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 タバコを1本吸って黄昏て、なんとなく頭が冷えたところで意を決して車を出る。空気が寒い。夜はそう、いつもそうなんだ。

 凍えるように蝋燭の光を頼りに、壁に寄り掛かり、朝が来る前に闇に溶け込んだあの狭く古い景色を思い出しそうになり、自分の住む階を見上げた。
 闇が最大悪だ、子供をどこかへ引き連れて行ってしまう。だから蝋燭が必要なんだと俺は教わった。いざ、夜に外へ出てみれば、
確かに引き連れられたのかもしれない。あの頃とは解釈が違うが、俺はあそこを捨てていまに至るのだろうと…。

あれ。

 あのボロく広い蜘蛛の巣が張った埃っぽい壁は、どこで見た景色だろう。エレベーターの狭い箱に、今更何故だか少しの身震いをした。

もしかして。
もしかしなくても。
12歳よりも前の、景色なんじゃないだろうか、今のは。

樹実に出会う前の、死んじまった俺は、一体、どこで何をしていたのか。

 階について思考を自然と遮断した。電気が照らす廊下。

 足に馴染むコンクリートに、現実へ帰ってきたような、
地に足を着いた感覚に至る。部屋まではなにも考えず、部屋の前まで来て夜の空気を深く吸い込んだ。

 別に綺麗な空気ではないが、どうにも焦燥を抑えたいと、一息を白くしては漸くドアノブを捻って開けた。

「ただいま」

 玄関は明かりがついている。見えるリビングのドアから生活感が漏れた。
 靴を脱いでリビングへ向かえば伊緒が、右手壁際の冷蔵庫を開けて眺めていた。

「おかえりなさい」

 そしてシンクの向こうにあるソファから見えた黒髪が振り返り、花が咲くように微笑んだ環の顔が見えた。

「ただいま」

 ちらっと伊緒が冷蔵庫の扉を開きながらも俺を見ては言う、「流星さん、今日は生姜焼きにしましょう」と。

「いいよ。ちょっと着替えてくる」
「今日は俺が作りますから」

 伊緒の視線は、「だから環とゆっくり話なさい」と言っている。
 何も知らない環はじっと、テレビを見ていた。

 普段、一人の時はほとんど活躍しなかったテレビ。朝と深夜のニュースしか見なかったが、伊緒と環が来てからはこうして、点いてることが増えた。

 リビングの隣、戸を挟んだ向こうの寝室がひんやりした。寝室のウォークインを開けてスーツを掛ける。ベットに畳まれたルームウェアに着替えるのも寒い。
 コーヒー飲みてえなと思い、引き戸を開ければ環が、クッションを抱き締めて夢中でドラマを見ている。

 痛く日常だなと、綻びそうになるのを引き締め、「コーヒー飲む?」と誰ともなく声を掛けるが、二人とも「大丈夫です」と返ってきた。ならばとインスタントを入れ、コーヒーを手に環の隣に座った。

 どう切り出そうかなとぼんやりテレビを眺めれば、どうやら恋愛ドラマだったらしい。俳優と女優のキスシーン。
 気まずいと、ちらっと見れば環もどうやら俺を見ていたらしく、慌てたようにまたテレビに視線を戻した。

 あぁ、ちょっと癒されました俺。
 昼間の、あの惨劇が嘘のようだと感じれば、画面がどんなに甘かろうが、脳裏に鮫島と側近の死体が掠める。

「環、」

 声は震えていないだろうか。不安で意味もなく画面を見つめてしまう。
 呼んだことで環が俺を見て「なんでしょう?」と尋ねるのも、わかる。

「暫く、君は…、政宗の家に行ってくれないか?」

 間があってから「え?」と。
 驚きと完璧なる視線に負けた。見つめ返せば環はぽかんとしていた。

「…俺が少々、不安定な身の上になってな」

いや、
よくわかんねぇなおい俺。

「…お仕事ですか」
「あぁ。大ヘマこいてな。
 職業柄君を危険に晒すかも」
「なにが、でしょう」

 言葉に詰まった。
 環は、自分の、あの痛ましい過去なんて、覚えていないんだ。

「…君の、命を、危険にさらしたくないんだ」
「…でも私は、生きているじゃないですか」

それは。
え?
 どう言った解釈をすれば正しいだろうか。

「…別に、政宗さん、嫌いではないです。寧ろ、感謝、多分しています。命の恩人ですが…。
 けど、一緒の布団で寝れるのは、流星さんだけで…」
「っぶはっ、」

 コーヒーを吐きそうになった。
同時に伊緒が「ふっ…」と笑ったのも聞こえた。

「いや、うん、うん。確かに俺はもし政宗が君と同じ布団に寝ようものなら多分あいつを殴る。けど、うーんと…」

 言った後だからか、俺の対応が悪かったのか。
 環が突然クッションに顔を埋めてしまった。顔を隠していても耳が赤いのがわかる。

ちょっとこれは俺、どう対処するんだい、マジで。

「えっと…環さーん」
「わ、私はその、我が儘を言える立場でもないのですが、」
「いや、えっと」
「私はやはり、ご迷惑でしょうか」
「いや、違う、そうじゃないんだ。いてくれた方がそりゃぁ…」

え、
なんなんだろう。
なんだか。

 不甲斐なさやら恥ずかしさで俺まで下を向き始めてしまったことに気付いた。二人の間をテレビ音声が流れる。

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