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「で、麻婆豆腐食ってどうしたの」

 白昼、暇な天文学の研究室で。
 パチン、と将棋盤が音を立てる。

「んー、」

 と雨川は将棋盤を睨み、目の前、将棋版の向こうに座る、柔らかで少し長めの茶髪で、マスクをした白衣の男と対峙していた。

 若きノーベル、葛西かさいつぐみ鶫という変態(天才)だった。

 何が変態かは言うものではない、彼は女子人気No.1にして女を取っ替え引っ替え出来るほど恐らくはイケメンなのだろうが、
研究員の中で彼の素顔を見た者が少なく、なんならいない、イデアなのではないかと噂される男なのだ。

 何かしら理由を付けてマスクをしているが、ホントはただ単にイケメンがコンプレックスだと、真冬は知っている。

 羨ましい妬ましい理由を突き通し「変人」の称号を得ている。

 パチン、と音を立て駒を置く。

 葛西はどうやらノーベルから忙しく、南沢のところの教授補佐、喜多きた雪春ゆきはるから逃げてきたらしい。
 しかし確か葛西は医療学科。喜多はどちらかと言えば、生物学科なのである。無論、南沢もそうだ。

「麻婆豆腐食って寝てすっきり快適ですよ」
「いや何をしているのあの童貞変態は」

 それから葛西は「王手」と言った。
 見れば確かに攻めいられた王手。流石天才変態。童貞変態と訳が違う。

「そーんな休日の親子みたいな話、どうだっていいんですけど真冬」
「それがさぁ鶫さん」

 声を潜める。

「俺、生理来ちゃって、死ぬらしいんですよ」
「は!?」

 素直に葛西が驚き、半信半疑で薄顔を眺めた。

「いやエストロゲンとかで」

 正直雨川は話をいまいち覚えていなかった。なんせ雨川の分野は天文学だ。女性ホルモンなんざポラリスAbとはまったく違う。

「エストロゲンで死ぬってあの童貞が言ったのぉ!?」
「しっ、鶫さん声でかい」

 実はこの葛西と言う変態は。
 南沢には内緒にしているが、雨川の生態系を軽く知っている。

 雨川は知っている、あの童貞変態は葛西と仲が良い喜多に自分のカルテを横流しし、葛西が必然的に(喜多はいざというときにお喋りな野郎だ)知ることとなってしまったのだ。

「いや、説明されたんですけどさっぱりで」
「ホルモン的なことを言われたってこと?」
「そうですね。結果俺は両性だが、女性寄り、と言う感じでした。
 自分の解釈として、男性ホルモンが多い女性なのか、と…」
「あぁ、それでエストロゲンか。アンドロゲンが多く、エストロゲンが変換されない的なやつ?」
「いや、違う方が多くてなんか、邪魔してるらしいです」
「プロゲステロン?
 ん、あぁだから急速に生理が来てけど毛が生えない的な?」
「怖いな生物学っ」

 何故わかるんだ変態。
 しかし葛西は至って普通に「なるほどねえ」と染々言い、

「で、ヤっちゃったの?」
「はぁ!?」
「いやなんかあの童貞ほら、ここの女の子の」
「あー、ラブレターっすね。
 いやなんも。当たり前でしょ、俺には、おっぱいがないので!」

 自棄だ。
 変態は何故こうも皆デリカシーがないのか。
 「あぁ〜」と納得してる葛西に腹立つ。

「じゃ俺とする?」
「は?」
「ウソウソ。俺のバイセクシャル説信じないでよ。真冬は男として付き合うよ」
「言ってることよくわかんないんですけど葛西さん」
「あ、付き合うってそうじゃなく。
 いやさぁ聞いてよもー俺さぁ、ラブレターの子と何故か付き合ったじゃん?」
「え、中川と?」
「うん。
 もーヤバい。変態あの子スケベ過ぎて俺の少ない血液からたっぷり精子が出てっちゃって別れた」
「なにそれ大分クズっすね」

 将棋盤を並べ直し再びぱちぱち。

「女は皆なんで男に求めんの。うぜぇ」
「あんたのテク的なやつでなく?」
「だったらバイセクシャルやってるよ今頃」
「あー、納得」

 適当に雨川は流す。なんせ相手は変態だ。

「ま、童貞より前の話だけどさ」
「大分前でしたよ中川が南沢さんに手紙渡したの」

 だからか。
 一度変態と付き合ったから「生物学者は変態しかいないわ!」とキレていたのか。
 中川に同意した。
 若きノーベル変態と科学的情交童貞じゃ、嫌にもなるわ。

「で、」
「はい?」
「いや真冬的にはどうなのよそれ」
「と、申しますと?」

 パチン。
 王手を取った。

「あっ、」
「王手〜」
「性格悪いね真冬」

 お前にだけは凄く言われたくないなぁ葛西と雨川は思う。

「いや、女として生きていくかどうか」
「いやないない。第一南沢さん、胡散臭いし」
「ふぅん…」

 しかし葛西は。
 なにやら思慮深く雨川を見る。目もはっきりした、鼻も高い、ホントにイケメンなんだろうなと雨川は思った。

「俺ならそれでもまぁ、受け入れてやれるけどね。好きならね」
「へ?」
「あいつは度胸がない。だから喜多の下にいるんだなあいつ」
「と、言いますと?」
「喜多もふにゃちんだからわりと」
「うわぁ」

 若きノーベル、バイセクシャル説の1。
 喜多とデキているという噂、マジかもと雨川は思った。

「あーゆータイプは大体泣けば根性が治る」
「…マジでデキてません?喜多さんと」
「陳腐だなぁ真冬。
 俺はねぇ、使えるもんは使う派。あいつがそれならそれも使ってノーベルよ」
「うわ、性格悪っ。枕?」
「いや、全然。流石にあんな気色悪い陰険クソ眼鏡とはムリ。てか俺はだからノーマルだから」
「あ、そうですか…」
「でも少し気の毒だな南沢」
「は?」
「いや、まぁ、考えなよ真冬も」

 何をだろうか。

「愛情ってね、俺見てりゃわかるっしょ。怖いもんよ。だからまぁ、南沢の気持ちもわかるわ」
「…バイセクシャルでしょ、マジで」
「意外と違うんだな。陳腐だなぁ真冬。
ま、度肝を抜くなら、君から喜多に言えば良いよ。俺よりあいつのがそゆの得意だから」
「はぁ…」

 よくわからん。
 果たしてどっちの意味だろう。
 変態とは恐ろしいと、マスクの胡散臭い笑顔の葛西に思う。

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