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「…楓ちゃんさぁ、」
少し落ち着いた頃にマーサが俺を抱き締めながら背中に語ったので「なに?」と、批判かな、怒るよなと振り向いたのだが、ふと黙ったマーサは即、ベットの引き出しからエフェドリンを取り出したのだった。
「…ちょっと息苦しそうだね楓」と、自分の口に錠剤とペットボトルの水を含んで俺に口移ししてきて。
広がった生ぬるい水と溶けかけた錠剤。飲めるまではこの恋人、舌を抜いてくれないのだ。
なにか、じわりと頭に、安心だとかそんな優しい言葉が喉へ流れ込む。
好きな色で塗り替えられていくような自分に酔いそうで。
「ん、ありがと…」
「…何か嫌なことあったの?」
飲み込んでしまっては出ていかない。
答えられずにいて、「いや、違うならいいよ」と、頭を撫でるように抱き締めてくれた腕が逞しかった。
「なんとなーくね」
「…やっぱ、ごめん」
「いや気持ちよかったんだけどね、まぁ、俺は入れられ向きじゃないらしいからアレですけど」
「…んー?」
ちょっと高い背の顔を見上げるようにして、けど微妙な位置だから顎をなんとなく食めばじゃりっとする。あんま好きじゃないわりに結構これ、やっちゃうんだよなぁ。
「はは、どーしたの楓ちゃん!」
恋人は破顔しキスをして、頭をわしゃわしゃ両手で混ぜてくるのになんだか、安心してしまった。
完全に力が抜けて、「あぁ、力入ってたんだな、なんだろう」とぼんやり考えた。
調子に乗って額をアゴヒゲでじゃりじゃりやってくるのに「痛い、それ痛い」と言うが、「いーんです今日は」と、よくわからないけど、まぁやめてくれた。
少しして見つめ合う。破顔はなくなり、けど優しい顔だった。多分、俺の話を待っているんだろうな、そう思えたら気まずくなる。
だけど俺が黙っていれば大抵マーサは聞いてこないのだ。ただ、待ってくれるから、「お馬さんごっこだよ」と気付いたら滑り落ちてるもので。
「ん?」
「いや…」
「何?元彼的な…やつすか?」
気まずい。
「いえ、違いますね」
「どう考えてもバックだとしかいま」
「…あの、」
ちょっと軽い調子で流してくれようとしてるんだけどな。
わりと楽しくない声の俺にマーサは「…どしたの?」と声を、潜めた。
「いや、…なんてことも、ない話で」
「うん」
「…俺、母子家庭だから、学童保育に行ってたんだけど」
「あ、そうなの?」
「うん」
「学童保育?」
「うーん、小学校にあった。なんか、母親が働いててさ、帰り遅いから」
「保育園みたいなやつなのか?」
「うん、そうだね。3年生で…卒園?なのかな」
「ふーん…」
言葉にしてみると、情景が浮かぶようだった。
名前は忘れたけど、男の先生。優しかった。
そう、特に嫌なものじゃなかった。
「…男の、ちょっと大きめな先生がいた」
「…ん」
あ、ちょっと察したかな。
「で?」を優しくしようと多分頑張ってくれているんだろうけど。
「…小学校ってホントに苦痛だったんだけどさ」
「あぁまぁ、話してたよね」
ぼんやりと、けどはっきり輪郭を捕まえて目を閉じる。
要らない方の心配なんだろうか、マーサが「まぁ、その、いいよ、楓」と言ってくるのだけど。
「マーサ?」
「うーん、正直言ってしまえば話によっては聞いてあげたいような聞きたくないようなで、いま俺はさ迷ってるね」
「…なら内容も宙ぶらりんかな、嫌でもなかったし、うんといや…わからないな」
「んー、任せる、と言っちゃうとなんか楓に投げてるような…複雑だな…」
は、
「ふっ…、」
笑ってしまった。
あぁ、俺の方がおっさんに近いんだし良い加減に…しろよ。
「…あれ、笑える感じ?」
「宙ぶらりん。うん、そうだけど怒らない?」
「…怒りは、出来ないね」
「…優しいなぁ、マーサは」
だから一回抱き締めた。
ふふ、と笑ったありがたまたま乳首に近かったみたいで「あ、楓ちゃん、ちょっと反則」と笑ってくれた。
「ごめんそんなつもりなかったから後で死ぬほど抱いて」
「え?マジ?」
「…うん…いや…」
「え、どっち」
「任せる」
「困ったな〜」とマーサは笑った。抱いてもらうかは話の長さに任せるとしようか。
俺は、うん、そう。確かに、何もかも失うものはないはずだろう?と、灰色な自分の心に話し掛ける。
夜のような、深い、黒に近い青のマーサの目に、染められたいと思ってしまった。
「…あぁ、そう。俺はほら、学校でどちらかと言えば浮いていたみたいで」
「…うん」
胸板に額を擦れば少し、湿っぽくなった気がする先の俺は体育館裏、学童保育の前で体育座りをして泣いている、上履きのまま。
なんでバカにされたか、腹が立ったはずなのに、やっぱり一人で泣いたんだろう。
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