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 どんな夢かは忘れてしまったが、懐かしいような、寂しいような、恥ずかしいような気持ちで雨川は起きる。

 景色を思い出すよりも先に、苦しそうに顔をしかめて縮こまるソラと、枕に落ちた冷えピタが目に入る。部屋は夜に近い夕方だった。

「…ソラ?」

 呼んで目を開けたソラの目は潤んでいる。
 朧に「マフユちゃ、」と苦しそうなソラを見て一気に覚醒した。ソラは腹辺りを抑えていた。

「…どうしたのソラ、」
「マフユちゃん、」

 飛び起きた雨川に「怖いよ、」と泣くソラ。
 何がなんだかわからないけどと、もう一度寝転んでソラを抱き締め「どうしたの、」と背を擦れば「ぅう、」と唸るばかり。
 先程よりも体温は下がったように感じる。

「お腹痛いの?体痛いの?ソラ、」

 と耳元で言えば「いやっ、」とソラは泣きそうだった。
 丸まって雨川の胸元へしがみついたソラは熱く、切れ切れな呼吸で「痛いの、」と言う。

「どこが痛いのソラ、どう、」

 ソラがもぞもぞと雨川に密着してきてはっとした。
 腿あたりに硬い物が当たる。それでソラはもじもじしているようだ。

「…ソラ、もしかして、」
「…痛い、むずむずする、」

 雨川にしがみつきながら暑い息をはーはーと吐き掛けるソラに南沢の言葉を思い出した。
 自分もそうだったけれど、ソラも急に精通してしまったとしたら。

「…南沢さんに電話しな」
「行かないでマフユちゃん!」

 雨川の行動を妨害ししがみつく強さに驚いた。この子は普通の女の子だと思っていたが、年齢的には男子中、高生くらいなのだ。

 はぁ、はぁ、と息をするソラの眼は潤んでいて綺麗な青色だ。
 そして噎せ変えるような、人の匂いがする。

「ソラ、離して、南沢さんに」

 ケータイに伸ばした手が、少し乱暴にソラに掴まれ、ソラの股間に誘われて言葉を無くしてしまった。
 完全にそうだった。
 パジャマ越しでも熱さすら伝わってきそう。

 ソラは雨川の手に自分の手を這わせるように置く。初めての感覚に雨川はどうして良いかわからない。けれどソラのこの苦しそうな息はもう少し成長していると、知りそうになるのが怖い。身がすくむようだった。

 はぁはぁと切れ切れなソラは、「これ、は、」と喘ぎながら言う。

「触ったり、舐めたり、…入れたりしたら良いって、言ってたの、」
「だ、れだそんな奴は、」
「おじさん」
「おじさん!?」
「おばさんも」
「はぁ!?」

 どこのどいつだそんな不埒な、しかしソラは熱の籠った目で雨川を見るのだから耳鳴りのような引っ張られる危機だって感じ始める。
 だが思い出した、そうだソラは南沢がロシアの大学へ行った時、怪しいお兄さんに身売りして金を稼いでいたんだった。

 思い出したら途端に激しく胸がざわざわと、動悸や危険信号に近い、泣く手前のような動きをした。

 こんな、可愛くて小さな子供がどうしてこんなことで苦しまなければならないのだろうか。
 いくら考えてもわからないまま、ソラは歯を食い縛って泣きそうに自分の手首を強く握って耐えている。

 痛い。

「ソラ…」
「むぅぅ、」
「どうしたら良いかわからないけど、」
「マフユちゃん、」

 ソラは堪らないとばかりに自分の項に手を回して抱きつき、首筋に息を掛け耐えるのだから、雨川もどうにかしそうだと、背中にゆっくり片手を緩くまわしてみる。

 身体がじんわりと痺れる。雨川まで当てられて息が詰まりそう。息が混じって絡んでいる。生き物の匂いがすると認識したとき、ソラが自分の上に乗るのにも麻痺していた。

 両性のエビは、その場で雌雄を認識し繁殖していく。南沢は前にそう言っていた。
 けれどもソラはそれだけで泣きそうに耐えている。何故耐えるのか、何が辛いのだろうか、これの背徳を何故知っているんだろうと思ったときには雨川はソラの頭を抱え首筋にキスをしていた。

 何故か初めてでもない気がして雨川は少し戸惑う。

「…苦しいね、ソラ」

 人の匂いがする、甘い気がするがそれはとても血生臭い気すらする。

 平ら、よりも少し出っ張ったその首筋を軽く食むのに、歯は立てないで舐めるようにと、何か、身に覚えがある気がするのに感触は覚えていない。
 ソラが「ふぅう、」と悶えている。「マフユちゃん、やだ、」と言う濡れた声に、この熱い塊は熱くて怖くて痛い。

 はっと、はっきりした意識の向こうに見えたのは南沢夏江の…黒い学ランに鞄を落としてこちらを凝視していた過去の日だった。

「あ…れ?」

 どうなって何がどうしたか、生々しい感触を思い出す。熱い塊は引き裂くように自分の中に入ってきて傷を何度も、瘡蓋を剥がすように…自分は、誰かに…。

 ピタッと止まった雨川に、ソラはもどかしく感じて表情を眺めたが、雨川の驚くような…遠くを見つめる空虚な穴、のような瞳に「マフユちゃん?」と異変を感じた。

「まふゆちゃん、」
「…マフユちゃん、どうし」
「それは、」
「…マフユちゃん?」

 剥がされていく記憶のすぐ側にあったのは、「死んじまえよ、お前なんて」と言う、耳元に熱く掛けられた…優しいはずの声で。

 もしかして彼は。

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