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運転しながら暫し考えるのは、隣で俺の言葉を待っているだろう、しゃんとした伊緒への言葉よりも、環の今後だった。
勿論、伊緒は伊緒で心配だが、それよりも、護身を持たない環の方が心配だ。
いや、
二人にはそれぞれ何を言おうか、そればかりを考えているのだ。
ふと、信号で停まった際に「流星さん」と。少し消え入りそうに言った伊緒の横顔は夜になりかけた景色を写していた。
「…今日は、」
「あぁ、ごめんな心配掛けて。
…目の前で鮫島が死んだもんだからな、少し…」
「確かに、あんた死体嫌いでしたよね」
「うん…まぁ」
戦地で。
いや、それよりも遥か前から人の死ばかりはどうしても慣れない。
何年か前の、フィンランドで俺は。
ユミルと祥真と組んだとき、記憶はすっ飛んでいるが、精神状態が極度の緊張を越えてしまったことがあった。それをふと、思い出した。
「…俺、あの話はマジだと思いますよ流星さん」
少し声色を潜めて伊緒が言った。
窓あたりに腕をつき、黄昏たようなその様、しかし横目で俺を見る薄顔と照らされる滑らかな長すぎない髪は、なんとなく夜の色を見せる。
「あの話?」
「…潤さん。山下さんと繋がりはあるかと」
「…まぁ、」
別にあったところでなんだと言う。
「あいつはまぁ、スパイだからなぁ、根っからの。確かに、お前が不安に駆られるのも」
「信用してないわけではなくて。
だとしたら潤さんにも疑いは確かにありますが、それより先にまず、潤さんの身は安全なんでしょうか」
「…何が言いたいんだ伊緒」
少しむすっと返してしまった。
伊緒が若干それに怯んだのがわかり、「いや…」と取り繕う。
「…俺は、まあ多分ないと思うが、例え潤と祥真に繋がりがあったとしても、こちらの不利益には」
「お互いに素性を知らなかったらどうなんですか?あの雰囲気では、あり得るんじゃないでしょうか。
だって…流星さんだって山下さんを」
「何が言いたい」
ついにイライラを出してしまった。
若手相手に大人げないかもしれないが、伊緒、ならお前は潤と、とくに祥真の何を知っている。
「…なんですか、俺、出すぎたこと言ってますか?」
しかしまぁ、そう俯いて言われてしまえば反省した。
「…悪い。今日は少し気が立っているかもしれない。
…俺は確かに潤のことも、祥真のこともよく知らないかもしれないな。その段階では、あいつらにそんなこと、なにか利益になるのか、こんな考えしか出て来ないんだ」
「流星さん…?」
「俺だって、あいつらに話してないことなんて沢山ある。例えばお前にだって、俺がテロリストと暮らしていただとか、話したことはないだろ」
「…それって、元…」
「あぁ。
俺は本当はどこの誰だかわからないんだよ。確かなのは昔、後にテロリストになるスナイパーに、とある国で拾われ」
「なんでそんな言い方するんですか、」
伊緒は怒りを交えて、しかし先程よりは泣きそうに俺に言った。
お陰で俺の高ぶりが少し冷めた。あぁ言いたくないことを言ったと、自覚して。
「それでもあんたは、何かあるからその人を追ってるんでしょ流星さん」
「…伊緒、」
「だから俺だって」
「俺もわかんねぇよ正直、」
打ち消した。
思いの外否定的で、声を荒げてしまった。
「…ただ、潤だって同じだ。みんな、あの頃を見た仲間は…。
俺だけじゃないんだよ、伊緒。それは言っておく」
そうか。
少し俺も疑心暗鬼だが、伊緒の方が、遥かに不安なのか。
信じてきた組織を抜け俺に拾われ、仲間の死も目にして、いまやまだ、辿り着けないなんて。
19歳には少しばかり…酷か。俺ですらあの事件は20だった。
「伊緒、
宗教じみてるかもしれねぇが俺は…樹実をまだ信じていたい。だが、信じきれてない。
いまのお前と、同じだ」
樹実を殺した俺が、伊緒に何を言う資格があるのか。
「お前を拾った俺は間違いかもしれないな」
「そんなことなくて」
だから俺のようになるな、とは言えない。血反吐吐いてもそれは綺麗事以外の何物でもない。
そうならないために、疑心暗鬼は敵だ、樹実。だが多分、あんたは正しいんだ。俺の…ヒーローだったから。
あんたはしかし、俺に『俺みたいになんなよ』と昔笑ったんだ。
俺は、そんなことは後世に出来ないし、しないよ、樹実。
「伊緒、」
黙る。
「環を暫く政宗に預けようと思う」
「…は?」
「それしか、思い付かないんだ」
俺は思ったよりも酷く狭く弱いから。
「…お前も嫌なら、政宗と」
「嫌です」
それから意思強く、訂正するように伊緒は続けた。
「あんたを一人置いて行こうだなんて、ムシの良いこと言えませんよ流星さん」
そうか…。
お前、俺より多分、強いな。
家の駐車場について車を停め、「悪い、環に言う言葉を考える」と、俺は伊緒を先に帰し、一人シートに凭れたままマンションを見上げる。
「樹実…」
俺、どうやらあんたと。
同い年になりそうだよ。
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