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 まぁ、この距離はそうか、ミノルくんのあの感じと似ているのかもしれない。

「…お前は知り合いはいないわけだもんな」
「あ、はい。今丁度羨ましいけど複雑だなって思いました」
「…うつったかな」
「ん?」

 ならばミノルくんにとってはこれっぽっちも「良い奴なんかじゃねぇし」だったんだろう。ごく当たり前で、ただ、その彼の中のごく当たり前は、他人から見れば情があると捉えることが出来るもの。そういう子だったというだけの話。

「いや、幸先が良いことだ」
「…そうですか?ならまぁよかったですけど」
「ひとつ聞いて良いか」
「はい?どうぞ」
「お前はなんか、思い出したいこととか…全部忘れたわけじゃないからまぁ、置いてきたものとか、どう思う?」
「はい?」
「いや、別に良いんだけどさ」

 こうグサグサ聞くのは悪いことか。
 俺は案外そう思ってないが、触れなければそれ以上、膿になることもないことだって確かにある。
 しかし膿には抗体だとか、治癒だとか、そんな役割だってあると思うから。

 そう。
 暴きたくなるのは画家、芸術の切れない“性”だ。
 しかし、この追求がないことを「ナメている」とは片付けられない。芸術とは常に売春だから。

 自業自得という言葉の重さが今になって腹に落ちた。

 それを見たいという心理は純粋なようでいて…そう、油かなんかで汚れている。
 これで途端に「描きたくなったな」と衝動が吹き起こること。本当のところ、これこそが生命なのかもしれなくて。

「…思い出したくないとか、でも知りたいとか…半々なんです、本当のところ。これって無理してるんでしょうか」
「そうだよなぁ」
「ですよね」

 なんとなく少しだけ、まるで「わかりあえました」という雰囲気が出た。
 雰囲気なんて目に見えないものでしかない、不確かなもので。

「……俺も今回は久々にやる気が出たわけだし。実は怖くもなんともないんだ。だから沸き起こるほど…なんと言うか、浮力で軽い。初めてかもしれないな」

 特にそれに対してサナトは何も言わなかった、もしかすると「昼寝症」だかなんだかで、突然寝たのかもしれないし。

 しかし個展場の前に車を止めるとサナトはそのガラス戸の先、クソムカつくオールバックの胡散臭い笑顔、手を振りを見て「すみません、」と言った。どうやら、起きていたのかも。

「………実は…あれからあんまり、動悸、止まってなくて」

 それは別に駒込がどうのじゃなく、多分そう、今日は珍しく人も多いところに出たからだろうと思い、「まぁ今日は不調だもんな」と言っておく。

「ま、少し出てくるわ」
「すみませんね」
「寝てても良いぞ」
「はぁい…」

 まぁまぁ発狂される前に申告した、これは進歩なのだろう。考えてみれば極限まで吐き気を我慢して、だとか、これまでにあったことだ。

 幸先良いのかもしれない。

 俺はパソコンだけを持ち一人で久々の同級生・・・、駒込が先入りしている「花宮画廊」の戸を開けた。

「久しぶり、待ってたよ五十嵐」
「…うぃっす久しぶり」
「一人?」
「んー」
「大変だねぇ五十嵐も」

 慣れた相手は早い。パソコンを台に置けば当たり前に覗いてきて「今回の“幽霊”は?」と話も少なく始まるのだ。

「んーとこれとこれ。こっちがメイン」
「………おぉ、」

 息を呑んだらしい。ははっ。だろう。

「…見っ…事に五十嵐の性癖を詰め込んだような顔だね」
「うるせぇ違ぇよ」
「おっと……?見たところこのモデル、男性じゃない?」
「うんそー」
「抱いたよねこの質感」
「お?そう思う?」

 目論み成功。うん、そういう生々しさを生々しくない関係で描き上げたこの壮大なフィクション、俺の実力を称えよと覗き込む駒込の横顔は相当魅入っていた。

 あぁ整髪剤臭ぇこいつ。

 俺と見合わせてにやっとした。きっと「ははは抱いちゃったねやっぱり!」なんだろ?お前に良い精神科を紹介するよ。

「………え?何その顔。抱いてないってこと?
 え、ないよな?こんな雰囲気で」
「……え?なんでバレたの」

 えっ。

「…そっかぁ。あーうん、考えたら男だしお前ってば芸術極めすぎてみんないつかは行き着くところだしって、なんせこれなら俺でも抱いちゃう間違いなくとか納得しそうになったくらい良い出来だな」
「…評価軸すっごいわかんねぇんだけど」
「うぉうメインを最初に見ちゃったな…もう充分ってくらい…どうしちゃったの?五十嵐…。ヤバイな、俺が買いたいマジでお世辞抜きに、てかお世辞ごときでお前なんかの絵は買いたくないけどいくら?」
「当日決める。他と兼ね合いで」
「あっそう…。まぁキープ出来るよね。ちょっと………」

 抽象的な感想しか出てこないくらい良い出来だったようだ。そうだろう駒込。お前にしては良い感性じゃん。

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