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「また来ます。遅くまですみませんでした」
「いえいえ。楽しんでいただけてよかった。花、ありがとうございます。またぜひ来てくださいね」

 いつもの閉店時間に雪子さんは席を立った。おっさんが丁寧に挨拶をする。

「ちょっとそこまで送って行きます」
「え、そんな…」
「女の人の一人歩きはこっちも心臓痛いから」
「あー、光也は確かにすぐ病むからな。雪子さん、気にしないで。こいつの心臓を救うと思って」

 然り気無い了承をもらったようだ。雪子さんは「はぁ…じゃぁ…」と、申し訳なさそうに微笑んだ。取り敢えずコートを羽織って二人で店を出た。

 春前の妙に冷たい空気。空を眺めると月が細くて、切った爪みたいだ。息を吐けばまだ白くて。

「まだ春は来ないなぁ…」
「もうすぐよ」

 ふと隣を見ると雪子さんも月を眺めていた。ホント、綺麗な人だなぁ。

 ふいにこっちを見た雪子さんと目が合って思わず反らしてしまう。意外と気まずい。雰囲気で雪子さんが優しく笑っているのがわかる。距離は、遠くなんてないのに。

「小夜ちゃん、上手くいくといいなぁ」
「え?」
「こう言うとあなたは複雑かしら?」
「でもなんか、小夜なら…」

 小夜ならきっと、悪い人は捕まらないだろう。

「優しいのね、お兄ちゃん」
「あ、いや…」

 そっか、そう見えるのか。

「実はね、兄妹なんかじゃぁないんですよ」
「え?」
「まぁ色々あって…そんな生活はしとりますけどね」
「あら、てっきり兄妹かと思った」
「まぁ同じようなもんです」
「そうなんだ。
ねぇねぇ、気になってることひとついい?」
「なんです?」
「光也さん、ご実家、もしかして関西のほう?」
「あ、あぁ…」

 いつの間に出ちまったか京都弁。

「やっぱり国の言葉は抜けませんね。あんま自覚ないんやけど、酔っぱらうと出るみたいなんです。ちなみに京都なんやけどね」
「そんな感じする!結構出るものなのね」
「みたいですね。よく言われます」

 なんだかちょっと恥ずかしいな。

「じゃぁこっちは寒いでしょう?」
「そうですね」
「どうしてこっちへ?」
「大学がこっちで。それ以来ずっと」
「そうなんだ、大変だったでしょう?」
「どうかなぁ…。姉ちゃんもそん頃にはこっちいたんで」
「あら、リアル姉弟?」
「そう」

 自分の話をするのは苦手だ。だけどなんだか、珍しくちょっと楽しい。

「リアル姉にも、雪子さんみたいな落ち着きがあったらええのにな。毎回会うたび煩くてかなわん」
「リアル姉弟も仲良さそうね」

 楽しそうに、こんな話を聞いてくれて。

「雪子さんと話してると、楽しい」
「あら、奇遇ね。私もよ。
 久々に人とお喋りするのってこんなに楽しいのね」

 あぁ、そっか。

「光也さん?」

 この人、帰ったら独りなんだ。そう思ったら少し、帰したくないような気がしてしまう。
 誰かが側にいない虚無感を想像すると、その想像は追いかけられない。

 俺も一人のことはあった。だけど俺のそれは、永遠なんかじゃなかった。

 雪子さんと目が合うと、にこっと笑って、「そんな顔しないで」と優しく言われた。

「貴方、優しいのね、本当に」

 どうしてだろう。

「純粋だし」
「え?」
「私はそんなに人に優しく出来るかしら」

 いつの間にか雪子さんの家の前で。

「ありがとう、お疲れ様です」

 そう言って頭を軽く下げられて。

「雪子さんも」

 俺は何が言いたいんだろう。雪子さんも、待っている。

「雪子さんも、充分優しいよ」
「…」

 その笑顔が、一瞬消えて、だけどとても綺麗で純粋に見えた。

「おやすみなさい」

 そう言って俺も頭を一度下げてもう一度雪子さんを見ると、やっぱり笑顔だった。

「おやすみなさい、いい夢を」

 雪子さんが店の鍵を開けて入っていくのを見届け、俺は漸くその場を立ち去る。

 店に帰る間、空を見上げながら考えた。
不思議と暖かい。けどどこかもの悲しい。

 あの詞の続き、なんだったかなぁ。


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅《うすくれなゐ》の秋の実に


「人こひ《ひとこい》初めしはじめなり…」

 島崎藤村、お前よくこんなこっ恥ずかしい詩を思い付いたな。

 それからはいつも通り、店に戻って閉め作業をし、夕飯を食べて帰る。
 車を見ても真里は何も言わなかった。擦ったことはどうやらバレていないようだ。

「バレンタイン、ちょっとドキドキするなぁ」
「恋ってそんなもんだよ」

 車の中で景色を眺めながらそう返す。

「してるときは楽しいもんだよ。なんや、色々一人考えて、苦しかったり切なかったりするけど、どこか甘くて、後で振り返ってみたらなんやかんや生きてる心地がする」
「あんたそんなこっ恥ずかしいことよくそんなしれっと言えたな」
「え?こっ恥ずかしい?そうかなぁ…」
「いや、言ってることは間違ってない。だからちょっと…ねぇ」
「春だねぇ、みっちゃん」

 なんて、なんかおちょくるように小夜が言うから。

「まだやろ。まだ冬やないか」

 と返してみるが、なんか真里と二人、クスクス笑い合っていて。

「なんや、気持ち悪いなぁ」
「いや、うん。あんたはそのままでいいよ。
 俺さ、あの人だったらちょっと納得するわ。まぁ人のそーゆーのにとやかく言う筋合いもないけどね」
「…確かに。なんか似てるよね」
「え?何が?」

 ホントは薄々気付いてるけど。惚けてみれば、「これだからみっちゃんは」と、言葉とは裏腹に、なんだか楽しそうに小夜が言う。

「そんなんより小夜。
 彼氏出来たら報告して欲しいわ」
「はいはい。みっちゃんもね」
「俺にわかんないように小夜に報告してね。小夜から後で聞くから」
「えぇ?それ意味ない…」
「いいの。ダメージは直接じゃなく間接がいい」
「でも…」

 俺に彼女はまだまだ出来ない。

「お前らなんか勘違いしとるよ」
「…随分切なそうに言うね」

 そうなのかな。

「ま、味方ではいてやるから」
「上から目線やなぁ」

 真里は今、どんな気持ちで俺に言葉を掛けているんだろうか。
 横顔はでも、親友のそれだった。

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