16


「こんばんわ、環さん」

 潤が、物凄く胡散臭い王子様スマイルで挨拶をした。環は笑顔に困惑を張り付けた表情で潤に頭を下げ、助けを求めるように俺を見た。

「遅くにごめんな。潤だよ。昨日話した…」

 そう言うと環は納得したように頷いて、今度は自然に微笑みを向けた。

「今度手術するって聞いたからさ。久しぶりだね、覚えてる?」

 環は申し訳なさそうに両手を会わせて頭を下げた。ごめんなさいの合図だ。

「いや、いいのよ。元気そうでよかった。
はじめまして、にしておこうか。星川潤です。流星の同僚です。よろしくね」

 環は紙に
“青葉環です。よろしくお願いします”
と書いていた。

「何か新鮮だね、こんなのも。聞いたよ、絵、上手なんだってね」

 環は潤に両手を振る。

「今日は何描いたの?」

 俺がそう聞いてみると、スケッチブックを渡してくれた。

「俺も見て良い?」

 潤が聞くと、環は照れ臭そうに深く頷いた。

 開くと、葉っぱとカタツムリ。次のページには花火と、袋に入った金魚が描かれていた。

「上手だね!凄い!俺なんて絵描けないよ!」
「今日はどっか行ったの?」

 そう聞くと、紙に、
“昼間に看護師さんと庭に行ってカタツムリを見つけた。
花火は、ドラマで見て綺麗だったから”

 と書いた。

「あと少ししたら花火の時期だな。それまでに治ってたら、行こうか」

 嬉しそうに頷いた。

「行けるといいね。
あ、そうだ。君さ、リンゴ好きだって聞いたんだ。もしよかったら」

 そう言って潤は、先程買ったクッキーをオーバーテーブルの上に置いた。

 環は申し訳なさそうに手を振る。
 しかし潤も王子様スマイルで、「つまらないものだから」と言う。

「貰ってやって。こいつ面倒だから」
「何がだよ」
「性格だよ」
「お前には言われたくないな」
「何がだよ」
「性格に関してだよ」

 環が声なく笑う。二人で環の方を見ると、環は潤に、“ありがとう”の合図をした。

「いえいえ。
 全く。女の子に笑われちまったじゃねぇか」
「お前のせいでな」
「どちらかと言えばお前のせいだよ」
「ごめんね環ちゃん。こんなバカでもよろしくね」

 その潤の言葉に環が一瞬ポカンとした顔をしたが、ぎこちなく笑って頷いた。

 それからしばらく雑談をしたり、3人で絵を描いたりした。驚くほどに潤は絵が下手くそだった。

 環が潤に手招きをして、潤が「どうしたの?」と聞くと、“じゅんさんの絵を描かせてください”と紙に書く。

「いいよ」
「珍しいな…」
“ちゃんと覚えておきたいの”

 その一言に一瞬ドキッとして。少し、悲しくなった。

「…かっこよく描いてね」

 潤の笑顔からは気持ちが読み取れなかった。

 それからしばらく潤はモデルになっていた。その間も、二人でなんとなく会話はして、ふざけ合っていて。その度に環は笑っていた。

 しばらくすると環は手を止めて、潤にスケッチブックを渡した。「照れるなぁ…」なんて言って、自分の顔と並べて俺に見せてきた。鼻の高さや大きな目、特徴を捉えていた。

「なんかこーゆーのって嬉しいもんなんだね」

 素直に潤が喜ぶと、環は掌で、どうぞ、とやる。

「え?」
“一度描いたものは忘れないのです。喜んでくれたみたいなので、もしよかったら”
「マジ?やった!嬉しいよ!ありがとう!」
「よかったな」
「なんか、こーゆーさ、心が籠った物って本当に嬉しいね。俺なんてさ…。
 まぁいいけどね。環ちゃんって本当に良い子だね…。なんか、お前が大切にしちゃうのわかるわ」

 ふと、時計を見る。いつの間にか20時半を過ぎていた。

「そろそろ帰ろうか」
「あぁ、そっか。
いやぁ、楽しかった。また来ても良いかな?」

 環が、頷く。

「落ち着いたらまた来ます。手術、頑張ってね。おやすみなさい」
「また来るよ。身体に気を付けて…。おやすみ」

 お互いに手を振って病室を出た。

 車に乗り込んでまず始めにタバコに火をつける。病院はこれが嫌だ。

「一緒になったらタバコどうすんの?」
「ベランダか換気扇の下」
「大変だねぇ」

 あれ、てか。

「あれ?一緒に住む話、お前にしたっけ?」
「されてないよ。でもわかるよ」
「なんで!?」

 怖い、素直に怖い。

「だってもう何?ラブラブオーラ全快じゃんかお前」
「いやだからさ、」
「はいはい聞き飽きましたよ。いいよ誤魔化さなくても。好きなんでしょ?」
「え?」

 何が?

「え?ってえ?」
「何が?」
「は?」
「お前の日本語通じない。何を言っているんだい潤くん」
「え?何お前童貞なの?」
「何でそうなる!?違うわ!いや、は?」
「うわぁ、お前さ、何?28になってなんなのそれ」

 そんなこと言われましても。

「お前あんなにさ、幸せそーに笑いやがって。いつもは凶悪なくせにさ。こっちまでにやけるっつーの」
「へ?」

 そうなの?

「はぁ、そうなんだ…」
「そうだよ。なんかあったかーい顔してるよ。表情も増えるし」
「…環はさ。俺いつも思うんだ。なんか、そーゆー不思議な子なんだって。みんなが笑顔になれる、そーゆー…」

 一緒にいて生きた心地がするから。

「…そう思える人がいてよかったじゃん」
「…うん」
「大切にしろよな、ったく」

 そう言う潤がなんだか嬉しそうなんだが。

「お、おぅ…」

 それから家に着くまでは仕事の話もしたし、環の話もした。

 家の付近で降りた。「タクシーじゃねぇんだから家まで送るよ」と言われたが、

「いいよ」

 と断った。
多分これは職業病だ。

「…まぁいいや。また明日」
「あぁ。ありがとな。おやすみ」

 手をふらっと上げて車は去っていった。

 星があまり見えない空だ。日本の東京の空は少し寂しい。

 家の前に着いたとき、ケータイが震えた。誰もいない廊下に、静かに響いた。

- 44 -

*前次#


ページ: