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 夕方近く、ナトリと文杜も、新しい生活のために始めた“バイト”の時間が気になり始めた頃。

 実は二人は、高校生活を機に、ナトリは親元というか預けられていた日本の祖母の家を離れ、一人暮らしのようなものを始めた。

 のようなもの、というのは、荒んでいた文杜と生活を共にすることにしたのだ。つまりは、現在二人暮らし状態なのだ。

 バイトは生活の糧。学費は全て、文杜の事情までをも理解した、畑までお持ちの年金と遺産やらで地味に金持ちである国木田ヨシ(祖母)が、

「んにゃぁ、あたすん面倒見てくれたばい、なっちゃんとぶんちゃん(文杜)の3年分くりゃぁ、まとめてどーんだわさ!」

 とかいう肝っ玉母ちゃん精神でどうやら学校には3年間、学費が自動引き落としになるようにしてくれたらしい。あとは生活費さえ稼げば良い。これはばあさん的には「社会勉強さね!」らしい。

 しかし恐らくは。
 そろそろ自分から離れて自由に生きなさいというメッセージも、ナトリは祖母から感じ取っていた。

 なんせ自分には親がいて、仲も良いがなかなか会えなかったり、
どうやら日本の風習を見れば色々と自分のことをしっかりと決めるような、そんな年齢に差し掛かった頃なんだろうと察しが付いたりする。

 文杜を選んだのは、必死にやりたかったから、それだけだ。選びたかったのかもしれない、人生を。楽しいかどうかを。それにはまずこいつを家から出そうと。

 なにはともあれいまは二人で暮らし生計を立てることとなった、必死に。

 しかし二人の人生にはまだもう一人、最重要人物がいて。
 その最重要人物が昨日の、所謂“放課後”の時間帯近くに。

 あぁそうそう今日は入学式だから半分黙認だったけど、病院から抜け出してきたようなもんなんだよなぁ。流石にバイト前に、真樹を病院には送り届けないといけないかなぁと、二人でどちらともなく考えていた、だからわりと放課後よりは早めの時間に二人の気持ちはそわそわしつつあり。

 真樹の現在の家は最早病院である。
 住んでいた場所は、事件をきっかけに借家となり、真樹はそのまま警察署へ行った、無罪放免で心療内科へ直行、入院となったのだから。

 心療期間が終わったら、一緒に住もうかなぁなんて話を文杜とナトリはしていたりする。

 そんな中、突如早すぎる転機が起きてしまう。

 昨日そんなこんなで、少々落ち着いてから「じゃぁ、そろそろ行こっか、真樹」と、文杜が、真樹にだけ見せる優しい笑顔で言ったのだが。

「…、」

 何か言いた気に真樹は、だけどそれでも諦めもあるような目をして二人を正しければ見つめ、しかしベッドから降りようとしてくれない。

 大方、検討は付く。真樹は恐らくは病院に戻りたくないのだ。

「真樹…、そんな目で見ないで。ね?」

 文杜が困ったように宥めるのがよりいけないのだとナトリは思う。真樹の感情は思うほど強くない。そういう文杜の対応なら、ナトリの予想通り、真樹は俯いてしまって、首を小さく振るのだった。

「何してんの?」

だが。
ここは保健室。
 どうやら少年たちには予想外の大人が二人、いるようだった。

「いやぁ…」
「うーん…」

 事情が事情だけに、喋れる少年二人はあまり話す気にはなれなくて。ましてや相手は大人で教員だ。どうしたもんか。

 どもる二人を真樹は再び顔を見上げる。これが良いのか悪いのか、こんな時ばかり真相がわからない、心理が読めない。欲しいときに相手が、わからない。

 そんな少年達の機密さを見て、なんとなく、ここは奇妙な関係だと一之江は感じたのだろうか。

「…浦部さん、授業そろそろじゃん。まぁ俺に任しといて」
「えぇ…!?」

 ふと一之江がそう言って、しかしそれに困惑しちらっと真樹を見やる筋肉こと、定時と二人の体育担当である浦部将大を見て、嘲笑と取れるような口調で、「そう言うとこが暑苦しいんだよ」と一之江は浦部に言い捨てる。

 浦部はその一言にイラついたように眉を寄せるが、言った一之江本人は至って涼しい顔をして、「行きたくないのか」と、真樹の元に歩み寄り背を屈めて顔を覗き込んだ。

 その一言に真樹は、一之江を見つめ返した。それを見て一之江は、「どこに」と尋問する。

「あのぅ、オカモトせんせー」
「なんだ台湾」
「その…、そいつ、いま、帰る場所が…病院だから」
「はぁ」

 一之江は、いままで見せてきた中では一番生きた表情のような、無表情の中で、しかしなんというか珍しい生き物でも見つけた学者のような、子供が混じった顔でナトリを見つめ返した。

 そのファンキーさに思わずナトリは一瞬言葉に詰まってしまうも、頭のなかでワードを組み立てる。

「失声症《しっせいしょう》だしまぁ、心療内科に入院してる。今日は許可…まあ取ってきたから、その…」
「なぁんだ、そんなこと」

はぁ?
なにこいつ。
凄く軽く流されましたけども。

「家に来ればいいや」
「はぁ?」
「いや流石にわかんない」

 ナトリ、文杜が共に一之江に反論すると、「あぁ…、」と浦部が続ける。

「こいつん家、わりとデカイ病院なんだよ。
 だからこいつ非常勤で、ここ居ないときはクリニックやってる」
「え、」
「やだぁ、」

 思わずな感想。絵づらを想像しただけで物凄く。

「卑猥すぎるだろ…」
「え、そんなVテン医者クソ野郎の家にウチの真樹ちゃんを?ナトリ、これ俺的にはR指定ってか嫌なんだけど」
「俺も同意だなそればかりは」
「さっきから凄く失礼だなクソガキ共。悪かったな、モテそうなお医者様で。
 でも嫌なんだろ?なんなら俺んち別宅あるし住んでいいぞ月3万くらいで。1人3万俺に寄越す?悪くねぇじゃん」
「え俺パス」
「俺もパス。大体今2万5千だし」
「まぁいいけどそれは。んなことは後。お前そーゆーわけで今日帰れそう?つーかなら帰れよ。どこの病院か知らねぇが高校生を心療内科にぶち込んで親どうしてんの?頭大丈夫かお前ん家」
「あ、」
「え、それ言うか普通!」
「それなんだが一之江、お前さ、」

 呆れている二人を他所に担任浦部が説明を施そうとした瞬間、真樹が俯いて嫌そうに、と言うより思い詰めたように首を横に振るもんだから。

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