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 状況がわからん。
 血中ホルモン濃度(アンドロゲンとプロゲステロン)を測れと言われ南沢は嫌な予感がして教授補佐、隣でかちゃかちゃやっているだろう喜多の元へ来れば案の定と言うか。

 診察のデスクに座り爽やかな笑顔で「あぁ、南沢さん」と手を降る変態教授補佐、向かい合って泣いている雨川に伸ばされたもう片手。

 何故だ。

「喜…多さん、あんた何しました」
「カウンセリング」
「なんで泣かせてんのあんた」
「泣いちゃったから君が来たらいいなぁ、と思ってたとこ」
「なに、何をしたらそうなるのっ」
「カウンセリング」
「ちょっとぉ、その手はなんなの!」

 ムカつく。
 無駄に喜多が優男なのがムカつく。てかなにしたんだおい、無理矢理ちゅー的なヤツとかしていたらヒ素とか静脈に流し込むけど俺。

 激しい嫉妬だかなんだか、黒い物が見える、
南沢がたまにやる眉間皺寄せ笑顔(と言うより右側の頬が引きつる)を見た喜多は、何か良からぬ誤解をこの童貞に植え付けたと察した。

「…南沢さんその今にも壁をぶん殴りそうな左拳をどうか緩めてくれませんか」
「え、なんですかなんか壁を殴られる覚えがあるんで」
「あー、違うよ?貴方自覚ないけどいま阿修羅のような形相ですよ」

 しかしこれは却って。
 この拗らせまくった当事者たちには丁度良いかもとふと喜多は思い立ち、「ごめんね、真冬ちゃん」と、そのまま物言わずポカンとした雨川の後頭部に手を鋤き入れ、髪の毛を弄り如何にもな演出をしてみた。

「君と僕との秘密、どうやら彼に勢いでバレちゃいそ」
「秘密ってなんですか喜多」
「お前なんでバラしてんだよクソ童貞野郎っ!」

 雨川、耐えきれず泣きながらも怒鳴り、勢いよく立ち上がって振り返った。
 めちゃくちゃ雨川が泣いていることに南沢は動揺した。

「え、は、あ?」
「普通言うかぁ、おいこらぁぁ!」

 そして詰め詰めより、雨川は南沢の白衣の胸ぐらを掴んで睨み上げた。

 怒ってる。
 めっさ怒ってる。

「ま、真冬しゃん、」

 噛んだ。それくらいに南沢は動揺した。

「おいてめぇ俺を愚弄すんのもいい加減にしろよ普通人の性事情をカルテごと根拠ありな感じで変態学者に流そうとかプライバシー侵害なんだよ赤飯食ったかとか聞かれる俺の気持ちを配慮しろよてめえ朝イチとかなんなんだよこっちはホルモン狂いまくってもやもやイライラしてるっつーのによ!」

 一息。
 最早何言ってるか言った方も言われた方もわからん。

 はぁはぁしている雨川に、「ちょっ、は?」となる南沢。笑いを堪える喜多。

「どんな気持ちでいると思ってんだクソ野郎っ!」

 俯いた。
 そして肩を震わせて声を殺している雨川に南沢は「ごめん…」と謝り、ぎこちなく両肩を掴んでしゃがむ。

「…勝手に言ったのは悪かった。ごめん、ただ、根拠も曖昧だし正直どうしてやればいいかわからなくて」
「ほっといてよ、皆してぇ…。
 わ、わかんないかも、知れんけど、怖いに決まってんじゃん、」
「うん、うんごめん、」
「ずっと…、
女なんて汚ぇもんだって、思って生きてきたんだぞっ…不浄だと、そう、」
「それは違うよ真冬、」
「お前には違くても俺はそうなんだよっ!」

 あぁ。
 長年蓋をしたものが爆発した。
 南沢はそう思った。
 そして。

「お前にはそうでも俺は違うんだよバカ真冬!てか、なんでもいいんだよ俺にとっちゃぁ!」
「はぁ!?はぁ!?ふざけんなよクソ野郎!」

 ぶん殴ろうとしたその雨川の手を南沢はパシッと取り引き寄せ抱き締めた。
 が、雨川は抵抗するようにもう片手で「死ねぇ南沢ぁぁ!」と叫んで背中をぶっ叩いている。

 うわぁ、嫌なとこに遭遇してるよ僕。喜多は苦笑した。

「わかったわかったぁ!死ぬから痛いっ、痛いってば真冬!」
「うるせぇ死ね童貞チンカス野郎!このクソっ、ゴキブリ!」
「酷い酷い酷ーい!なにそれちょっとムカつくな!大体女々しいんだよこのバカ!」
「うるせぇよてめえ程じゃねぇよクズ!」
「何泣いてんだよこの弱虫!」
「言いやがったなこの!」

 ビンタ。

「痛っ!」

 しかし離さず。
 「離せクソ!」と暴れる雨川を黙らせようと南沢は、

「ごめん、真冬」

 髪を耳に掛けてやり頭ごと抱き締めるように抱え、その耳元で低く言った。

「ごめんって、ホントに」

 わりとマジな声色に「ふぅぅ…」泣けてきた。

「…全然、わかってない、」
「わかんない。正直俺も君と一緒。どうしたらわかるか、わかんない」
「なら、」
「だってどうだっていい。君がここにいれば、どうだっていいのに、君が悩んでるから困ってる!」
「はっ…?」

 困惑した。
 なにそれどういうこと。

「ひっ…くっくっく…」

 耐えきれなくなった喜多はついに、方肘をついて額を抱え、「ふはははは!」笑いだした。

「…何がおかしいんですか喜多さん」
「ゴールは一緒だったじゃん二人とも。き、気付けよいい加減、大人ならさ、」
「は?」
「邪魔者は互いに自分自身ってこと。殺しちゃえば?素直に」
「何言ってるか全然」
「真冬ちゃんは女な自分が嫌いで、南沢さんはそんな真冬ちゃんも好きな自分が嫌いなんでしょ?」

 極論。
 ついに来た。

「じゃ、自分を取っ払っちゃえば話が早い。欲望に忠実になれば見えるじゃん。
 南沢さんは真冬ちゃんの性倒錯の原因をわかってるんじゃないの?」
「…え、」

 見上げた。
 しかし南沢は考え、極力ニヒルに笑ってやろうと、下手にニヤリと笑って喜多に言う。

「わかってるから堪らないんです」
「なっ、」

 何。
 こいつ、
自分でも知らない何かを隠し持っていやがる。それは至極。

「…気持ち悪い」
「結構です。だけど君だって知っていることだ」
「なにが、」
「だから言うが俺は君がなんであろうと愛せる自信がある。君は俺にとってなんだって不浄ではない」
「えっ、ナニソレ」
「あいつはそんなこと君に言ってくれなかったはずだ、真冬」
「なっ、」

 混乱した。
 しかしもう、仕方がない。

「掻き回さないと君は人でいられないんでしょ、ねぇ、真冬」

 ナニソレ。

「は?」
「まぁいい時間を掛けよう。
 失礼しました喜多さん。帰ります。今から二人で」
「あら、決心したね」
「待って、俺ついて行けな」
「着いて来い。話してやるよあの日の俺の気持ちを」

 有無を言わさぬ目だった。

「君はあの日から大人になれないんだ真冬。君は、」
「待って、」

 やめてくれ。
 それを言われたら。

「俺の兄に奪われたんだ」

 はっ、

 頭がついていかない。なんだ、それ。
 南沢真夏は、自分の中では。
 兄のように、優しくて。

「待って、」

 白衣の裾を掴んでしゃがみこんだ。

「…そう言うことね、南沢さん」

 喜多が見つめて言う。
 原因はどうやら、
学者として花を咲かせて自殺した、南沢真夏だったのかと、知る。

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