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「え、みんなで来るの?」

 高校の全ての教科を終え、志望した大学にも受かった私は、少し前からランチ、ディナーとバイトをしていた。
 いつもと同じく緩い忙しさが去って、そろそろお店を閉めようかという頃。

 共に生活をしている私の、お兄ちゃんのような存在の彼が、いつも通り、お酒をバーカウンターで作って飲んでいる。
 あまりの暇さにオーナーの柏原《|ルビ《かしわばら》さんまで厨房の入り口に凭れて手を組み、「あったり前だろー」と笑った。

「お店はどうするんですか?」
「閉めるよ?」

 当たり前でしょ?と言いたげに私を見てから柏原さんは、カウンターに凭れていた兄?みっちゃんに視線を寄越した。

「明日はディナー予約も、遥子《すみこ》ファミリーとフレッドじいとお得意親戚様しかいないから」

 特に柏原さんにはなにも言わず、みっちゃんはウィスキー片手に「だってさ」と言った。

「おっさんは一度やると言ったらムリでもやっちゃうじじいだから、もう反論の余地なしだね」
「うーん」
「まぁ人生一回だし、おっさんにも夢を分けてやってよ|小夜《さや》」
「んー…」
「光也《みつや》、良いこと言うねお前」

 その気のないように、しかしどこかつれない態度のみっちゃんに少し疑問を感じたが、柏原さんは「ふっはっは、」と笑い出す。

「光也、お前案外感慨に浸ってんだろ」

 漸くみっちゃんは柏原さんをチラ見し、「うるさいなぁ」と言った。

「いや、わりと大号泣は大学合格でしたんだよ」
「知ってるけど。まぁ、今日もう暇だから看板下げてよ。お前ら明日の準備だってあんだろ」

 そう。
 明日は私の、卒業式なのだ。

 正直、小学校と中学校で経験しているので、あまり「涙の卒業式」感は、私にはなかった。
 そりゃ、思うところはあるんだけれど。

 「はいはいっと」と言いながらみっちゃんはウィスキーを置いて、カウンターを出ていく。
 柏原さんの向こうで黙々と作業をしながら、しかし黙って見ていたもう一人の私の兄?マリちゃんが一瞬こっちを向けば「柏原さん」と呼んだ。

「あ、悪ぃ悪ぃ、絶賛サボり中だわ今」
「いや、そんなこと10年目にして今更いいんですけど」
「真里《まさと》ー、俺今日なんか肉食いてえ」
「明日食うからダメ。明後日あんた胃袋グロッキーでより働かなくなるでしょ」
「歳には勝てないねー」

 また柏原さんは厨房に戻ってしまった。

 なんとなく、ふうと息を吐いて考えようと思ったのだけどあまり実感がなくて、予想よりも「感動」だとかは本当に沸いてこなかった。

 ぼんやりと、お客さんもいなくなってしまったお店を眺め、そろそろじゃぁ、片付けを始めようかなと思いバーカウンターの流し、アルミの板を取り外す。

 これ、もう3年やってるんだ。ふと、それだけは過った。

 高校卒業、しかし実感がないほど、今日もいつも通り緩やかに流れた。

 明日はお父さんも|三重《みえ》から来るらしい。
 夕飯を私と食べに行って、一晩親子で過ごしたらどうか、とみっちゃんやマリちゃんはお父さんに言ったらしいが、

「いや、」

と。

「高校は貴方達の方が、感慨深いと思います。同じ親として、あとは小夜の気分に任せますよ。
 小夜には、高校最後の夜だ、とだけ伝えてください」

 そう言われたらしい。
 私は、受験シーズン、お店で働いてなかったこともあったと考えたし、
なにより確かに、高校のほぼ3年間はみっちゃん、マリちゃんの元でこうして過ごした。

 明日お父さんが来るなら。
 まずは何を言おうか。
 取り敢えずは「こちらで暮らすことを許してくれてありがとう」。これだけは言おう。

 この高校生活はたくさんの出会いがあった。青春の最後なのか、だとしたらたくさん、あったんだ。

 流しを洗い終えれば、いつの間にやら戻ってテーブルを拭いたり椅子をあげていたみっちゃんが「小夜」と声を掛けてきた。

「…今日くらいはバイト、よかったんだぞ。|水野《みずの》さんと飯に行かなくて」
「うん、まぁいいや。
 大丈夫だよみっちゃん。明日お父さんには、ありがとうって伝えようと思うよ」
「…まぁ、そう言うならいいんだけど」

 なんせ。
 東京での家族はここなんだ。
 たくさん、青春を見た場所で、見届けてくれた人たちだということに変わりはない。

「…みっちゃんだって、お父さんみたいなものだよ」
「…そう?」
「うん」

 小さな頃に出会った心優しいお兄さん。
 今ははにかんで「参ったな…」と照れたように言っては、今度はカウンター内の作業に取りかかって。

 だけどみっちゃんは、気まずそうに、照れ臭そうにそれから無言で仕事を進めていった。

 それに、笑っちゃいそう。
 やっぱ、いつも通りだなと、そう感じた。

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