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 幼い頃に持っていた唯一の“遊具”は何十色ものクレヨン、色鉛筆。

 その頃の俺は今とは違って妙にクレヨンが好きだったし、良さなんてわからなくてもフィンセント・ファン・ゴッホの七種類の“ひまわり”に不思議な感覚を覚えたものだ。

 小学生になって何かの拍子に、彼は色覚異常だと知った。つまり彼の描いたものは彼が見た景色とは違う、いや同じなんだろうけど俺が見ているその絵の色と彼が見ていた色彩は違うものなんだと、それに何かを思ったような気がする。

 子供の安易な発想で、絶対に真似が出来るわけがないゴッホの色彩を再現してみたいと黄色いクレヨン、後に色鉛筆、ばかりが減っていった時期がある。

 その少年だった俺が何に拘り執着したのかはわからない。

 そんなことよりあれからの感性は「何故、ゴッホは代わり映えもしない七点のひまわりを描いたのか」というものに変わった。
 ユートピアの象徴、精神病棟に入ってからは描かなくなったらしい、ひまわり。自殺をするに至った経緯の本当なんてものは、本人以外にわからないし、見えないのだから、“自分”がいるのかいないのか、そう考えるようになったのは昔も今もゴッホのせいだ。

 スキャナーに自分のスケッチを読み込ませてふと、溜め息が出た。途端に絵の中の幽霊、サナトの視線とかち合ってしまう。

 俺はこうやって、いつでも人を踏みにじっている。サナトは最高に嫌そうだった。それで漸くこの絵が生きたと感じたのだ。

 この絵を見たときに誰しもが、この青年は何を考えているのかと一度、見た瞬間くらいは考えて虜になるはずだ。癖になる。
 何せモデルがいいし俺が描いたのだから。そして誰もが答えに行き着かずモヤモヤと霧散する考えに満足を得られないはずなんだ。俺もそうだから。

 にやけそうだ。
 暫し絵を、線画のままに眺めていた。君は何故、実態を持たない何かを眺めようとしていないのか。

 それを俺も知らないままだからこの絵は生きているのだ。

 なーんてな。
 ナルシストが溢れ出そうだ。いかんいかん。そんな自己陶酔はこの儚げを壊してしまう、安心しろ俺、お前はゴキブリのように逞しく図太く脂っぽいだろ、色塗りは油性とかクレヨンはやめようかな。

 色を眺めてそう決めた。
 ふー、俺って程よく最低。

 集中力が切れたところでアトリエのカーテンが光も通さないのを感じた。
 間違いなく夜だろうとカーテンを開ければ雰囲気的にはまだ夜中でもない。

 腹が減った。畜生、何時か知らんがあの幽霊ちゃん、ホントに俺の事、呼びに来てくれなかったんじゃないの。

「ご飯なんて要らないです。塩でもください」

 とか、本気で言いそうだ。世話をしなければと俺は最後、絵を眺め痩せ型のサナトを確認し、今は凄く肉が食いたいと考えた。

 一階に降りて電気すら点いていなかった。
 何。アトリエの電気、ついてるからまだ止まってないんだけどなんでなの、死んじゃってたりしてと不安になりリビングを開ければ、微かなノートパソコンの明かりから「あん、あん」と微妙に聞こえてきた。

 うわぁ何そのパターン。引き返すべきかと思っても遅い。
 真っ暗な中、ソファに座りパソコンを眺めるサナトに、何故か俺は気配を消すように忍び寄ってしまったが。

 …ん?

 一点の光でいまいち見えなかったが目を凝らせばあれ、それ君のAVじゃんと感じて背筋が凍った。

 やべぇ、これどうしたらいいんだと更に忍び寄ったが、なんというかサナトは蛹のようにミリ単位ですら動いていない。当たり前か、カット的に自分ばかりが映るAVで抜いていたら俺でも引く。いや、けどならなんで見てるのと思えばビクッとサナトの背が動いた。
 これは完璧に気付かれたぞ、俺。

 しかしサナトはミリ単位ですらやはり動かない。いや、蛹って良く見ればミリ単位で震えてたりするじゃんと思ったので、どうしようか、一応「あの〜……」と声を掛けても最早無視されてしまった。

『いやっ、気持ちぃ、』

 うーん俺すげぇ複雑で対処困る。

「…サナトさん、飯食いませんか…?」

 と声を掛ければ「あい、」だか「はい」だか、なんだか鼻声な気がして顔を覗こうとしたら、サナトの目元から頬がきらっと光っている。
 それを気付かれたと悟ったのか、サナトは手で拭って「そ、ですね…」と我に返ったようで、動画をストップした。

 えっ、どうしたらいいのこれ。

 理屈も理由もわからない、が、パソコン表示はParis 12:13:42。あ、そうだ調子こいてパリに合わせてあるんだこの時計。理屈も理由もわかんねぇ。誤差何時間だか忘れたから今何時かわかんねぇ。

「…もうこんな時間ですか、お店やってな」
「ごめんそれパリ、夜中じゃない。何時か忘れちゃったけど………あぁ、こっちのデジタル20時らしいわ何食いたい?」
「……は?」
「俺肉食いたいんだけどいい?」
「いいですよ、僕もお好み焼き食べたいです」
「見事に俺は無視されてるね、うん、わかったけど…どしたの」
「え……、何がですか」

 ……まぁ俺もちょっと泣いてるのにビビってるんだけどシラを切られるとどうしていいかわからんわ、豚玉だよなこれと考えていると「いや……」と、無理が祟ったらしく溢れ出るようにポロポロとサナトは泣き出してしまった。

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