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「あー、はいはいはいはい。把握。
じゃ決まり。紹介状めんどいから電話ね。どこ?診察券、財布ん中?」

 とあまりにも強引に話を推し進めようとする一之江に思わず真樹は硬直。

 しまいに一之江は真樹の身体を触りまくりケータイを探しあて、履歴やら何やらを漁りどうやら目当てをみつけたらしい。ケータイを耳に当て、

「あもしもしぃ?えっとなんだっけ…|阿久津《あくつ》精神病院?あぁ初めまして。一之江総合のどら息子、精神科医の一之江陽介と申しますがぁ、お宅の患者でウチ移りたいって言ってんのがいるから紹介状書いてくれません?そうだなぁ、今からお宅に行けば…まぁ10分で行けるから」

 ケータイで病院名を確認しつつ、パソコンでナビを検索しつつ、最後に腕時計まで見て至極普通に、ダルそうに一之江は話している。

 ふと一之江は真樹を見つめ、「名前なんだっけお前」と聞いてくる。なんだか悪戯っ子のような顔。どうやらこいつはわりと思い付きでやるタイプらしい。

 こっそり浦部が「天崎真樹だよ」と呟けば、相手先に、「天崎真樹」とそのまま伝える。

 だが次には顔を曇らせ、眉間に皺を寄せ、「はぁ、」だの、「何故?」だの、ケータイ相手に意地悪そうな短めの相槌を打ち始める。

 そして暫し黙った後、「へぇ、はい」と、パソコンのエンターキーをパシッと叩いた音がして。

「それって、要するにゴールないじゃん。更正させる気あんの?それで退院させる気がない、果てしないね。国からなんか出てんのかね。まぁ確かに我々としたら良い実験体ですよねぇ、え?
 ただねぇ、残念ながらこの子ウチの生徒なんですわ。知らないだろーけど俺、片手間で高校教師やってんの。ねぇ書類見た?信じました?じゃ、行くから揃えといて。え?
 まだ言う?名前よく見て。医院長欄。ナメないで頂こうか。高校生のケロイド患者に注射バシバシ打ち込んで点滴打ちまくってなにやってんの?お宅大丈夫?そもそもそんなにデトックス状態にする理由がわからんのだけど?まぁカルテ見てねぇからわからんけどぉ、なんかこの子自傷癖治らんのだかなんなのかだしね。死んじゃうよいつか。
 はい、はーい。じゃ行きまーす」

 電話を切ると、悪戯成功と言わんばかりに一之江はにやっと笑い、真樹にケータイを返す。
 そして唖然と立ち尽くした二人の友人と担当教師を見て、「さぁどうする?」と話を振ってきたのだった。

 それから見事にするするあっさりと真樹は阿久津精神病院から一之江総合病院の心療内科へ転院、そのままバイトに行った文杜とナトリは帰り、真樹のケータイから送られてきた住所に向かう。

 一之江総合病院、総合病院だけあって確かにデカイ。見た目が最早高校の校舎のように、1館、2館とL字形にあって。

 真樹は1館の3階の端、医院長室にいるとメールにある。何故そんなとこなのかはわからんが、場所は雰囲気で来れるとメールにはあったので正面入り口から入ってみれば、閉院してるだろうに、何故か自動ドアはちゃんと開いた。

 設備がなんか最新そう。診察券とか多分機械読み取りだし。モニターいっぱいあるし。阿久津精神病院と違い、ホテルの受付みたいなスタイリッシュで広いカントリー調。

 果たしてこれは本当に雰囲気だけで医院長室なんてわかるのだろうか。

 誰もいない薄暗い、長椅子がずらっと並んだ、綺麗な、しかしながら薄暗く無機質な景色で二人の「すげぇ、」と、「怖い!」が反響して、だが返ってくることなくその声が闇に飲み込まれてしまった。

 言ってみてから顔を見合わせる。文杜はクールな顔をしているが、不自然に口角が上がり、ナトリは唖然としていて返ってクールだ。

「お前、マジか」
「うん、実は」
「そうか…」

 狂犬の意外な弱点を知る。

「信じるのか」
「いや、信じないけど、いたらさ、困るじゃない?だって多分殴っても勝てない」
「文杜ってさ、わりかしバカだよね」
「わりかしじゃねぇよ」

なんで威張ってんだよ。怖いのか。

 でも確かに出そうだ。エスカレーターが動いてないのが救い。動いてたら多分凄く怖い。

 どのフロアを見ても人の気配がない。確かに訪問したのは23時過ぎ。きっと自分達がいま見てるこの景色は来客用と言うか、外来用の景色だ。人がいないのも当然。

 というか雰囲気でわかるぅ?多分やっぱりそれって入院患者用の、なんか裏口みたいな、なんと言うか廊下の向こうなんじゃないの真樹さん。もしそうだとしたらこの外来用病棟からだと、地味に遠いかもしれない、辿り着くかなぁ。

 と、二人にはそんな不安も少しずつ勝ってきて、言われてみれば、怖くなってきた。

「うん、文杜」
「あんま話し掛けんなよ…なに」
「ごめん謝る怖くなってきた多分いる。いやいない、絶対奥だよ」
「やめてよしてふざけないでよねぇ何がいて何がいないんだよ!感じるの!?ねぇ!?」
「いやうん。え、なに掴むなよ歩きにくい」

 文杜が頼りなくいつもより猫背になって真隣で、私服のジップパーカーの裾と背中を引っ張ってくる。うぜぇ。こっちだって怖いわ色々と。

 3階について看板を見てもさっぱりわからない。だが事実、『心療内科』はあった。仕方ないからそれを目指してみることにした。

 心療内科についたら、なるほど雰囲気。心療内科受付あたりの看板に、『医院長室』への矢印が存在して。

 そのままそれを頼りに向かえば、確かに医院長室はあった。

 その部屋は凄く小さな部屋で、確かに1館の3階の端、雰囲気でわかる部屋。だがそれにしては外観はその辺の、各科の診療部屋と変わらない見た目。1、2、3等の数字をただ単に『医院長室』に変えただけにしか見えなかった。

そこから。

「あぁ…はぃ、力抜いて、息吸え。よし、良くできたね。はい、ほら、楽になった?」

 と、鼻の抜けるような、あの変態野郎の声と、「はぁ…うぅ…」という真樹の聞き慣れた掠れ声がして。

「ほら怒らない、また興奮するから」

 その笑いが入り交じった声。なんとも言えない複雑怪奇な会話に、今の今までビビってナトリを掴んでいた文杜、手を離して前を歩き始めた。

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