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思い出す、白に溶け出した紫に明日が見えそうで、消えそうで。
不確かなまま黄昏る、今日は特別でもなんでもない、月が細い夜だった。
誰かの中で確かに生きていたかった霧のようなタバコの空気の先に、混じりあった網膜が脳へ、衝撃波を与える。
意識を駆け抜けた、その先には少し背の高い年下がドアを開けて立っている。
これは、日常にないエレクトリック。
「…ま…さ?」
「…楓…」
解け合った二人はそのまま硬直しどうすべきか、空気を読んでいる。
この空気には窒素も、酸素も、二酸化炭素も確かにあるはずなのに、その景色は透明で、水のようだった。
俯く楓はきっと、少し酔っていて、だから一層戸惑っているのだろうし、瞬きを数回して少し眉を寄せた真麻は言葉を失っているだろうし。
何をすればいいだろうか。
現実は当たり前に無色透明で流れを変えない。だけど、だけど、と、ただ心の濁流に心臓が鳴る。
まっさらで、ただ泣きたくなるそれに「どうしよう、」と楓が震えて溢した。
「どうして…」
唇を少し噛んだ楓に、真麻は少しだけ痺れを解そうと「久し…ぶり、」とそこから詰まらせた。
バーテンダーと目が合った真麻は「…ジントニックで」とオーダーした。もしかすると楓のそれはジントニックでなく、ジンリッキーくらいに爽やかかもしれなくても。
その潰れたライムに真麻は躊躇いがちに楓の隣に座った。
真麻が隣に座ると楓は「あっ、えっと、ひさしぶり…」とそわそわしていた。
ジントニックを出された真麻はタバコをポケットから出したけどふとやめ、グラスを楓に翳しては「乾杯」と促した。
「乾杯…」
互いに一口飲んだが、それより間が空いてしまう。真麻はポケットから迷いつつタバコを出しても、吸えないな、と、習慣のような思いが戻ってきて気まずいし、しかし楓はそれで「あ、いいよ」と促してくれる。
「わりと…こゆとこって、まぁ、大丈夫だから」
「…じゃぁ、失礼します」
間が持たないし口が乾くような気がして落ち着かないが、いざそう言われてみればそれも落ち着かず、結局意味もなく指に挟んだタバコを上下にゆらしてしまうだけ。
そのタバコを見て、いや見なくてもわかる。自分もそうだが真麻も結構居心地が悪そうだ。
最近どう?も違うし、あれからどう?などもっての他違う。頭を少し動かせば、まず恋人が居たらこんなところには来ないだろうな、と過る。
どうして、と言った楓にそりゃぁ俺が聞きたいもんだと真麻は潰されたライムを見て、「暇してた?」なんてぎこちない。
「…ん?」
「何杯目それ」
「うーん…」
1…2……3か、長く飲んでいる気はするし氷もわりと溶けているかなぁ、4かなぁと、指を折り数える楓に「そこそこ飲んだのね」と真麻が、なんだか自然に笑い、漸くタバコに火をつける。
楓は真麻のタバコを吸う姿がわりと好きだった。
水色のパッケージのタバコは、ラム酒の臭いがする、と以前真麻に聞いたことがあったなと思い出した。その臭いを感じたことがあるかと言えば、微妙。
恋人によりタバコを変える人もいる、というちょっとの雑学まで引っ張り出されたようで、ちらっと頭を掠めた。
「…真麻は飲んできたの?」
「いや、」
「そうなんだ。ご飯は?」
自然と聞いてきた楓に真麻は、一緒に住んでいた頃、もっと前の、アパートに通っていた頃まで思い出す。
「いや、食べてないな」
「何か頼む?」
「ちょっとつまみを」
メニューを取って眺めた真麻は「楓は食った?」と聞いてみる。
志波さん、ほど遠くは、ないようだ。それに真麻は違和感や実感すらないだろう。だけど考えれば始めに自分がここで名乗った名でもある。
「あ、まぁそんなにお腹すいてないや」
少し心配にはなったが考えてみれば俺がそうやって彼氏面していいもんでもないな、と真麻は「取り敢えずチーズと、もう一杯ください」とバーテンに注文した。
一通りから「その…」と楓が言う。
ある日の、そう。病院帰りだ。あの日と同じくらいに気まずい空気だ。
だが思い出せばそうか、と、「いまどこに住んでんの?」と聞けた。
「…あ、ああ。うん、…一応北区だよ」
「一応って。近いね」
真麻の突っ込みで場は和んだように思えたが、もしかしてと、楓は少し間を取り「…王子?」と聞いた。
「うん、そう」
まだ、そうか。
あの家に真麻は一人住んでいるんだ、と、胸が苦しくなりそうだった。
「まだ…」
「うん、そうだね」
俯いてしまう楓に、真麻は二杯目のジントニックを飲みながら「引き返せなかったからねぇ…」と、染々したようにそう言った。
あぁ、そうだ。
けど、確実にあの日と状況は違う。あの時よりも互いを知っている。
「…マーサは優しいなぁ、やっぱり…」
「なんでここに来ちゃったの」、と泣きそうに続ける楓に真麻は、「ホントだねぇ」と笑った。
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