5


 着替えを終えた五十嵐は鞄と、ベージュのトレンチコートを持って降りてくる。
 画集を前にして座り込んでいた僕に、案外柔らかい声で「パソコンそのままでいいわ。行くぞ」と声を掛けてきた。

 紺のジャケットに黒い、ラインが横縞のニットに白い短めパンツ。何ファッションだろ。トレンチ持ってるくせに腕捲ってるのよくわからない。

 しかしそんな五十嵐は僕を見て言うのだ。

「前にやったカットシャツ着たらどうだろう。鎖骨が見えてなんかアレ」

 多分その方がダサいと思うんだけど。僕最近のファッションよくわかんないけど。だっていまの五十嵐がなんかおしゃれかよくわからないもん。

「はい、脱いで着て。俺仮にも画家だからなんかいまのお前、てか見ててちょっと寒い」

 寒い?腕捲りと足首出てるよくわかんない長さの人に僕言われたの?

 五十嵐は言うだけ言って洗面所へ向かう。

 なんかそう言われたらムカつくから『脱いで着て』の意味を考え、白シャツ(襟に黒のライン入り)を着てからニットを着直す。正直重ね着するのよくわかんない。結局シャツじゃん中。寒さ変わらないんじゃないかな。

 納得はいかなかったけど、なんかボサボサの髪を遊ばせて洗面所から出てきた五十嵐は僕を見て腕組みをし、「うーん」と唸る。

 そして突如、ベッドに座っていた僕の前へ座り込み、「失礼」とか言って僕の手首まで少し捲り始めた。ちなみに五十嵐がつけている腕時計は凄く斬新で針くにゃくにゃで時間が読みにくかった。

 ワックス臭い。

「萌え袖って捲るの大変」
「僕まで捲るの五十嵐さん」
「面倒臭いからいいや。はいコート」

 トレンチコートを渡される。
 てか。

「あんたそれ寒くないの」
「なんで?コート着てるじゃん。ジャケットコート」
「なんで捲るの」
「おしゃれ」
「うわわかんない」
「うわ元モデル業に言われた」

 トレンチは着たが。
 何故だか楽しそうに五十嵐は「最新のおしゃれを学びたまえよ」と言う。なんで勝ち気なのか全然わからないけど準備は整ったらしい。

 そのまま外に出ると、日差しはまだ優しい。
 けれど晴れていて少し、さっきよりも眩しくて顔を背けた。

 五十嵐は最早靴下を掃いていないような革靴だった。それ、おしゃれなの?確かに晴れているけど寒くないのかとやっぱり疑問のままだった。

「やっぱ車のがいいかな。電車とかお前吐血しそうだよね」
「そうですね。車とか…」

 あんた変な香水つけてそうだよなぁ。酔っちゃうかな。

「確かにちょっとタバコ臭ぇんだよな…。消臭剤、ラベンダーとジャスミンがあったと思うけど」
「いいです。窓開けますんで」

 やっぱりな。消臭スプレー持ってくればよかったな。

 五十嵐の車は意外と、地味な黒い軽自動車だった。そして意外と、確かに匂うけど予想したよりは酷くなかった。

 僕は助手席に乗ってすぐに窓を半分開け、シートベルトをするのに手間取る。

 意外と滑り悪いなぁ、シートベルトって。

「あっ、」

 そうして何回も伸び縮みをしていたら、シートベルトの勢いで指を少し切ってしまった。

「何、どうしたの」

 と見た五十嵐が「え゛っ、」と驚いている。シートベルトはちゃんと閉まった。

 それほどでもないんだけど、右手の人差し指の第二関節から血が出るのを少し眺めた。
 指を咥えたら染みる。これはきっとこの後僕が誰かに原因不明で殺されたとしたら、皮膚片やら血痕やらで真っ先に五十嵐が疑われるんだろうなとふと思った。

「何してんの、お前」
ひはひふりへ久しぶりで、」
「あーわかった、喋んなくていいわ。大丈夫?」

 こくりと頷く。
 鉄の味。僕のO+はまた僕へ還るんだ。

「初めて見たぞそんなやつ」

 車は発進する。
 そうだろう、僕だって多分そうだろうし。

 指を咥えながらちらっと横目で五十嵐を見れば、にやけ面。しかしやっぱり耐えられなかった、といった感じで「うふっ、くっふふ」と、気持ち悪く笑い始めた。

「お前って、なんかぁ、あ、会ったときから思ってたけどか、変わってるよなっ!」

 失礼だな。
 指を離して「貴方に言われたくないです」と反論。

「普通…切らないよっ、」
「僕だって多分ないですよ」
「どうだ、自分の血液の味は」

 は?

「お前幽霊じゃねぇなどうやら」

 楽しそうに五十嵐が続ける。

「吐くわ泣くわ怒るわ笑うわドジるわ。思ったより人間じゃん」

 …そう、

「…何が言いたいんですか」
「まぁ黙って俺のアシスタントとかモデルとかやってろって話だな。いや、黙られても正直怖いけどな」

もしかして。

「…案外歯磨きカップ、怒ってますか」
「そうだな、いや、それよかエロ本投げた方が大分腹立ってんな。あんなこと俺にするやついないからな」
「でも最初女にぶっ叩かれてましたよね。タバコすっ飛んでましたよ」
「それはわりとあるから」

 確かに慣れた対応だったな。

「じゃぁよかったです」

 慣れてるんじゃなんも気にしてくれないだろう。五十嵐は「可愛くないなお前〜」と、わりと嬉しそうに言うのだった。

- 24 -

*前次#


ページ: