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 その場所は酷く、濁っていたようだった。

 朝の光、それよりはもう少し暗くぼんやりとしている場所だった。
 宙を、海月くらげのようにくゆるタバコの紫煙に「なぁ、真麻まあさ」と、声が掛かる右側に笑った友人、多分大学の友達か何かだった、このハンチング帽は果たして毎回こんな服装のヤツだったか、すら記憶が曖昧だったが。

「どうだ、ここ?」
「え?ああ、うーん」

 確かに、心には「異空間」。

 この当たり前のバーテーブルやら、少し淡い色の光る壁やら、きっちりとした服装、ライブハウスにはいないタイプの男のバーテンダーやら。
 ライトは青、来ないタイプのお高そうなバーだったからだろうか、いや、もっと気に漣が立つ理由があると、ぼんやり友人の少し先の席を眺めてみる。

「思ってたのと…うーん、」
「期待、外れたか?」

 視線の先には少しぼんやりと、「なるほどな」と場所を納得出来るような、出来ないような…中性的だが若干好みのような気がする奴が、タンクトップから出た腕にゴツい刺青を入れたヤバそうな男と向かい見つめ合っているのが、俺の視界に入っているのだ。

「いや、正直わからない」
「まぁ酒飲んでゆっくりしようかね。俺見つけたら行くから」

 あぁ、そうだった。
 向こう側では、細身の方がショートを耳に掛けた。
 あぁ、男だ。

 「真麻?」あぁ、男か女かってなんとなく何故わかるのだろう。
 首筋の張りだろうか、耳下のエラ、いや少しわかりにくいな、喉仏だろうか、やはり、なんだかそうだ。青に浮いている。

 ふいにそれから寒気のような、熱さのようなものが浮上した気がした。

 その足下で見えた、細い股辺りに伸びた手つきが、そうだ、と自分の存在をじんわり、徐々に明確化してゆく。

「真麻、灰」

 我に返った。
 タバコの灰が下向き加減、いまにも落ちそうだった。
 登る紫煙が、如何にも有毒そうに白い。

 「あ、あぁ悪ぃ」とそぞろになり、灰皿までに灰は散ってしまった。

「あまり見ちゃダメだよ、」

 と友人に注意を受けた先、ふいに、ふらっと、ふわっと。

 向こう側と目が合ってしまった気がするのに、恥じらいに内股になった細い太ももの内側へ伸びた手を制するような筋張った手、「目が合ったらOKだけども、」声を潜めた友人が漸く意識に戻ってくる。

 気は、異空間にそぞろなようだ。

「ん?」
「そーいうもんなの。でも相手が居そうなら面倒だからやめとけ」
「あ、あぁ…」

 再びタバコに火をつける。

 「ただでさえこういうとこって、そういうのはデリケートなんだよ、」向こうの奴が相手の頭を抱えた気がして端で捉えてしまった、閉じた目は薄く儚い。
 バーテンダーが二人に何か、注意しようかどうしようか、そんな雰囲気でそわそわし始めた気がする。

 何故だか、向こう側の甘い息遣いまで耳元に絡みそうな気がした。聞こえてくるようだ、湿ったそれが。

『真麻、ダメだって』

 そうだ、ここは。
 はっと自室の天井だと認識した。

 真っ暗で、月明かりもないそれに、耳へ、堪えるような詰まり詰まりの息遣いが直接脳に作用し、意識よりも反射的に右隣を見る。
 薄顔、眉間にシワを寄せ、過呼吸の楓が耐えるように、俺の方へ体を向け、シーツを掴んでいる。

「…楓…?
 大丈夫か、楓、」

 月がじわりと夜へ浸透するように脳が拓けて行く。
 楓が苦しそうだ。

 薄目を開けて俺を見る片目の涙が光っている気がしたが、声に俺を確認したらしい、「はぁ…っ、ぁっ、」と力を抜いたのだろうか、楓の呼吸がはっきり聞こえてきた。

「楓、苦しいの?大丈夫?」

 答えられないのはわかっているのに吐いていく俺の「大丈夫?ねぇ、」に意味はない。
 落ち着かなきゃ仕方ないが、荒く上下する丸まったうつ伏せに、「よし、よし、」と漸く手を伸ばして抱くことが出来た。

 虚ろに目を閉じたとわかれば楓の背中をさすりながら電気スタンドに手を伸ばし、明かりを点ける。

 「よしよし苦しいねぇ、」と背をさすりながら、電気スタンドの延長戦に手探りをしてペットボトルを掴む、少し量が減っているかもしれない。引き出しから、掌程の瓶が馴染んでじゃらっと音がした。

「まずは、はーい、ゆっくり吸って、はーい、吐いて、」

 それに合わせて背をさすっていれば、楓の呼吸が咳に変わってくる。嗚咽かもしれない。「大丈夫、楓、よし、息しようね」と声を掛ける。

 少し続けて「はーっ、はーっ…」に変わった時に「よしよし、」と言うあたりで安心した、急にグッと声が溺れそうになってしまった。

 息をしながら漸く「ごめっ…、」と言葉にならずに言う楓に「大丈夫だよ」と言うその笑顔を、自然にしておきたかった。

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