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「え?兄?」
「あー…あの加藤、前回連れて行ったの、この子の兄貴なんだよ」
「は?え?何?」
加藤くんの表情は明らかに疑問へ変転し、私の姿を遠慮なしに眺め始めた。
不愉快だなぁ。
「…あの、双子の兄の御子柴悠《みこしばゆう》と、よく間違えられるんです、私」
「はっ?」
相当驚いている、素直な反応だった。
「え、だって、君さ」
「はいあの…声も低めだし服も…だぼっとしているし、本当によく似てるらしいんですが、妹の陽《はる》といいます…」
笑顔で務めた、はずだ。
多分、私の笑顔は兄にはない特技だろう。
「あ、え、」
「加藤、」
源蔵くんは私の気持ちを拾い上げ制してくれたけど、
「源蔵くん、ありがとう」
この笑顔はきっと兄にはないものだろうと胸を張る。
「あ、いやごめん、そ、そうなん?
いやぁ…だから雰囲気が違うのか…」
様々な疑いを振り切って「みたいですね」と落ち着いて返す。
それに少し加藤くんは胡散臭さを消し「うーん、」と私を見つめてくる。
まぁまぁ、慣れたことだった。
「兄には私からお伝えしておきます。お名前はなんと言うんですか?」
「…加藤雅夫《かとうまさお》」
「加藤、雅夫さん」
「えっと…。
ま、ごめん。よろしく。
あのー、さぁ。女の子ってマジ?」
「え?」
「…それ悠にも言ってたぞ加藤」
「いや、だって。
なんだよ水くせぇな田辺ぇ。俺ちょっと待って、ぶっちゃけると御子柴…えっと悠?あいつ、あんなんじゃなくてしかも女だったらありだなぁってマジで思ったんだけど!今!
君可愛いし?綺麗だし?お前だから黙ってたの田辺」
加藤くんは先程のような、軽い調子に早戻りした。
うぜぇなぁ。
「違ぇよなんなん」と早戻りした加藤くんを制する源蔵くんの雰囲気も変えたくて私は「ふふふ、」と愛想笑いをすることにする。
これも慣れたことだ。
「兄に言っちゃいますよ?けど、私も怒られちゃうかもしれないので、ここまでにしましょ?」
「え、」
あとはもういいやと、微笑みは絶やさないまま少し頭を下げて終了の合図。
源蔵くんのノートにまた意識を戻して一人、予習をしようと考えた。
雑音はシャットダウンしてしまえば私には流れてこないはずなのだ。
…木星の衛星「悠は厳しいんだよ」メティスと「あ、そう…」アドラステアは、ロッシュ限界にありながらも化学的結合力が潮汐力に打ち勝つため破壊されずに…。
ロッシュ限界、ロッシュ限界。
ページを戻る、あぁここか。
衛星が潮汐破壊《ちょうせきはかい》を受けてばらばらになる臨界の衛星軌道半径のこと。うーん、潮汐破壊ってなんだっけ。
講義開始のベルが聴こえる。ブラックホールに近付きすぎた恒星は潮汐力により破壊されることがある。
戻って。
あ、そうだ。
「源蔵くんごめんね、ありがとう」
抗議で使う源蔵くんのノートを返し、「うん」と返答を受けてから自分のノートを開いてみる。
御子柴悠。そうだ、お兄ちゃんの天文ノートだ、これ。
雰囲気的にはこの辺だろうかとページを開く。
潮汐力…月が地球の海水に潮汐を発生させる力。
進んで進んで。
木:メティス、アドラステア=破壊× 衛星…結合力が
「ねぇ、御子柴ちゃん」
右側から小さな雑音が聞こえる。
意識は霧散に向かう。
見れば加藤雅夫が意地らしくにやっと笑い何か、紙をこっそりノートの上に渡してきた。
さっきのわりとまぢだから。
加藤雅夫
アプリID、電話番号。結合力が潮汐力に勝つ為。
類:SL9。
「はいこんにちは。前回は…」
教授が参考書を眺める温い空気が教室に流れる。
「ハルちゃん」
左から声がする。
メモを見た源蔵くんが「気にしなくていいよそいつ、」と心配そうで。
「んだよ彼氏かよ」と不貞腐れる加藤くんに対し、
「そーだけど?」
と言う源蔵くんに動揺してしまった。
これにどう対処すべきか、二人の行き交う視線に戸惑う私は何か、目眩のように頭が引っ張られそうだった。だけど、
「大丈夫だよ、源蔵くん」
もう、笑うしかない。
私は加藤くんのメモをポケットに入れて「ありがとう」とどちらにも笑って答えた。
また、気まずい雰囲気が流れるのに、シャットダウンして講義に聞き入ろうとする。
「えー、類似事案ではぁ、シューメーカー・レヴィ第9彗星がありぃ、ロッシュ限界の内側に入り込んだが、潮汐分裂を」
生温いんだよ、全部。
教授はダルそうに記号、陰鬱とした雨のような解説をしている。
シャットダウンしてしまいたい。
大気圏ってなんだっけ。静めるために、寝てしまおうか。
この人は絶対に宇宙飛行士にはなれない、そうぼんやりと空中を眺め、突っ伏した。
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