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結局それから、二人が茶すら頼まない不審に茶坊主が部屋を覗きに行き、「何してるんですか」とその茶坊主に叱られ、貴之は自然と道場に向かう羽目になってしまった。
「自然に逆らうな」
とはよく言ったものだ。12月までの一試合を計3回戦、4回戦目の6月時点で打ち切りとなったのだから外台秘要方は有耶無耶になってしまった。正直どちらが勝ったかすら、時間経過で忘れてしまった。要するに、貴之は和尚に丸め込まれた。
和尚が「お前気だけは強いな、気は確かか」と呆れていたので、なんだか道場で1本くらいは取れるかという気にもなったがやはり「やめい、やめい」とこちらも打ち切りになり、はっきりいってその日の貴之はモヤモヤしか持ち帰らなかった。
明日こそ絶対に勝ってその、なんちゃら要方を借りてやる。その目標が出来たのだが。
「ただいま帰りました、母様、」
しかし。
帰宅した時、母がどうにも見当たらなかった。
夕刻、そろそろ台所に立っているはずだと、「母様?」と声を掛ければ「貴之」と、厠の方から腹を抑えて真っ青な顔で出てきたのだった。
まるで幽霊のような母の精気の無さに「母様、」と、貴之が心配をすれば「すまないねぇ、」と母は苦しそうに笑った。
「どうも、腹具合が悪いのです」
「大丈夫ですか、」
「まぁ…」
母が無理に立っているのは目に見える。
「母様、今日は寝ていてください。私がなんとか、やりますから」
「悪いですねぇ…」
「こんなときは何が…、粥などが宜しいのでしょうか」
「そうですね、すみません。母は拾い食いをしてしまったようです…」
「わかりました。母様は養生してください」
「一日寝て治すことにします」
しかしその日から2日は母の容態は変わらなかった。
むしろ悪化し、母は厠から動けぬほどに腹を下し嘔吐し始め、流石に気が気ではないと3日目に医者を呼んだのだが、母を一瞬見た医者はそれだけで「他を当たってくれ!」と帰ってしまった。
何事かわからぬが母の死に目が見えてしまったような気がした父が何件か医者に当たるも返答は変わらない。
「医者でも見れないとはどういうこっちゃ…」
事に重きを置いた父が寝ずに考え付いた場所は、寺だった。
貴之が看病をしているうちに母は血を吐き、発熱が行き過ぎ痙攣まで起こすそれは流石にもう本当にダメなのかと「母様、母様!」声を掛けるしかない。
「母様、寒いのですか、母様、」
母の意識は希薄になっていた。
そして3日目に呼んだ條徳寺の幹斎は経文でもなく薬箱を持ってきたが、一言、貴之の一家にお告げを下したのだった。
「狐狼狸《コロリ》や」
狐狼狸。
「とにかく…水を持ってきなさい」
と言いながらその場で坊主は薬箱を置き「何日目だ」と、父と子に訪ねる。
「…あの、花札の日に」
「4日か、あと3日がヤマかもしれん」
「3日ぁ!?」
「とにかく離れなさい。
直入に言うとこれは外来種の流行り病でこの国での治療法もない…死に病で伝染する」
一瞬、場が凍ったような気がした。
幹斎はそれから痙攣する母の口をこじ開け、無理矢理何か薬と水を飲ませ、「すぐに震えは治まるが…」と続けた。
「それも一時の事だ」
「…な、」
父は呆けてから「待ってや、」と和尚に掴み掛かる勢いだった。
「待って、なんでや、どうにか、どうにかならんのかいな!」
「…とにかく体内から水分ばかりが出ていく。水を飲ませるのが最適だが病は治らない」
「そんな、」
和尚の薬は確かにすぐに効いたようで、母はそれからすぐに眠りについてしまった。
「これは震えを取るために痛みを抑えて眠らせた。熱も下がるかもしれないが…暫くは誰も近寄らない方がいい」
「そない殺生な話がありますか、」
「…そうやなぁ。しかし出来ないものは出来ない」
「どうにか、」
「北条さん、」
取り乱した父に、和尚は言った。
「…最後、死ぬときは楽な方がええか、どうか…。
儂は死後へ極楽をと経を読むことなら出来るが、死に際は…せめてこうして眠らせることくらいしか出来ないものだ。
だがその極楽も、幻覚かもしれん」
悲しそうに言ったそれに、父は閉口してしまった。
閉口して唖然とし腑抜けてしまった父を他所に和尚は「貴之、」と話を振る。
「…取り敢えず3日分。眠る薬をお前に預けておく。何かあったらすぐに飲むように伝えなさい」
「和尚、」
「それしか、出来ない」
何故自分に託したか。
それは恐らくいま父が腑抜けてしまい冷静ではないからだろう、それは理解出来た。
それだけだった。
和尚はそれから貴之に、「誰も近付くことなかれ」とだけ告げて去ってしまった。
眠る母はあと、持って3日だということを知らずに一時だけは安らかに眠っているのだと思うと自分は何も言えずにいてしまった。それは自然に逆らうなと、言うことかもしれない。
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