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 半刻あまり、取り敢えずはと江戸城を目指して歩いてみる。
 安政の地震のせいだろうか、所々、石垣に被害が見え、まだ、修復中だろうと見て取れた。

 ここが日本を担う場所か、広大ゆえに威厳はある。

 「あのさぁ、」と、崩れた石垣の前で朱鷺貴は立ち止まった。

「道場なんてなんか、なくないかこう…歩いてきて」

 確かにそうだった。

「んー…なんやろね」

 しかしここまで歩いてくる間にいくらか、道場通いであろう武士やら、そういった者達は京都よりも見かけるような気もしなくはない。

「なんか今日はもうその辺に泊まろーよ、流石に疲れないか」
「そうですねぇ」

 なんだかんだで夕刻近い時間に差し掛かっている。11月、日の暮れは少々早かった。

「明日にして今日は終わりにしましょうか」

 そう決めて、江戸城大手の通りから1本外れに入り込んだが、道を間違えてしまったかの如し、急にがらっと景色は一変する。

「じゃーなそーじ!」

 そこで、男児の元気そうな声が聞こえた。
 女児も交えた子供が数人、帰宅の構えだった。

「ありゃぁ…」

 民家ばかりになった。こうも違うものか。また一本出れば宿屋やらはあるのだろうか。

 子供の先には一人の、背が高めで気さくそうな男が「また明日ね〜」と、こちらも子供のような笑顔で手を振り見送っているのだが「おや?」と、朱鷺貴と翡翠を眺めたその男は小首を傾げたのだった。

 男は片手に竹刀を持っている。

 師範だろうか、それにしては若い。恐らくは翡翠と同じくらいの歳と見受けられるのだから、単純に近所の子供好きな優男、といった具合なのだろう。

 ここは恐らく旅人が立ち寄らない路地だ。

「迷子ですかお二方」

 男が気さくに声を掛けてくる。
 だがやはり、坊主と薬売りに怪訝そうだった。
 じっくり二人を眺めては「浪人さん?」と口にする。

「薬売りなんてどうしたのですか?あんたらどんな人なんです?」

 そう言って寄って来てしまうのだから「ふむ…」と、こちらは掴みにくくなってしまう。

「…貴殿はこの辺りの住人か」
「ふっは、貴殿とか聞いたことがないよお坊さん!」
「…我々はどこか宿屋を」
「薬売りさん、よく見りゃ優男ですね、女に困らないでしょ。その薬は効きますか?」

 …しかしこの小僧はこちらの一切の話を聞けないようだ。

「わてらは旅人なんやけど、|今日《こんにち》京から江戸に来たばかりで勝手がようわからんのですよ、貴方は背が高いですねぇ」
「うんよく言われます。あぁ旅人さんなんですね?京都か〜、都にもこんな人いるんですね〜」

 間合いが途端に詰められたぞ。気さくだがこれは少々暑苦しい気もしないではない。

「…どうやら通りを間違えたようです。宿屋などがある通りを教えてはいただけないでしょか」
「宿?家に来ます?」
「は?」
「すぐそこだし」
「え?」

 これはなんたる親近感か。この男気さくすぎて警戒心がない。
 どう考えても我々の見た目は「家に来ます?」なんて軽さで済む者ではなく珍妙だぞと朱鷺貴は不思議に出会った気分だったが。
 そういや翡翠も「あげてくださいな」とずかずか寺へ上がってきて相当馴れ馴れしかったなと、少し前の出会いを思い出した。

 この男、こいつと同じ人種ならば少々厄介な人物かもしれない。

 だが「あはぁ、家ですかぁ…」と案外翡翠も困惑しているようだった。

 ふと翡翠が困ったときにやる、手で口を隠すように覆う癖、朱鷺貴は意識すらしたことはなかったが、「はは、お兄さんそれなんだか色っぽいですね」と、男が無邪気にそう言う。

 そんなものクソ程気に掛けたことない所作だったが、言われてみればそうかもしれないと朱鷺貴が思えば

「ははははおおきにぃ…」

と、ちらっと目配せをした翡翠にそうか、お前ほどの人たらしでも困るのかと、朱鷺貴は青年に感心してしまった。

「有難い話だが我々はその…仏教修行中の身である、ので、えぇと一宿一飯の恩を尽くすのが礼儀で、つまり商い先やらに宿泊するのが」
「んん?すみません、それはどういうことなんですかね?」

 この口下手!てゆうかそんなの初めて知ったよ!
 と、翡翠は至って軽やかに愛想笑いを曇らせず、クソ程役に立たない朱鷺貴の脇腹を肘で軽く突いた。

「わてらには旅が|生業《せいぎょう》と言うた具合なんですよ」
「なんだかわからないけど一宿一飯ならウチは理に適っているかもしれませんよ?」
「はぁ、」
「負けたら飯番になるかお金を払うかだと思うけど」
「ん?」
「どうせこの時間じゃこの辺の宿屋なんて閉まっちゃうし、皆退屈してるから多分歓迎してくれますよ、一本どうですか?」
「は?」

 それはなんや、わての生業のような客引きだなと翡翠は一瞬引きそうになる、無論同じ事を朱鷺貴も思ったらしく目も合う。

 だが青年は至って純粋な子供のように「あそこが家なんですよ」と、少し土地の広そうな、道場のような場所を指差した。

 丁度そこに入って行こうとする、30程の、青い着物で切れ長の目の男とかち合った。
 仕方なさそうにその男が「|沖田《おきた》くん、」と青年を嗜める。

「あ、源さんお帰んなさい」

 源さんと呼ばれた男は、呼び掛けたわりには気にもせず道場に入ろうとするのだが、どうやら朱鷺貴と翡翠を見て言葉を失ったようで、しばし眺めるのだった。

 いくらか事を見た翡翠は「あの、」と青年に話しかける。
 「はい?」と振り向いた青年をきちんと「沖田さん」と呼んだことに、朱鷺貴は少々疑問を抱いた。

「流行っとりますか?それ」

 ふとそう聞いた翡翠に沖田、という青年が「え?」と耳を傾けてから「へぇ、」と、いままでの無邪気さとは打って代わる、少々冷たさも混じった不適な笑みを浮かべるのだった。

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