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 身体を洗ってから湯船に浸かる。
 祥ちゃんが以前に買ってきた秘湯シリーズの、濁り湯。正直どこの温泉でなんの効果があって何成分が入っているかは知らない。

しかしプチ贅沢。

 日本の温泉、あまり行ったことがないのだと祥ちゃんが言っていた。
 俺はわりと行った方かもしれない。案外あの人、温泉とかそーゆーの好きだった。
 ちょっと長湯に浸かってみて、あぁ最近あんまりこーゆーのなかったなぁとしみじみ思う。歳かもしれない。

 まあ結局最後はその名残なくシャワーで流すんだけど。とか考えていたらふいに鼻に違和感。あ、これ出るぞ鼻血。そう思って手を押さえて風呂から出れば、案の定だ。

鼻血効果ある薬、飲んだんだっけ?てか鼻血効果ってなんだ。
 やべぇなぁと思って給湯器の温度を温めに設定し直してシャワーを浴びていたら「潤ちゃん着替え!」と扉の向こうから聞こえたが返事が出来ず。

「え?潤ちゃん死んでる?」

 とか聞こえてきたので「大丈夫!」と言うが結果、「はいほ、ふ!」になり。もういいやと手を離して「鼻血!」と訴えたら喉に血が流れ込んできて噎せた。

アホか我ながら。

 取り敢えず風呂から出ると、着替えと、その上にティッシュ箱が置いてあった。有り難くティッシュを拝借しかんでリビングに戻れば、祥ちゃんは何食わぬ顔でソファに座ったままにちらっと俺を見て、「のぼせたの?」と聞いてきた。

「んー、そんなとこかも」
「止まったんだね」

 隣に座ればがしゃがしゃと、肩に掛かるタオルで頭を拭かれ。

「血行促進だわあの温泉。血気盛んだね潤ちゃん」
「引き籠ってたからね」
「てか大丈夫?」
「うん。てかありがとう。
 大丈夫、浴槽には血ぃ入ってないと思われる」
「なにそれ!うん、まぁはい。
 しばらく横になったら?」

 立ち上がった祥ちゃんはそう言った。ついでに用意してくれたらしいコーヒー牛乳を促された。

「ありがとー」
「ん、まぁ風呂入ってくるわ」

 そう言って祥ちゃんは浴室に消えていった。
 確かにちょっと頭がボケてるかも。寝転がってみてテレビを眺めた。変態のようなクイズ番組が流れていた。
 天才と素人挑戦者みたいなやつ。これ誰得番組なんだろ。その漢字読めなくても生きていけるだろうと、“|蕃茄《トマト》”に対して思う。いいじゃんカタカナで。支障ないじゃん。

あ、でもこんなアホみたいな漢字でぜーんぶ書類出したら流星も高田さんもぜってぇ発狂する。なに、じゃぁ覚えてみる?蕃茄を使う機会ってぜってぇねぇ。なんかもうちょっと実用的なのないの?あるわけねぇ、そもそも難読漢字とか使う意味ない。番組変えようかな。

あ、“|士篤恒《ストックホルム》”これ絶対意味ない。てかムリだよそれ読むの。何?|士篤恒症候群《ストックホルムシンドローム》って書くわけ?あ、おもろいやん。やったろ、覚えとこ。

 祥ちゃんのタバコが目の前にあった。そのまま手を伸ばし俺のタバコも取ってロシアンタバコした。然り気無く戻すこともわすれない。

いやしかしくだらないなぁ。世間は案外平和らしい。ぼんやりそう思った。
少し前の俺を見下ろしていて、あぁ、夢かと気が付いた。間取りが17歳の時の寝室。
ベットの前にあの人のノートパソコンがあった。そこに一人、俯いて小さなピルケースサイズの何かを眺めている自分。片手にリボルバー。

あれ、これ、いつの、なんだっけ。

 ピルケースを置いて拳銃を眺める自分。ふと、蟀谷にそれを当てている。

 ふと人の気配がして、銃を降ろして。
 目を開けた。祥ちゃんが俺を見下ろしていた。

「あ?祥ちゃん?」
「眠そうだね潤」
「あっ、」

 起き上がった。血液が頭から下に降下した気がする。
 てかいきなり起き上がったせいでぼんやり。頭が冷えていく。

「いきなり起きて血圧下がったんでしょ潤」
「んー。てか寝ちゃってたらしいね」
「みたいね。唇噛み締めながら苦しそうだったよ」
「あそう…」

 番組が終わろうとしていた。国の名前も漢字も忘れた。
 テーブルにあったダサい眼鏡を掛け、タバコを吸い始める祥ちゃん。赤いパッケージでソフトパック。確か|次元《じげん》のタバコ。

「あっ、外れた」

あぁ、混ぜとけばよかった。

 横目で俺を見てにやっと笑った。「潤とこ来ないとないやつ」と、何故か祥ちゃんは嬉しそうだった。
 そう言われたので俺もタバコを一本出した。混ぜてないから俺も外れ。一口目で「うぇっ」となった。

「外れか」
「うん…」
「吸う?」
「いい…」
「ねぇ、なんの夢見たの?」

 話題を振られ。

「ん?」
「いやなんか苦しそうだったからさ」
「んー」

あれ。
なんだっけ。

「忘れた」
「あそう、残念」
「祥ちゃんは?」
「ん?」
「いや今日さ、なんか祥ちゃんも苦しそうだったよ」
「あーうん。昔の夢かな」

 思い出すのが嫌なのか、俺のタバコが不味いのか、少し苦い顔をしたのだった。

「昔住んでた家の夢。
 夜になると部屋に閉じ込められてさ、なんかベトナム語の、聖書を聞かされて|御祓《みそぎ》をするんだよ。でも何言ってるかわからないから眠くなるんだよ。寝ると皆一晩中拷問を受ける」
「皆?」
「そう」

 それ以上祥ちゃんは語らない。よほど嫌だったのかもしれない。

「だから夜に眠れることは凄く平和なんだ」
「…そっか」
「ま、夢だけどね」

 そう言って笑った。
何が夢で本当なんだろう。

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