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「あらぁ、真冬ちゃんじゃない」

 変態訪問2。
 葛西に言われた通り、雨川は度肝を抜こうと喜多雪春教授補佐に直接コンタクトを取ってみた。

 喜多はその場にいて作業をしていた研究生に書類を渡しながら「あー鶫ちゃんを探して持ってってー」と、爽やか眼鏡の裏で相変わらず腹黒かった。

「鶫ちゃんがいないのは僕から逃げてるからだからー」
「…鶫さんなら俺とさっきまで将棋打ってましたよ」
「あそー。じゃぁ鶫ちゃんに聞いたのね真冬ちゃん」
「はぁ…」
「いやぁ、朝から君のお友達が真っ青な顔して「どうしよう喜多さん」と駆け込んできたよ。おめでとう、お赤飯食べた?」

 あの野郎。
 やっぱり喋りやがったかクソめ。

「しかし僕は君の主治医じゃないんだけど」

 と言いつつ喜多は笑顔で雨川が座るのを促し座れば、「はい、腕出してー」と、しかし反射的に従ってしまい、血を抜かれる結果となった。

 また違う研究生にその取り立ての血を喜多は渡し、「アンドロゲンとプロゲステロン」とだけ告げて、にたにた、笑顔で漸く雨川に向き合った。

「お忍びで来たのかい」
「まぁ…そんなところです」
「僕で良いの?」
「はい、まぁ…」
「僕は毎度結果しか見てないからぶっちゃけよくわかってないし半信半疑でテキトーに流していたんだけど」

 そうだったのか。

「君が来たってことは間違いないわけだね」
「はい、まぁ…」
「んー、急に来ちゃったって聞いたけど」
「そうですね。エビ吊った帰りです」
「で、彼はなんと?」
「いやまぁ女寄りだと」
「ふーん」

 言いながら喜多はパソコンで雨川のカルテを開く。そして言う。

「君らが何に悩んでいるのか、僕は実はちっともわかっていないんだ」
「…え?」
「自分が信じて一緒に生きてきたその理論が覆るのが怖いなら、あまり究極を話すのは躊躇われる、正直」
「…と申しますと?」
「真冬ちゃんの心は何についていけないのか、性別なんて、カルテを見れば“sex f”ってだけの話で。ただの記号でしかないと思っているからさ僕は」

 なるほど。
 バイセクシャルはこいつだったかと真冬は的違いを考える。
 少し、逃げがあった。

「…それが究極ですか?」
「いや、もう少しエグいけど」
「…ライトなやつからお願いします」
「素直でよろしい。
 まぁ僕はさ、正直雨川くんは、男性でも女性でも充分魅力的だと思ってるよ?受け入れられないのは君がセクシャルに対し何かあるからで、整理が出来ないまま身体だけが覆えってしまおうとしている。
 ただそれは南沢くんも同じで、だから二人とも僕のところに来て原因、結論を提示して欲しいのかなと」
「…はぁ、」
「まだ本心をわかっていないんだろうね、二人とも。僕が見たところまずは心の整理が必要かしらと感じるわけで。
 各々芯はありつつ頑固だ。なのに臆病になっていることに僕は、なんとなく君らの固定観念だとか、強すぎる雑念があるように思う。
 何故君は男性でありたいのか」
「…それは…そう、育ってきた…からというか」
「そうか。なるほどね。生まれついた観念が覆るのが怖い。しかしここまで来たら見つめなきゃならなくなった、こんなところで?」
「…うぅ、わかんないです」

 なんだか苛められている気分になってきた。

「人として言うなら僕は雨川くんの素直なところは好きだ。素直なのに、どうして自分には素直じゃないのか。何か壁がありそうだね」
「…わからない」
「壁なんてすぐ壊れちゃうから怖いんでしょ」
「うぅ、」

 泣けてきた。
 なんだこの拷問。

「いいじゃない。じゃぁそのままで」
「…え?」
「無駄な苦しみなんてない。ゆったりと、わかれば良いでしょ」
「でもなんか…今自分が気持ち悪くて」
「どうしてだろうね」

 どうして。
 答えはわかっているような、いないような。

「じゃぁ提示するなら、君は女性です。はい、どう?」
「んん…」
「男性ですか?」
「わ、わからない…ぃ」
「それを受け止めるのが一人じゃ無理だから来たんだよね。じゃ、南沢くんを呼ぼう」
「嫌です」
「強情だなぁ。いうているんだけどすぐ隣の部屋に」
「は?」
「彼今ホルモンの研究してるから。多分今頃君から採取した血を見て来る頃」
「喜多さん、あのっ」

 喜多が雨川の涙を拭いてあげようと顔に手をやったとき。
 扉が開いた。

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