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10年近く前。
フィンランドの、とあるビルの夜長。雪が、うねるように降っていた。
「…なぁ、俺らさ」
ジッポライターの蓋が空く音。妙な静けさに消え入るような声と、憔悴しきった紫煙が昇る。
吐き出した息が白いのは、冷気のせいか、有害物質のせいか。
スナイパーライフルを抱き抱えるように持つ、額から血を流す男と、ズレてしまった治らない眼鏡を押さえる男は、窓枠よりも下に座り込んで項垂れていた。
「なんでこんなことしてんだろうな」
廊下には、幾つもの死体が寝転がっていた。つい3日ほど前までここは、ごく普通のビジネスホテルだった。
血の臭いと腐敗臭で最早嗅覚は麻痺している。
「笑っちまうよな。最初は小せぇ島国の公安になったはずだったのにな。気付いたら…」
タバコを足元に捨て、踏み消した。静かに弾を込めた瞬間、この男の表情は、一気に鮮やかになる。
右腕を少し捲り、時計を覗く。
「そろそろだな」
確認して立ち上がり、外を眺めて窓を少し開け、ライフルを構えた。
「距離的に…うーん、12.77NATO銃弾で今700m。風向きが逆ですね。640、600...」
パトライトの左上が破損した。パトカーは、急停車する。
「気が短いなぁ」
「あいつら喧嘩売ってるよね、パトカーって…」
パトカーから慌てて出てきた黒人警官の一人は、雪の上で次の瞬間には、真っ赤に染まった。
「しかも黒人って」
「同感ですね」
次は運転席から出てきたアイリッシュを撃ち殺す。
「あぁ、そうそう」
雨は、フレームの折れた眼鏡を押さえながら気のないように言う。
「君、次の移動先見ました?」
ふと、腰元のホルスターから一本リボルバーを抜き、樹実の真横に向け、撃つ。背後で、人が倒れる湿った音がした。
「そろそろ踏み込まれましたね。撤収しましょうか。あとはあそこに乗ってる首相候補だけでしょ?」
「多分そいつは…トランクにでも詰め込まれてるだろう」
「あぁ、お気付きですか?
で、次の国ですが…ソマリアですよ」
雨がそう告げれば樹実はシニカルな笑みを浮かべ、再び外に視線を送り、何発か連射した。
パトカーのエンジンに火が点り、雪景色を溶かして行く。
「Whatever…」
「はいはい」
ぼんやりと廊下を見渡した樹実の空虚さに、倦怠感を感じて。
「あぁ、うめぇな」
また、ジッポの音がする。タバコの紫煙と外の溶けて落ちる雪が。
「そうですか」
そろそろ去らねばならないと言うのに。
しかしまぁいい。どうせ、この男は何を言っても聞かないのだから。
「…いい国だったな。平和で、寒いけど…ゆったりしてたなぁ」
「柄にもないなぁ。あぁ、ペンギンいませんでしたね」
「あぁ、そうだな…」
ゆっくりと宙を眺める樹実の視線は、一体何を映しているのか。
何度このシチュエーションになっても、それだけは、いつも雨にはわからない。わかるわけはないのだけど。
「最期くらいは、やっぱ、一発で死にてえなぁ」
ぽつりと、煙のように言う樹実の言葉が、何とも言えないくらいに雨の胸に切迫を呼び込む。
今いるはずだった12名くらいを思い描いているのだろうかと思うと気が気ではない。皆、撃ち抜かれたり斬殺されたり首を取られたり、凄惨な最期だった。もちろん敵軍だって、同じくらいには凄惨だった。
まさに血で血を洗ったのだ。
「きっとそうはいかないでしょう。あなたは」
「ははっ、お前ってそーゆーとこ優しいよな」
タバコを吸い終え、漸く樹実は歩き出した。雨は、それについていく。
「日本に帰ったらまず何しますか」
「んー、温泉かな」
「あー、いいですねぇ」
「あとはそうだなぁ、なんだろうね。
お前は何したいよ」
「…なんでしょう。セブンスターでも吸いましょうか」
「柄にねぇな」
「まぁね。あとは日本酒かな」
「あー確かに。でもまずは…そうだなぁ…普通がいいんだけど、でもさ」
「…樹実、」
「なんだよ」
「…いえ」
言えなかった。
彼にだけは、何も言えなかった。
いつだってそうだった。どこにいても何をしてても、離れ離れで働いても、彼にはいつも言えないのだ。
陳腐すぎて重すぎるのを、どこかでわかっているから。それだけは綺麗事で本音は、ただただこの先が怖いだなんて、この人にだけは言えない。
しかしそれは樹実も一緒だった。雨にだけは毎度、希望を語ることはしてこなかった。
「崩落と言うのは簡単なもんだね、雨」
いつだったか彼がこう語った。どこで誰と何をしたときだったかは忘れてしまったけれど。
はっきりと、忘れようとしたところで離れてはくれない鎖となった言葉。
「雪は溶けるからいいな。溶けても雨になって残るから」
言っている意味すらわからないけど。だからこそ彼の答えを知りたかった。
「雨、」
「なんでしょうか」
「もしも、俺がいつか実のらなくなったときは、お前、それでも俺と組める?」
ホテルの裏口から出て懐から手榴弾を取りだしピンを引っ張り、今歩いてきた非常口の階段に投げ込んだ。
扉を閉めると、くぐもった爆発音が聞こえた気がした。
「あなただったらどうですか?」
「え?」
「僕が暴風雨になったら」
「んー。まぁ…雨傘用意だよね」
「そうですか」
非常ベルが背中でけたたましく鳴り始めた。振り返らずにひたすら、目的もわからず歩き続ける。
「ソマリアこっちかな」
「多分違うでしょうね」
「そっか」
それから3日後に彼らは応援に駆けつけた現地の特殊部隊に拾われ、ソマリアに向かった。
たった、二人だけだった。
そしてその後はしばらく別々で活動をして。
日本に戻ってきた頃には立場も離れていた。今となっては昔の話だ。
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