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 プロゲステロン数値が少し高い、アンドロゲンの減少=エストロゲン値が下回り…。今日、明日あたりにも生理が来そうだなぁ。鉄剤と鎮痛剤を…。
 昼頃。
 
「あぁ、すまないねぇ喜多くん」
「いえいえ」

 南沢が顔をしかめてパソコンにカチャカチャとカルテを書いているところだった。
 南沢の問診部屋(個人用)に、教授補佐の喜多雪春と、雨川の研究チームの教授、神崎が揃ってやってきた。

 ハッとした。

 雨川は自分の問診ベッドでそれを物ともせずに爆睡をこいている。
 テストステロン、プロゲステロンも増加していたからだろうが…。

「あ、神崎教授、おはよ…」
「こんにちはだよ南沢くん」

 しわくちゃの笑顔の溝が黒い。明らかにイライラはしていそうだ。テストステロン、こちらも増加していそうだとヒヤッとする。

 気持ち良さそうというよりは死んだように重く寝ている雨川を眺めた神崎は「やはりここだったね」と言い、喜多が然り気無く神崎の肩を揉んでいた。

「すみません、ウチの南沢が」
「いや喜多くんは悪くないのだよ」
「あのー、けして雨川くんはサボっている訳じゃなく、この男がきっと睡眠導入剤を静脈注射でもしたのではないかと思いますよ神崎教授」

 気まずそうに笑みを浮かべた年下上司が簡単に自分を売っ払いやがったのには心のなかで「クソ眼鏡」と悪態をつくしかない。

「いや、あのー…朝からでどうやら疲れちゃったらしいです神崎教授。そんなノーベル殺人賞みたいな危ないことはしませんよ」

 と、喜多を見上げる。喜多は露骨に目を反らすのだった。きっと神崎は喜多に、ストーカーのように雨川の居場所を聞いたに違いない。

 神崎はその黒い笑顔を消し、瞑りそうな目で南沢を睨みながら南沢の前の椅子に腕組みをして座り、真横の雨川を眺めては「見事に寝てるな生きてるのかね?」と南沢に尋ねた。

「まあ最近昼間は帰宅しているからいいんだけどね」
「…雨川から聞きました」
「どうかね?ウチの研究はお宅の生物学に役立っているかね南沢くん」
「…そぉりゃもう宇宙レベルで」
「ったくぅ」

 と言いつつパソコンを眺め「なんだいこのテスト…ロンとは」と聞いてきた。テスト、ステロン!と南沢はおじいちゃんに心のなかで教えてあげながらも、

「あぁ…男性ホルモンですよ神崎教授」

 と逃れる。

「…これが宇宙に関係あるのかい南沢くん」
「いやないです」
「で?」

 で?
 と来ましたか〜…。

 南沢が喜多を再び見るも横顔が「勘弁してくれ僕は知らない」と言っているようだった。

「まぁ生命とは宇宙と無関係じゃないしな。女性の生理が引力と関係があるだとか、満月はやる気が満ちるだとかな」
「えっ、」

 まさかの回答に驚いたも束の間「立証出来ないけどな!」と返されてしまった。

「我々は確かに、大きな天体ショーがない限りわりと暇だがいま大きな天体ショーがある最中なんだが南沢くん。そんな中君に借りパクされた雨川くんはどー役に立っているのかな南沢くん」

 借りパク。
 じいさんの語彙に脱帽する思いだ。

「いやぁ…彼は我々生物学にも役に立ってくれています。それこそね!月と生命のアレとかでね!共同研究したいなぁ!」

 下手すぎる南沢に蹴りを入れたくなったのは喜多だった。貴方本当に大学出たとは思えないくらいにアホ。

「なんだとぅ?するか南沢くん」
「え、いや、」
「テストなんちゃらはどういうもんなんだ南沢くん」

 テストステロン!

「いやぁ…どちらかと言えばアンドロゲンが…」
「AIか」
「違います〜。宇宙に持って行かないでくださぁい」
「とにかくいま忙しいんだよ南沢くん。わかるね?」
「あぁすみません…しかし今日…明日…明後日…」

 はっ!
 数えながら気付いた。

「…26の朝まで借ります〜」
「はぁ?」
「あ、天体写真は撮ってるの、知ってるんであの、そちらの邪魔はさせませんので」
「知ってるのになのか、君!」
「どうやら僕の隣は落ち着くらしいです〜」
「むむっ」

 神崎は押し黙った。
 黙った。
 黙っている。
 まだ黙っている。

 寝てるんじゃないかと気まずくなるほどに突然神崎が黙ってしまったので「えっとぉ…」と先手を切るしかなくなった。

「…雨川くんは身体が少し弱いからと聞いていたんだが、南沢くん」
「え、はぁ…」
「確かに俺はいま意地悪言いまくりだったけど」
「へ?」
「君の教授からだよ。君があまりにストーカーじみていたので聞いてみたんだ。どうして黙っていたのかと、俺はもしかすると酷を強いたのではないかと腹を探りに来たまでだ」

 は?
 なんやようわからないぞ教授、と南沢は唖然としてしまった。

「…それはどのようにお答えすべきでしょうか」
「いいかい南沢くん、俺は君の父上も、…お兄ちゃんも、雨川くんの父上もなぁ、」

 あ。
 それ多分眠くなるやつだ。

 なるほどおじい、暇だったのかと南沢は承知したが。珍しく喜多と目が合う。
 …その問題に関しての立証は俺がするべきかもしれないが。

「はいはい、神崎教授」

 南沢は笑顔で神崎にちらっと、わざわざ特に片仮名まみれであるページを見せつけたのだった。

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