宮治の濁った薄笑いすら当たり前に浮かんで来て、漸くその襖を開けてみた。
あの傷男は情人だ。
襖の向こうには、わかっていたが裸の遊女と裸の男が濃厚だ。
それが色香で自分を眺めれば、知らない青年に「…誰よ」と「お前!」が重なった。
「線香を」
二人は黙って翡翠を見つめる。
満足気に微笑み戸を閉めた翡翠に「あんた…」と女が低い声を出した。
「…栄太郎に言われたのかえ」
「出張です」
「出張!?」
この武士もどうやら下級らしいと判断する。
「ええ」
女にはそれなりに覚えがあったのか、「…恐らくは見世違いだよ」と、少しだけ着物を直してそう答えた。
「いやぁ、何をおっしゃいますえ、三好さま。昨日下でお忘れ物があったようでお届けに参った所存ですぅ」
三好と言う武士は怪訝な顔をし、遊女は「そういうことかい」と着物の前を正す。
どうやら見世では蔓延しているようだなと翡翠は実態を掴んだ。
「私は違う」
「あぁ、そうなんですね。では一分をお返し…
か、わてを買うてみるいうんは如何です?何分手管を揃えてます故」
「…どういうことだそれは」
「三好さま、そりゃぁ陰間だよ。
私ぁその手の話はごめんだね」
「|姉《あね》さんはそろそろ朝飯と風呂を用意致しました」
「…そう、」
この青年の嘘臭い微笑みに遊女は何かを、察したのかもしれない。
翡翠の目に線香時計が目に入る。
燃え尽きそうだ。これは、難儀なもんだと「お侍様」と、袖にしまっていた線香を翡翠は三好に見せる。
せめて、と、帯に隠れる懐刀の存在が、何故だか体温で暖かい気がする。だから、と、その線香時計を手にして布団に寄ってみる。
「…昼三《ちゅうざん》といきましょうかお侍様」
「は?」
「手管はまぁ、それなりに」
「あんた…」
女の表情は少し、思慮をしたようで。
侍の下から姿勢を背け、遊女はひそひそ話をするように翡翠へ抱きつき顔を侍から逸らせる。
それに侍は渋々と着物の前を閉め始めた。
女と翡翠の視線に紙入れがある。それに女が手を伸ばし「なんだか知らないけど」と、一つ薬袋を取り出し遊女が翡翠の帯へ忍ばせようとしたときに、小刀が遊女の目に入ってしまったのは翡翠にも見て取れた。
「難儀なものだね…」
通和散《つうわさん》を忍ばせようとした女から直接その薬袋を受け取った翡翠は「おおきに」と素直に言った。
「姉さんほどやないよ」
「…あの忘八にそこまですることないよ、若いの」
「いや、」
牛になど興味はない。
帯を治してくれる翡翠の手管に「やれやれ」と遊女は言った。
「良い男」
「…おいお蝶、」
「…三好さん、武士の嗜み、たまにはいいんじゃないです?出張だと言っているし」
三好は眉を潜める。
「…姉さんほどではないかも知れまへんので一分でいかが?」
やはりその一分と、「なんだ貴様」と三好は言うが、
「はいはいはいはい。線香もあるし吉田につけときます」
「なっ、」
お蝶と呼ばれた遊女は乱れ髪だが翡翠が直した着物で「ごゆっくり遊ばせ」と、立ち上がり見世を去ってしまった。
二人きりになり「お前は一体」と武士が言ったところで翡翠と目が合い黙り込む。
なんだこの男は。
確かに、嗜みか。男娼であろう、お蝶よりもしかすると魅惑があり、それは傾城だと油断してしまったようだ。
「旦那、」
と翡翠に熱く吐かれた瞬間、三好は男の自分が傾城に組敷かれてしまったことに気が付いた。
男とは簡単だ。
「なっ、」
股間に細い指が這った。
お楽しみ中だった三好としてはあっさりと「ひぃっ、」と声が出るものだが、何よりその男娼の目は笑ってはいない。
「あらぁ、旦那」と男娼が嘲笑って帯から小刀を出し、一緒に糊が出てきたことには息を飲むしかなかった。
にやっと笑った男娼はそこらへんの別嬪な遊女より遥かに美のある傾城、がつっと、三好の耳の横辺りに小刀が刺さり萎縮した。
取っ手の握られた小刀はめりめり、陰茎はゆるゆるとしごいて「お|呪《まじな》いですよ」と翡翠は三好に笑う。
「貴方を傷付けるのは嗜みとして非道だ。初会ですかぁ?三好さま」
「えぇぇ、」
「これで武器を捨てましたけれども」
陰茎から手を離し、落ちた糊の袋を翡翠はなんの気もなく手に取る。
枕元の線香に火をつける、かと思えばパキっと、堂々と折れた音がするのだから半ば三好は混乱した。
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