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 ポケットからマスクとポリエステルの手袋を取り出したサナトは、ふうっと一息を吐く。

 それは常に持ち歩いているのだろうか。

 隠れた口元、見える眼には感情がないように思えてならない。流石にその対応には疑問を抱き、「なんで、」と掻い摘む。

 サナトがゆっくり俺を、その空虚な眼差しで見つめる現象に、俺には違和感や不思議しか生まれない。探求心が勝る。

「なんで俺なんかのアシスタントなんてやろうとしたの」
「…募集の時に送りました」
「いや、」

 正直、特別に心惹かれる物がなかった。だからせめて好みの見映えがいい女で決め、こじつけてこうしている。それは、ここ一月のありきたりな話。

 ましてや男なんていたか。いや、何人か面接くらいはしたが、何故それらに興味がないのか、単純だ。皆、俺の絵に心酔してしまっているやつばかりだったからだ。

「あまり見ていないんですか」

 はい、そうですとも言えない。

 だがサナトは俺の返事を待つわけではないらしい、「掃除機はどこですか」と聞いてきた。

 ……まるで不思議だ。

 廊下を指して「ドアのとこの物置」と言えばすぐに取りに行ってしまう。

 どうしたもんかな。

 そして取り敢えずコーヒーをいれようかと立ち上がるも、入り口の方からガタガタと物音が立てば思い立つ。

 そうだ、あまりに使っていないせいであの掃除機は相当奥にしまいこんでいた。物が倒壊し振ってきて頭を打ち付けて死んだりしないだろうかと心配になって覗きに行くしかなくなった。
 心配をよそに、ただひたすらに物置から物を引っ張り出して奥へ入り込もうとしているサナトに「何やってんの」と聞いてしまった。

 小さく咳をしながらちらっと、俺をつまらなそうに見た後にサナトはまた作業を再開し始めた。
 仕方なく「わかったわかった」と、掃除機を取り出してやる手伝いをする。
 掃除機をやっとの思いで取り出したら、サナトは迷惑そうに眉を潜めて咳をしながら顔の前で手を振り埃を拡散させていた。

「…わかった、掃除くらいならするから」
「ごほっ、げほっ、」

 何か言いたいらしいが言えないようだ。

 いくら喘息と言えどこれほど露骨か?これはどちらかと言えば俺への当て付けじゃないのか?

「では、何を、したら、いいですか」
「えっ、」

 大体、アシスタントの仕事は画展とかのアポやらスケジュール管理なんだけど。
 正直最近ずっと一人でやってきたからなぁ。と言うか。

「モデル」

 ポロっと出た。
 何故かはわからん。

「…はい?」
「いや正直、アシスタント募集したはいいが、まぁそうだな…美術団体の連絡とか、俺一人でやってきたから」
「…そうですか」
「お前はどうして、ここへ?」
「…まぁ、絵を見て、ですけど…」

 そりゃそうだろう。それを聞きたい訳じゃない。

 サナトは床にぺたりと座り込み、ふぅ、と一息吐いて、どこだかわからないが下を眺め始めてしまった。
 呆れた、と言うのが正しいのだろうか、この態度は。俺個人には儚げ、という表現なのだが。

「正直、僕も大して募集なんて見ていないので、何をしていいのか」
「…見てないの!?」
「ええ」

 なんで来たの?
 と言うか流石に記憶をかすらない俺でも、多分学歴とかは目に入れているはずなんだけど、つまりこいつは美術系のやつだと思うんだけど。

「…どこの出?」

 それを聞けば何故かサナトは驚いた眼差し。そしてサナトは目を伏せる、「覚えてません」と。

 詮索をされたくない、と言うよりも。
 その綺麗な薄い網膜が俺を捉える。感情は読み取れないほどに空虚だが、何か一点の染みのようなものを見るような表情。

 こんなにも、わかりにくいが表情はたくさんあるのかと半ばサナトを見いっていれば薄く、「少し前までの記憶がないので」と言った。

「ん?」
「どこかで…貴方の絵を見た瞬間に衝動的に応募してしまいました」
「あ、え?」

 ……着いていけなくなってきた。
 なにそれ。

「あとはわからないんです」

 それは一体、ん、どういうことなんだ?

 ふと、サナトがうっすらと、笑ったのがわかった。そして俺に言う。

「自分を幽霊だと思うことにしてここに来ました」

 …それは渾身のギャグなんだろうか。
 と言うかやはり。

 俺にはこいつが目に見えない、酸素だとか、それくらいの浮遊物に思えてならない。実態はあるはずなのに見えず、間違いなく浮遊しているそれに。

「…なるほどね」
「納得するんですね」
「正直俺も、幽霊みたいだなって思ったから」
「だから、モデルなんですか?」
「そうかも」

 実態が知りたい。
 いや、
知りたくないような気もする。これは第六感とか、どこだかわからない直感でしかない。なんとなく深く関わってはならないと感じるのに、どうしてだか手を伸ばし色をつけたくなる。輪郭をはっきりさせたくなる。

 どうやら俺はこいつに興味が湧いたらしい、そうだ、どうやら、そう…。

「…取り敢えず埃まみれだ。掃除はしておくから風呂にでも入ったらどうだ。終わったら…」

 考えた。

「お前、どこに住んでんの?」
「今朝方引き払いました。採用なら隣を借りようかな、と管理会社に言いに行こうかと考えてましたけど」
「は?」
「住むの簡単みたいだし。今朝方まで僕がいたところの人がなんとかしてくれるんじゃないかな」
「なにそれ」

 より掴めない。
 こいつは大丈夫なんだろうかと漸く不安も覚えてきた。

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