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「どうかしていたんですよ。
 そらぁわてのタマですわ。トキさん、狩り鶏はねぇ、籠に入ってはいられんのです。籠をぶっ壊すことだって」
「…お前腹痛いって言ってなかったっけ」
「は?」
「籠ぶっ壊した結果ということか?」
「…いや、」

 どうだろう。
 そうかもしれない。暴れ狂って、弱った時にまた別の狩り鶏に食われてしまう。

「じゃぁ籠は要らねぇか、何が欲しいんだ翡翠」
「え?」
「どうやら、狩り道具は預かったらしいが」

 ふと立って朱鷺貴は、「へっくしょぅええ」と親父臭いくしゃみをして、あろうことか自分の着物で拭き畳み始めるのだから「いや、返してくださいな」と言うしかない。

「んーえーよ返したるけど川入ってこいやバッチい」
「は?」
「あ俺も湯浴びしてねぇな」
「いや、あんたは流石に川はあかんやろ」
「大差あるかぁ?」
「待ちぃ、わかりました今無になってくるさかい少々待ってて」
「へっくしょぅ〜」
「絶対それで拭かないで、汚いわ」
「大差あるかぁ?」

 考えるけど。

「わかりましたはい、もーえーです」

 と、さっさと川へ向かうのだけど、入ってみればどうやら無になれるほどの水流じゃなかったらしい。

 浸かってはいるがふとした瞬間に流れた翡翠を見て「おいマジか」と降りて行くしかない。
 逃げられる前にと翡翠を捕まえたが最後だった、にやっと悪どく笑った翡翠は朱鷺貴の手を引っ張る。

 「あっ、」と言う間によろけた朱鷺貴に「ひっへっへ」と翡翠は笑って手を借り、川から出た。

 ただただ汚くなったようにしか思えない翡翠に、取り敢えず朱鷺貴は「てめぇこの野郎!」とぶっ叩こうとしてふと、翡翠のだらけた襦袢の隙から、迷い蝶が目に入る。

 ふと何も言わなくなった坊主の視線はわかる。だが案外、それも慣れたことだと、「そういうもんやろ」と翡翠は言った。

「…この川やはり汚いですねぇ。ただただ汚れただけやったわ」
「…見るからに汚ぇじゃん」

 目をそらしてしまった坊主に「そうやね」と翡翠は笑う。

「入るべきやなかった。トキさん宿を」
「そうだよなぁ、お前って本当にアホ」

 沈黙した。
 あぁ、そう。

「…そうですね。砂利やら何やら痛かった」

 夢の中の景色がふと浮かんだ。

「うん、ホントに宿探そ。蕨よりは出たし、この辺なんかあんだろ」
「風呂屋でいいから行きましょうか」
「お前はな。俺は寝ないと多分」
「昨晩は機能しましたかトキさん」

 ギクッとした。
 まぁ、そう、「最高でしたが」と答える。

「タマだけふやけてたよーな気もしなくないですけど」
「ふっ、」

 想像しただけで笑えたが、「わてもですわぁぁ」と腹を抱えるように笑った翡翠に「うわっ、」としか言えない。

「…まったく」

 互いにまぁまぁ、漸く目が合った。「バカだねぇお前」と「すません」が素直になる。

「まぁ、そっとしときますんで、そっとしといてくれへん?」
「ん?」
「どうかしていたんですよ、わてなんかが」

 何かやろうとしたのが間違いでしたが、多分これからもあること。
 何も出来ないことほどの間違いは、ないでしょうと少し過去が見える。

「…難儀なもんだな」
「トキさんほどやないです」

 過去がちらつく。

 逃避行。これは性分で、柱に繋がれているのがいけない。

「そうかなぁ…」
「…トキさんにもあるやろ」
「まぁね」
「まだそっとしといてください」
「ん、そーだね」

 随分気が長くなったもんだ。

「だがまぁ、」
「へっくしょ、」

 やはり冷え込んできた、従者までくしゃみを始めてしまった。

「…宿」
「え、今何か言いかけましたね」
「まだだろ。けど、取り敢えず武器預かってるんで着替えてください。宿」
「…沸いてますな、意味がわからんのやけどわかりました」

 恐らく互いにそれを切り、仕舞いには殺し合いボロ雑巾になったとしたら。
 その時は、昔からそうだ。少し穏やかになるのかもしれないなと、互いにボケた頭で川口の、宿を探し始めた。
 江戸はもう、目の前。

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