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 小さいときに見たふたご座流星群はとても綺麗だった。
 走る星は魚のようにあの青を駆け抜けて行くんだって、少年の頃に白い息を吐いた。その星は燃え尽きて、誰もいない場所で輝いたのだと、飽きずに3時間も外に出て夢中になっていた。
 時々一人、そうやって透明になった気になっていた。寒いなぁ、だけど、浮いた涙は、それじゃない。目に、「あっ!」と言ったそのふやけた空が、見える。

「楓ー?楓ちゃん?」

 呼び止められて、背中を向いて。

 ケータイのバイブが耳に入ってきた。楓はそれから目を開け、ネクタイを締め出勤の準備をしている同居人の顔を確認する。

「ケータイ鳴ってるよー、おはよう」

 額を撫でる同居人に、潰れそうな低血圧の声で「おはよう、まぁさ…」と返す。

 真麻はやれやれと言った様子で、楓の耳元で充電されていたケータイに手を伸ばした。真麻のぶら下がったネクタイが少し、楓の顔を撫でる。

 「んー、」と寝惚けた頭で楓がそれを受け取ろうとすると「あれ…」と真麻の声と表情が少し曇る。
 追求する間もなく確認した楓にもそれが理解出来た。画面に「母」と表示されているのが目に入る。

「…母さん?」

 真麻からケータイを受け取り楓はぼんやりとして「…もしもし」と耳に充てる。

 真麻はそれで、体を起こしてネクタイを締め直した。
 『楓?』とケータイから漏れ聞こえる女の声は、真麻の記憶したものよりも温かさや脅えがあるように聞こえた。

「はい…久しぶり…デス」

 片言に言う楓の気まずそうな喉は真麻と楓の母が出会った日の病室に広がるようだった。
 病室に現れた長いカールの黒髪の女性は確かに楓にそっくり、の分類で血縁は疑いようもなく。
 あの慌てた女性の様子が「…楓、元気?」にどちらも、直結する。

「…うん、元気…」

 心許ない楓の声は瞬時に最後から最近までが胸に占める、元気ではないけれど母は心配だろうと「なにがあったの、」と少し慌てていた母が病室にいる。
 あの日母は真麻と自分を変わる変わる怪訝に見て「一体…」から言葉を始めたが、ケータイからは「あれから、」と詰まる母の、その日に似た感情が伝わってきた。

「うん、なんとかやってるよ」
「…そう…」

 長くなるだろう沈黙を見越して楓は寝返りを打ち真麻に背を向け「どうしたの」と優しく母に言った。

 真麻には楓が気掛かりだがここは離れていなければならないと、朝の準備を思い出した。

『いや…楓は、元気かなって、思ってね』
「うん、」

 二度目の会話に目を閉じて楓は思い出す。

「取り敢えず運んだんですが」

 と、楓を見た母の混乱に真麻は気を遣ったのだが、「…お友だちですか、ありがとうございます…」と母が怪訝だった際、「…恋人です、多分」だなんて、ぎこちなく曖昧で的確に真麻が母に返していたのを思い出して。

『…いまは…何をしているの?』
「…在宅ワーカー、というやつ」
『…家にいるんだね』
「そう、起こしてもらった。ごめんね出るの遅くて」

 母もきっと、だから気まずいのだ。
 息子がゲイだったとか、錯乱して自棄になり川へ落ちただとか、母にとって良い話ではなかったはずだ。現に全てを「何言ってるの…?」で済ませたのだから。

『朝だったから、悪かったかなって…』
「母さんは大丈夫?今…7時位だけど、出勤前?」
『いえ。
 今母さん、仕事してないの』

 働き詰めだった母を楓は思い出す、あれ、母は何を、どう働いていたんだっけな、でもいなかった。そんな母しか思い出せないが。

「えぇ、ちょうど切れ間?」
『はは、そうだよね』

 漸く。
 母の声は和やかになった。

「…うん。母さんいつも働いてたから」
『結婚したの』

 結婚したの。
 楓にはふと、高校生のころ病室で見た、爽やかな短髪の男性が思い浮かんだ。

「…もしかして、まさゆきさん?」
『そう…』

 今までの記憶が意識を流星のように、駆けていってしまった気がした。

「長かったね、母さん」

 それは単純に、楓も嬉しい気持ちにはなった。
 きっと、母を支えてくれる。

 何回か、その男性には会ったことがある。とても頼もしい人だった。
 母がいつからその男性と交際を始めたのかは知らない、初めて楓がその男性に会ったのは17歳の時。だから…11年か。

『うん…』
「あぁ、よかったね母さん、」
『うん、ありがとう』
「そうか…」

 それを報告しに、母はあれから4年の沈黙を破った、そういうことで。

『…それで…』

 この声色。
 そうかと、「…赤ちゃん?」と、聞いてみた。

『…うん、そう』
「そ…、」

 そうか。
 言葉に詰まってしまった。

「よかった…。母さん、よかったね、ホントに…」

 自分に弟か妹か。
 いや、自分に、ではもうないんだ。

『楓、ありがとう。だからさ、』
「男の子か女の子かは?」

 しかし、寂しさは不思議となかった。

 真麻が自分の真後ろに立っているのがわかった。気に掛けてくれていたのを感じる。
 家を出る時間まで、もう少しかもしれないなと、楓はまた寝返りを打ち真麻を見上げる。
 でも、何故だか起き上がる気はしない。

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