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 しかしそろそろ本格的に暇だなぁと、雨川は南沢を見る。
 30分ほど座りっぱなしの腰が痛くなってきた。最近本当に歳かもしれない。

 流石に痛いなぁと立ち上がれば、若干やはり腰痛に雑じり下っ腹が痛い。これはきっと不衛生な野外にいるせいかもしれないなと、雨川はペットボトルを持って立ち上がって南沢の方へ行く。

 正直このペットボトルの使い方が、いまいちわからない。

 雨川の気配に気付けば南沢は嬉しそうに「あ、ここ、ここ」と、自分の足首が浸かった足元を指した。

 仕方なしに、雨川は川には入らずに南沢にペットボトルを渡すが、その手を「ほら、」と引かれた。

「あっ、」

 危うく川に入りそうになるが、その寸前で南沢が雨川のウエスト辺りを抱きつくように押さえたお陰で、雨川は靴先のみの入水ですんだ。

「このやろっ!」

 きっ、と雨川が南沢を睨み付けると、南沢は目を合わせなんだかだらしないまでににやにやしている。
 寒気がした。

「ごめんって、つい」

 んなこと言う癖に憎たらしいまでになんだか幸せそうに微笑む南沢に。

「…どこ」

 雨川はほとんどの言葉を失った。
 しかし然り気無くもないが雨川は南沢に抱えられた手を払いしゃがんでテーパードの裾をまくり、少し引っ張ってあげる。靴と踝《くるぶし》ソックスも脱いで仕方なく川に入る。

 水は冷たすぎることもない、どちらかと言えば暖水。少しは心地が良いもんだなと雨川は感じる。
 一瞬だけ驚いた表情を見せた南沢に構わず、「足元ですか?」と訪ねた。

 潔癖な雨川にはあり得ない光景だなと、南沢は少し、不思議だが妙に高揚した。

「うん、そうだよ」

 と南沢が答えれば雨川はふぅ、と息を吐いて膝に手をつき眺めた。

 横髪を耳に掛ける雨川の動作が堪らないなと、しかし耐えて南沢は切り離してあったペットボトルの飲み口、上部だけを雨川に預け、上部のないペットボトルでメダカの群れを、水ごと掬い上げた。

 捕ったメダカを宙で眺める南沢は満足そうに、雨川へ手を寄越す。
 雨川がその手にペットボトルの上部を渡せば、それを漏斗《ろうと》のように設置した。

「そうやって使うの」
「これで跳ねても、真っ直ぐ跳ねるからちょっとずれても蓋部分、口が広いからこの部分に落ちてまたこの中に戻るわけ。魚の逆流を防ぐにはこれが良いのよ」

 南沢はペットボトルの上部を指差して雨川に説明した。なるほど、そういう原理かと雨川は漸く理解する。

 しかし、なら。

「蓋を閉めるのはどうなんですか?」
「当たったら脳震盪もんでしょ。死んじゃうよ」
「なるほど」

 雨川が理解したところで南沢はそのメダカが入ったペットボトルを雨川に返し、すぐ近くにあった、先程ソラがしびれを切らしたエビの罠を水面から取り出す。
 「うわぁ、ミナミヌマエビ」と、嬉しそうに南沢は言う。

 それから雨川を見てにっこり笑い、雨川を抱くように片腕を回して向きを代えさせ、「あっちも行こう」と、ソラのいる前方を眺めた。

 子供のような南沢の表情と、緩く逞しく抱かれた左腕に、雨川は少し居心地の悪さのようなものを覚えた。

「離してください」

 と、弱々しく南沢に請求するが「ん?」と向けられ少し見下ろされるのに顔を上げられずにいた。
 最早いたずらかと、荒々しく雨川は拒否の意を見せようと南沢の腕を離れ、先に裸足のままソラの方へ歩く。

 「あらまったく、」と、南沢はその場に置き去りにされそうな雨川の、靴下が入った靴を持って後ろから眺めるように後を行き、一人ビニールシートに辿り着いた。
 座ってエビと靴を置き二人を眺めることにする。

 真剣に、しかし楽しそうに釣りをするソラと、背後で見守るように釣糸の先を覗き込む雨川。とても充実した休日。

 しかし少し身を屈め、無意識に開いた片手で腰を叩く雨川に少し心配はあった。歳、と片付けたが実のところはどうなのだろうかと気に掛かる。

 予兆なしとしたが確信がないからそうしただけで、最近雨川は少しばかり以前より、妙な、何とは言いがたいがたまに“女性”を見る瞬間が南沢にはある。いや事実は生物学上女性だが、例えば。
 胸を触診した際に雨川は少しむずがるようになった気がする。

 そりゃそうなのかもしれないが、自分ならあのむずがりかた、感度、しかも興奮した際にしか大体は起こらない気がするのだ。

 男性でそこを感じるのは、なにか、それを感度として開発しなければ起こらぬ現象だ。しかし、女性ならば男性よりも遥かにそれが容易だ。何もしなくてもあれは性感体である。
 だとしたら雨川は少々、後れ馳せながら女性の体に近付いているのかもしれない。それは、科学的にも、雨川自身にも大きな進歩だ。

 自分的にも、進歩だと南沢は思う。

 これは純な探求ではないと、実はわりと前から自分の心の変化に気付かないふりをしている。正直心の対処に困っていた。

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