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 休み明けすぐ、「という訳で近々引っ越すことになりました」と、雨川は神崎教授に報告した。

「…え?引っ越し?」
「まぁ、はい…」
「え、早いね段階」
「いや…実はその…前々から、まぁ生理が来ちゃった事件から、住みなさいと言われていました」
「あー、そうだったんだ。危ないって言ってたもんねぇ…」

 神崎教授はうーんと考え、「いやしかしそれはどうなんだい?」と尋ねた。

「付き合うとか合わないとか…いまいちわからないんだけど」
「俺もよくわかってないので、その段階ではないんじゃないかと」
「んん?」
「まだ、と…」
「んん〜……」

 悩ませてしまったようだ。

 はたまた、一応騒がせたしなと、葛西の研究室にふらっと赴いたが、凄まじく不機嫌そうにパソコンに向かう葛西とそれにおどおどする研究生たちの姿があり、やめようと思った。大詰めといったところかもしれない。

 しかしちらっとドアを見た際に葛西の形相は多分少しほぐれ、肩の力は抜けたのを見て取る。
 「取り敢えず出てくる」とだけボソッと言って雨川の前に来た側に「何」と低い声で葛西は言った。

 初めて葛西のそんな姿を見たのだから「いや、暇じゃなさそうですね」と辞そうとしたが、「全然暇じゃないけどまぁ外」と促されて従う。

 相手が超絶不機嫌な最中に絶対するべき話しではないと思いつつ、簡潔に要点だけを話せば「はぁ?」と、やはり言われてしまった。

「いやぁなんか騒がせたのでと思ったんですが」
「そりゃぁいいんだけどそんでまずどこに行ったの」

 庭のベンチに座った葛西は「悪いけどタバコ吸うわ」とマスクを取った。
 初めて見た。
 なるほどもうなんと言っていいかわからないが雨川は葛西の贅沢な苦労を察した。きっとこの人は器用貧乏なタイプなんだろう。

「あぁはぁ、」
「…いやあんま見惚れんな結構コンプレックスで」
「あぁすんません。きっといまは凶悪な方なんでしょうね」
「いーから」
「あ、はい。水槽のヒーターを買いに行きました」
「……は?何ぃ?」

 すっとんきょうに言われてしまった。

「あとは部屋で映画を3本くらい立て続けに見ましたね。青春アニメとアクションの洋画とジブリと」
「……色っ気まるでねぇけどどゆこと?なに?そのラインナップじゃ絶対いい感じになって流れでとか全くないよな、何その取り敢えずな引きこもりの休日感」
「楽しかったですよそれなりに」
「え、そんなんでいいの君は!
 普通!告ったあとは!デートだろうしそのお泊まりはちょっと急接近だろうしなんなら早けりゃヤるよね!何そのやる気なさ!」
「いやぁ…ヤると申されましても正直前段階がそんな感じでもないでしょ多分。俺恋愛詳しくないんでなんとも言えないんですが全体的に飛び越えた感も否めなく」
「あ、うん確かにそうだどこにツッコミを入れていいか混乱だな。取り敢えず付き合うことになりましたでOK?」
「いや…どうなんですかね」
「ちゅーした?」
「ないです」
「え、手繋いじゃった!程度だったらこの報告俺キレるよ?」
「すみません」
「なんだあああお前らぁ!ふ、不感症なのかあああ!?」

 葛西があーあー、と唸りながらタバコを捨てマスクも忘れて頭を抱えた。なんとなく雨川自身も「自分はズレてるんじゃないか」と思って葛西に聞いてみたのだが、葛西も若干ズレているんじゃないかという気がしてきた。

「は、ははは〜…、まぁ俺自身ほら、やっぱりまだイマイチ自分が何者かとか、掴めてないし…」
「それを素直に女にしてやるって決めたんじゃないのかあのクソ童貞はぁああ!情けない、同じ男として有り得ない、もういいわ真冬、俺でどうだ俺でぇ!なんか哀れに思えてきたよっ!」
「いやいやそれもなんか癪でしょうよ」
「お前みたいなクソ純粋拗らせ野郎は俺くらいのアホと一回遊んだ方がいいよマジでぇ!」
「うわぁなんか|鶫《つぐみ》さんの心の闇が一瞬見えたぁ…取り敢えずイライラ中だったんですね?」
「それもあるけどもう単純に友人として!
 あーなんだろねあの変態。だからノーベル取れないんだよ甲斐性なしめ。なんか俺が申し訳なくなってきたよもー文句言いたい!」

 ガバッと葛西は立ち上がったが「あっ!ダメだ研究!|喜多《きた》にいま捕まれない!」と、大変忙しそうだった。

「いや、でもまぁね鶫さん。俺思ったんですよ少しだけ。自分のことを愛せないで、相手のことを知らないのなら、自分が嫌いな分だけ相手を愛す、そんな免罪符から始めても…良いのかもなぁと…」

 そんな雨川に「うぅん」だか「ふぅん」だか、よく分からない返事をしてしんみりとした葛西は「全く…」と肩を落とす。

「まぁ、話してよかったです。ありがとうございました。
 …取り敢えず代理で俺、今から喜多さんとこ行ってきまぁす…」
「待った、真冬、」

 腕をがっと掴まれ「えぇえ!なんですかぁ!」と思わずビビってしまった。

 が、取り敢えず葛西に抱き止められ「いつでも来いよ!ホントに!なんでもいいから!」と、なるほど取り敢えず良い奴らしいと、「はい、は〜い」と若干引いた。

 流石ノーベル、どうやら変だが真っ直ぐだったな。研究者としても脱帽だ。
 と論文じみた冷静な心の声が聞こえた気がした。

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